マセナルティー あなたの宗教生活における生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。

ヴォーン=リー 毎週日曜日、私は父に連れられて教会に行きました。英国国教会の一員だったのです。とても美しいカテドラルでした。父はカテドラルが好きだったのです。しかし精神性について語られることはありませんでした。内面の精神的な現実や聖なるものとの関係といったものは、父の意識や宗教的実践のなかにははいってこなかったのです。

マセナルティー あなたがどのようにしてスピリチュアルな道を歩むことになったか、教えていただけますか。

ヴォーン=リー 16歳のときに私はスピリチュアルな道に目覚めました。そのとき私はカレッジで聖なる幾何学を勉強していたのです。

マセナルティー 16歳で? なぜあなたはわれわれみたいにこっそりタバコを吸ったりしなかったのですか? 

ヴォーン=リー 60年代後半、禅がちょうどポピュラーになりかけていました。姉のボーイフレンドが一冊の禅の本を私にプレゼントしてくれました。禅の言葉をよく覚えています。それは「野生のガンは意図的に影を落とすわけではない。水面はかれらの姿を受けとめるつもりはない」(雁長空を過ぎて影寒水に沈む、雁に遺蹤の意なく水に沈影の心なし)というものでした。それはわが内の扉をあける鍵となりました。自分自身が完全に異なる世界にいるのがわかりました。まるで色、光、喜び、笑いが世界にあふれているかのようでした。すべてが光をもってきらめいたのです。
 禅の実践では、人は空(くう)を瞑想します。この瞑想の実践を通して、私は際限のない空の内なるリアリティを深く体験するようになったのです。突然私は異なる世界にいました。自分のまわりの寄宿学校の環境とはまったく異なる世界にいたのです。より深く世界へ入っていったのです。瞑想の師を探したわけではありませんが、私はクリシュナムルティに会いました。二度、彼のレクチャーに行ったのです。それはめくるめくものでした。私はまたキース・クリッチロウのもとで聖なる幾何学を勉強しました。キースは一度、田舎の家でワークショップを開きました。それは二月のことで、たいへん寒い日でした。そこまで私はヒッチハイクして行ったのです。私は家の中の暖炉の横に座っていました。そのとき若いカップルがはいってきたのですが、するとわがクンダリーニのエネルギーが解き放たれたのです。突然体中にエネルギーが満ち溢れたのです。



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