[54] ゴロク地方では、ゴロクから石渠(Che k’iu ジェクンドの北東に位置するセシュ寺付近)の道路沿いにケサルの遺跡がたくさん残っている。これについては謝国安(ポール・シェラプ)が教えてくれたものである。(1946年)マチェンポムラ山以外にマメ・ユルン・スムド(rMa-smad gyu-lung sum-mdo)という場所があり、ケサルがリン国から追われたとき、一時的に避難していた。ここからそれほど遠くないところに競馬場があった。またここにアウェディ(A-we-di)とネアドゥ(gNas-A-dus)という二つの峰があった。

 この伝説は17世紀半ばから末頃にまで遡ることができる。スムパ・ケンポによれば(ダムディンスレン1957年を見よ)トドンはケサルをキャラン湖(sKya-rangs)とンゴラン湖(sNgo-rangs)または毒湖(Dug-mcho)の間に位置するラルン・ユムド(lHa-lung gyu-mdo)付近に追放した。そこはマチュ(黄河上流)の源泉であり、地図上ではTsaring湖とNgoring湖と記される。

 この地域には、ケサルがゾ牛を囲っていた牛圏のあるゾタテン(mdzo-khra steng)という山があった。その近くには広い平原があり、かつてホル人の軍隊が駐屯していた。(アブチ・ドゥタン Ab-phyi dug-thang

この後者の二つの地点とケサルの関連性については、宰相サンギェ・ギャツォ(執政期間16791705)が編集したダライラマ5世伝(東北大学目録)によって知ることができる。ダライラマ5世は1651年末に中国へ行ったとき、旅の途中でカラウス河(Kha-ra usu)やシャラトゥ(?a-ra-thu)、キャリン湖を通っている。またアブチ・ドゥタン平原を通り(ホル人の軍隊がケサル王の時代、この山や谷を治めていた可能性がある)、ケサルのゾタテンに達したあと、アリク・カルポタン(A-rig dkar-po thang)へと進んだ。

 石渠から黒河(カラ・ウス)へと向かう道路沿いに、聖なる北馬鼻山(Byang rTa-rna)があり、ケサル関連の遺跡が多数発見されている。石渠から西寧へと向かう道路沿いも同様である。

[55]  北の馬鼻(Byang rTa-rna)寺はカギュ派支系パグモ・ドゥパ(Phag-mo gru-pa)および小派イェルパ(Yel-pa)に属する。彼らは、ケサルはこの教派に属すると主張している。タナ寺(馬鼻寺)を含むイェルプグ寺(Yel-phug)以北の寺は、イェシェ・ツェグパ(Ye-shes brcegs-pa)が創建したものである。

 ケサルの末裔は兵器をこのタナ寺に委託し、保管してもらった可能性がある。(李安宅1949年) 任乃強は、北馬鼻寺はロンキン、すなわち玉樹(ジェクンド)南西のナンチェンにあると認定している。ケサルの遺物の大部分は霊感を受けたひとりのラマ(神通ラマ)によって運び込まれたという。

[56] このラマはケサル誕生の地に建てられた寺のなかのものすべてを奪ったのかもしれない。そこにはケサルの武器や象牙の印章などがあったはずである。この地域は一年中牧草が青々と茂っていることで知られ、英雄の平原(Hiong-pa)と呼ばれた。そこはヤーロン江(ザチュ)の西岸であり、石渠県の東の境界にあたり、林葱土司(Gling-chang)の所轄内だった。林葱土司はここに寺を建て、祖先を祀っていたという。(任乃強1945年)

 Ti Hia1944年 サンズイに条、暇の日を王に変える)の報告によると、彼のインフォーマントもケサル誕生の地がテンコ(Teng-K’o トウ小平のトウと柯)と林葱土司の領地にあり、宋代の初年の頃であったという認識を持っていたという。

 Touo Tsie(奪節1941年)もこの寺を訪ねている。清朝末期(1900年頃)にデルゲの工匠たちが林葱土司の王清真登曲衣の命令によって建てられた。ゴロク人もまたこの寺を参拝するという。この寺には禅林(瞑想の林)があった。筆者もンガス・チャチャ僧院で生活を送っている時期にザチュ河を旅行したとき、それらすべてを直接見ることができた。

[57] われわれはいまや隊商大路、すなわちターチェンルー(康定)とジェクンド(玉樹)を結び、ナクチュをへてラサへ至る北道に近づいている。ジェクンドの北西、ロムボンツォ湖(Rhombomtso)付近の、小さなドゥンジョン川が流れ込むイチュ(I-chu)渓谷の横にラリ(神の山の意)がそびえ、その山上にオボがある。こここそゲスル・ハーン(Gesur-xan)が戦いの合間に好んで休んだところである。その宿営地は山頂近くであった。首領の巨大な帽子はいつも山頂にかけてあった。山頂の横には旅人のための寺があった。(コズロフ1950年)

[58] 北の隊商路のジェクンド付近の第5駅に、ケサル射的場(Ge-sar mda’-‘phen)がある。(コムブ1936年)

[59] ジェクンド(玉樹)の近くにケサル廟があった。物語の英雄は一連の戦いのあとすべての武器をここに納めた可能性がある。廟内の梁はケサルの剣や槍によってできていると思われる。

[60] このジェクンドでダヴィッド・ネールはケサル物語中のふたりの人物の化身と遭遇している(1931年)。そのうちのひとりは恰幅のいい男で、ディグチェン・シェンパ(sDig-chen bshan-pa あるいはシェンパ・メル bshan-pa rMe-ru)の化身。ホルの宰相だったが、ケサルに降伏したあと、将軍に抜擢された人物である。もうひとりはホルの三王のひとりグル・カル(白テント王)の化身だった。

[61] ジェクンドからターチェンルーの路線を選び、東南方面に進めば、まずテンコ(Tenkho ’Dan-khogつまりDhingo Gomba)に至る。そこはリン国の大将軍テンマ・シャズン('Dan-ma cha-gzung)の領地だった。(任1947年) デルゲに長く生活した人が提供してくれた情報によると、デルゲはリン国の権力を継承しているとみな認めているという。ダンコグ(テンコ)はデルゲに対し税(タク khral)を納めなければならなかった。それはテンマがケサルを殺したことに対する賠償だった。このことに関し、「民法の起源」であるとしてつぎのように説明される。

「上部(すなわち西部)にいてある国王が名のわからぬ者に殺された。その賠償金は遺体の体重とおなじ分量の黄金である」

「下部(すなわち東部)においてケサル王はテンマに殺された。この殺人の代償としてみな税を納めなければならなかった」

 『デルゲ王統史』は、これらのことから、1650年前後にリン国に敵対する勢力の連合ができあがったとみている。(5章223ページ参照) いずれにせよ、ケサル王物語にはテンマ地方がリン国に納税の義務を負っていることに触れているのである。チャムパサンタ(Champasangta)によると、ルツェン地区から戻ってきたケサルは狼に変身し、テンマが放牧していた羊を食べてしまった。テンマは当然狼を殺した。このとき以来、チベット人は殺人賠償(mi-stong)を払うことになったのである。ルツェンのエピソード(ケサルはル、すなわちナーガの国で起きたことを忘れてしまう)とよく似たラダックに流布する物語のなかで、ケサルはやはり狼に変身する。しかしここでは放牧していたペーレ(dPal-le)は狼がケサルであることに気づく。彼はケサルにたいし、大臣(カロン)のテンパ(lDan-pa)がケサル不在の間にドゥクマ('Bru-gu-ma)を我が物とし、リン国の宮廷を支配していることを教えた。ケサルは軍を招集し、テンパに総攻撃を加えた。テンパは逃げ出し、その国と財宝のすべてをケサルに献上した。このときの記録のすべてはリン国に保存されているという。このとき以来、テンマはリン国に賦役の義務を負うことになった。(フランケ19061907 T、p488490

 この伝説については、スムパ・ケンポ(Sum-pa mkhan-po 同書p189-190)によって確かめることができる。ホルとの戦争のあと、ケサルはテン(’Dan)の地へと向かった。そのとき一匹の犬が現れ、ケサルの馬に襲いかかった。馬が後ろ足で立ち上がったとき、ケサルは振り落とされて死んだ。このとき以降、テンマ部族はケサル殺害の賠償金(stong-mjal)を払わねばならなくなったのである。彼らは毎年リン国に税を納めるようになった。

テン地方の平原に、「寺院」(lha-khang)と呼ばれる石が堆積した場所がある。この時点(1779年)まで、テンマの人々はマニと書かれた石をそこに奉納していた。この行為は千年以上おこなわれてきたが、これによって当地に幸運がもたらされていると人々は考えていた。現地には「ケサルを殺したための賠償は終わっていないが、テンマの財は尽きることがない」ということわざが生まれた。

[62] おなじ道を進むと、ディチュ('Bri-cju)すなわち揚子江上流沿いにドルマ・ラカン(sGrol-ma lha-khang 観音廟、ターラー寺)があり、その向こうにリン・ゴセ(Ling Gose)の国があった。その首領(ギャルポ、土司)はリン・ケサルの威光を誇り、その王宮はゴセ・ゴンパ(寺院)のなかにあるとした。(タフェル、1914年。U、p169

 コズロフ(1905年)によれば、リン・ゴセ地方はチベット東部で第三の規模だという。リン・ケサルの時代にサライゴルス(Saraigols ホル)の残党を基礎に33人の勇士を形成した。その地方の名称もリン・グゼ(Ling Guze)となった。彼らの子孫は現在にいたるまでこの地を統治している。ダヴィッド=ネール(1931年)はリンの王の写真を有しているが、彼女によるとこの王はケサルの養子の子孫である。

 首領(土司)がケサルの兄弟の末裔を自負しているリンツォン(林葱 Gling-chang)は、「宮殿」と周囲を高い塀に囲まれた新旧のサキャ派寺院を有していた。旧寺院はセンドゥク・タクツェ(Seng-‘brug stag-rce)と呼ばれ、ケサルの王宮があった。しかし明代(13681643)に大地震によって壊れてしまったという。その後新しい寺と衙門(ya-men)が建てられた。(任、1945年。p24) 

 ミニャク出身のわがインフォーマントも、ターチェンルーで話を聞いたとき、ケサルの宮殿(pho-brang)はリンツォンにあると答えていた。それは建物というより特別な場所であった。

非常に高い山の頂近くに大きな鉄の門があり、強い風が吹くと自然に開き、野生のヤクが入ってきた。門は自然に開閉し、ヤクはそのなかに閉じ込められた。牛肉や牛皮を必要とする旅人はそのなかに入ってそれらを求めることができた。

 スムパ・ケンポは書信のなかで(同上p185186)、ケサルはキィ・ニマ・クンキル(sKyid Nyi-ma kun-’khyil)の生まれだと述べている。それはカムの上部にあり、リン国の一地方であった。行政区としてはデルゲの左翼である。ここは3つの川が合流する谷間だった。すなわちシャルンの2つの川とザチュ源流の谷が集まっていた。(ザチュがマチュとドゥチュと合流した)そこにはたくさんの小さな湖があり、2つの川が合流する地点には小さな崖があった。この川の間には平原が広がっていた。そこには孤高とした一本の木が立っていた。(ラダック本、序言)またそこには両親のテントが立つ崖があった。これがキィ・ニマ・クンキルである。

 伝説では、この上部に3つの川、すなわちカンチェン(Khang-chen)、ヤグニェ(Yag-nye)、ザチュが合流する谷があり、タグリ山(sTag-ri)と面していた。それは心臓の形をした丘陵だった。その丘陵の麓と大きなスレートの山の上にゴンパ・ラツァ(Gom-pa ra-cha)と呼ばれる地神(gzhi-bdag)が鎮座していた。(リンツォン本ではボン教呪術師) その山の前の山頂には30の石積みがあり、それぞれケサル王物語の30の英雄に相当するという。(同書p186187) 

 ケサルの一族はリンの一族であり、デルゲ地区のリン部族とテン部族の2つのうちのひとつだった。スムパ・ケンポの時代、テン部族はデルゲに属していたが、リン部族はそうではなかった。一部の人が考えるには、ケサルの父はセンロン(ここではSin-rlomだがSen-blonのはず)で、母はガク(’Gag, ’Gag-rus)部族の出身である。ほかの人の考えでは、リンとテンとの間に戦争が勃発したとき、人々は神山(山のニェン神、すなわちリ・ニェンの山)で地神(シダク)を祀る儀式(msang-mchod)をおこなった。この神はケサルと同様転生によって生まれた。

 この地区の歴史と地理はなお研究せねばならない。ここではケサルがリン(リンツァン、リンツォン)と結びつくのが、17世紀末まで遡ることができることを指摘するにとどめたい。ミギュル・ドルジェ(Mi-’gyur rdo-rje 16451667)はトンション・ブムヌグ(sTong-shong ’bum-rnugs)の居住民を、リン国の王ケサルの居住地だとして、強制的に移住させ、その支配下に置いた。

 『サキャ・パンディタ伝』(125a)は、ケサル物語のなかにこの地域を特定している。サキャ・パンディタが中国へ向かう途中、セモガン(ze-mo-sgang)を通った時、そこをドカム(mDo-khams)の中心地ととらえている。(セモガンは一般にはZal-mo-sgangと表記され、デルゲのことと考えられる) 彼はこのあとGing-thang(金沙江?)に達したと思われるが、残念なことに証明することはできない。

 そこから4マイル離れたところに、リン(Gling)という名の不思議な場所があった。注釈には大閻浮提(えんぶだい Jambudvipa)と記される。ガサル王(ケサル王)はそこでライバルに対する恐怖心をなくすことができた。ケサル王を助けたのは「世界の神」だった。注釈はそれを大いなる神ゲルチョ(Ger-mcho)とする。ゲルチョは通常ゲジョ(Ge-’jog)と記され、ケサル王の超自然的な父(天神)のことである。それはカム地方の聖なる山でもあった。あとで詳しく述べるが、サキャ・パンディタが通過した場所に関しては多少の混乱が見られるようである。サキャ・パンディタがリンにやってきたという伝説は、ケサル王物語の中国の部(rGya-le’u)の注釈にも触れられている。


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