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 ティードが安置された部屋は、島の湾側の眺望がよいとして選ばれたものだった。エステロ川上流の居留地区の造船所で、自分たち自身で建造した船を、コレシャンの人々はこの島にとめていたのである。この家はかれらがリクレーションのために建てたものだった。信者たちは多忙な居住地の生かゆから離れてここで一服することができた。ティードはこの家をラ・パリタと名付けた。小さなカップル、または平等、あるいは出現といった意味があるという。あるいは三つの意味をもつか、かれらが知らないティードだけが知っている意味かもしれないという。彼はしばしば説明なしに何かを名付けることがあった。

 コレシャンの人々が建設した居留地は、オーク林のなかをゆったりと、数えきれないくらい曲がりくねって流れる川を、4マイル(6・4キロ)ほどさかのぼった内陸部にあった。川の水はマングローブ林の根のところで変わり、そういう場所にはワニが棲んでいた。潮が満ちたときには川の深さがあったので、柑橘類を船に積んで、果樹園から湾部へ、さらにフォート・マイヤーズへと運ぶことができた。そこでボックスカーに載せられ、北部人のもとへ運搬された。北部人にとってオレンジをスライスし、甘い香りをかぐのは初めての体験だった。それによってかれらは、さんさんと輝く太陽とビーチの夢を見たのである。

 コレシャンの人々はドーム付きのダイニングルームを作った。その二階は女性専用、キャビンは男性専用であり、一区画は子ども専用だった。「創建者の家」にはティードとヴィクトリア(地上において彼と同等とされた)が住んだ。「惑星の庭」は日々の雑事をこなす七人の女性のために造られた。パン屋、雑貨屋、校舎、ランドリー、家畜小屋、小動物園、水車小屋、印刷所、ボートやコンクリート作りの仕事場、自活のための食料を育てる菜園、自前のオーケストラやバンドが演奏し、劇が演じられ、日曜礼拝が開かれる「アート・ホール」などがあった。川沿いの岸辺の各所では、自由に座ったり、本を読んだり、自分の思考に没頭することができた。多くの花壇が地面を飾り、主な道は建物を結んでいた。

 人を歓迎しない荒れ地に居留地を建てるのに15年の月日を要し、しかも完成にはまだ相当の時間がかかりそうだった。これらの建物は、エステロに創出する輝かしい都市の仮の姿だった。かれらはこの居留地をガイディング・スター・シティ(導く星の都市)と名付けた。プランによれば、都市の中央にはクリスタル・シー(水晶の海)に囲まれた寺院が建てられることになっていた。寺院からはいくつもの道が放射線状に伸び、トリオンフィア・オクタゴニアやヴィクトリアン・ウェイといった名前の大通りと連結するはずだった。

 

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