神話なし、事実のみの<ロヒンギャ史> 09
ウー・チョー・ミン
ロヒンギャという言葉の語源
アラカンは過去、異なる国からさまざまな名で呼ばれてきた。今なおムラウーに残っている古代アラカンの石碑、8世紀のアーナンダ・サンドラ石柱には、アラカデーシュと刻まれている。14世紀のラシドゥッディンのようなインド人歴史家のほとんどはアラカンをロハン(Rohang)と呼んでいる。16、17世紀のベンガル語の著作やレナル氏のベンガルの地図、ジル・クライストのベンガルの言語研究では、アラカンはロシャン(Roshang)と呼ばれた。
口語のチッタゴン語では、アラカンはロハン(Rohang)と呼ばれる。チッタゴン人は「sh」の発音を「h」、ときには「wa」と発音する。このようにベンガルでアラカンは、ロシャン、ロハン、ロワンなどと発音される。チッタゴンの人々がチャットガンニャ(Chattgangnya)と呼ばれるように、ロハンの人々もロハンギャ(Rohangya)やロワインギャ(Rowaingya)と呼ばれた。
16世紀にインド、ビルマを回ったラルフ・フィッチ(Ralf Fytch)[Fitch?]という名の英国人商人が「ロウン(Roun)」という王国をアラカンと名付けた。この「ロウン」は1883年、ビルマのエイサー・フェア卿(Sir
Ather Phyare)が引用している。
サンダ・トゥダンマ国王(1657―84)のアラカン宮廷叙事詩人で作家のシャー・アラオル(Shah Alaol)は国王を礼賛し、賛辞を書いている。彼はアラカンをロシャン(Rośang)と呼んでいる。彼はロシャンは米と魚がふんだんにあり、この地上では比類のない場所だと述べている。(ジャック・P・ライダー博士 2011)
ライダー博士によれば、ロシャンはムラウーのベンガル語の名前。それはアラカン王国を指す場合にも使われるという。
アヴァに住んでいた英国の外交官、フランシス・H・ブキャナン博士は『ビルマ帝国において話されるいくつかの言語の語彙の比較研究』の中で、つぎのように書いている。
ビルマ語には四つの方言がある。ビルマ語のほか、アラカン語、ヨー語、タナンセリン語である。(アラカン語について筆者は詳しく述べる)
(……)最初の言語はアラカンに長く定着しているムハマダン(ムスリム)によって話される言葉。彼らは自分をルーインガ(Rooinga)、あるいはアラカンの先住民と呼ぶ。アラカンの土着のマグ人は自分たちをヤケインと呼ぶ。ビルマ族から与えられた名前である。アラカンに定住しているヒンドゥー教徒からはロシャン(Rossawn)と呼ばれた。(Asiatic
Research ブキャナン 1799)
重要なポイントがある。バイアスのかかった歴史家が主張するように、ブキャナンは1799年にロヒンギャという言葉を用いた唯一の、そして最初の人物というわけではなかった。上述のように、16世紀から17世紀初めにかけて、ベンガルの歴史の著作の中にロヒンギャはたくさん見いだせる。
パメラ・グトマン博士は『古代アラカン』(1976)のなかで「現在もなお、とくにバングラデシュ国境に近い北アラカンの人々は、古代の碑文の言語を話す」と説明する。英国の考古学者ジョン・ストン、パメラ・グトマン博士、ウー・サン・タ・アウン(アラカン人)によって転写されたマハムニと古代アーナンダ・サンドラ石碑の言葉は現在のロヒンギャ語に近く、ラカイン人の言葉とはまったく異なっていた。それはロヒンギャの祖先が古代の碑銘を書いた人々であることを示していた。わたしたちはつぎにように考える。「ロヒンギャはアラカンに古くから住んでいた人々で、凝り固まった関心しかない人々が描くような、英植民地時代にやってきた移民では絶対にない」