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 ワイマー博士はコレシャンのメンバーで、かつ整骨治療学の医師だった。整骨治療学は真新しい分野であり、軽く見られていた。最初の整骨治療医学校は1892年に創立されたばかりだった。ティードの死亡宣告を発表したフォート・マイヤーズから来た医師を含む一般の医師たちはワイマー博士のことを真剣に見ていなかった。

 12月22日、ティードが人事不省に陥ると、ワイマーは昼夜ぶっ通しでティードの体を観察した。二日目、変色を認識した。耳の後ろ、乳様突起の骨の上に黒ずみがあらわれ、胸を越えて広がり、最後に顔に達した。その日の午後、ワイマーがノートに記すように、血がにじんだ流動性のものが口からあふれ出てきて、モルス(死)のにおいが発生した。

 信者たちが彼を見たがっていることを知っていたので、看護師たちはティードの体をバスタブに移した。信者たちは小さなグループに分かれてやってきた。ワイマーはショックと過敏さが組み込まれたティードのメッセージをかれらに読んで聞かせた。かれらのマスター(師)が予言した「もっともおぞましいこと」がこれであることがかれらには明らかになった。これによってマスターが言おうとしたことが何であるか理解できたと、信者たちは考えた。

 メッセージのなかにすべてのことが書かれていることは、信者たちの気休めになった。そしてティードが女性の姿をとり、かれらを悪との大いなる戦いに導いたとき、また戦いに勝利したとき、そして何度も解釈を述べたり、神の統治について語ったり、地上における天国へと導いたことを思い出した。信者たちはこれがほんとうのことであるかのように生活を送ったのである。実際かれらはリーダーのために、またかれらが不死であるという確信のために、すべてを捨て去ったのである。この闇の時間のあいだ、信じないということは、彼を、そしてコレシャニティを見捨てるということであり、それはありえないことだった。

 かれらが認めるように、いま現在彼がかれらとともにいないという事実は、かれらの信仰心の試金石だった。かれらはそれを乗り越えなければならなかった。忍耐強くなければならなかった。「だれもがおだやかだった。待つとことに集中していた」とワイマーは書いている。「輝かしい時間はわれわれの目前にあった」

 しかしクリスマスイヴの日、ワイマーはティードを見続けるのをやめるよう命じた。見るからに急速に腐敗し始めていたのである。「彼の顔つきはまったく変わってしまった」とワイマーは記している。はじめ、ティードは大いなる戦争も準備をしているナポレオンに見えた。そしてワイマーは胸にヒエログリフ(象形文字)が広がるのを観察した――死後、血管があらわれて、大理石模様に見える。そしてワイマーは「腐敗の過程に入った」ことを認めた。20人ほどの手によって、浜辺に地上墓が造られた。

 その夜、ワイマーはエステロにいない信者たちに手紙を書いた。それには悲しいクリスマスであること、ブロックで墓の屋根が造られていること、変化が来るまでマスターはそこに安置されることなどが書かれていた。その夜、彼はずっとティードの遺体の横にいた。

 

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