マセナルティー あなたの著作を読むと、師と弟子の関係がいかに重要かがわかります。スーフィズムの基盤は、この関係にあるように思われます。どうして師というものが必要なのでしょうか。師なしでは魂の覚醒という体験は得られないのでしょうか。

ヴォーン=リー そうですね、いきなり覚醒を体験することもあるでしょう。実際、多くの人が覚醒の体験をしています。エックハルト・トールを思い浮かべてください。彼は師なしで、自分自身の力で覚醒を得ています。彼の教えもそこから生まれているのです。しかしほとんどの人々にとってはそう簡単な話ではありません。導き手なしに、つまりあなたを手助けしてくれる人がいないのに、確固とした、覚醒した生活が送れるとは、あるいは深く覚醒するとは思えません。スーフィズムでは、師との関係こそもっとも重要なことなのです。詩人ハーフェズを引用しましょう。

導き手なしに
愛の道を歩もうとするな 
私は百度試してみたが 
いつもしくじりに終わるだけだった 

 私の師はいいました、ガイドなしに知らない土地や砂漠を横切ることはできないと。たとえば内なる世界――それはとてもパワフルなエネルギーをもっています――において何をすべきか、だれかの助けがなければわからないのです。私の体験をお話ししましょう。17歳のとき、私はハタ・ヨーガを実践していました。たまたまですが、ハタ・ヨーガの実践によって、私の中のクンダリーニのエネルギーが目覚めてしまったのです。私はハタ・ヨーガの教師のところに行きました。でも彼女はそれを体験したことがなかったので、この場合に何をすべきかわからなかったのです。19歳になって真の師と出会うまで――出会ってからもしばらく時間がかかったのですが――私の内部のエネルギーをどうバランスよく保つか、どうやったら発狂せずにすむか、学んだのです。無意識のなかには、あるいは精神的本質のなかには、とてもパワフルなエネルギーがあります。私たちには、内世界を導いてくれる師が必要なのです。

 ほかの教えはこう言っています。あなたの真の自己、あるいは導き手なしの仏性が輝きを持っているにしても、自我は自我を超えられない、あるいは、心が心を超えることはない、と。あなたには私がいう「愛のかなたの岸」へと連れていってくれる船頭が必要なのです。内なるプロセスを理解してくれるだれかがあなたには必要なのです。ある程度自分自身で内なる旅をすることもできるでしょう。しかしこの世界で生きている間、プロセスを完全な意識のもとに置くためには、師が必要だと考えられるのです。



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