マセナルティー クンダリーニについて説明していただけますか。 

ヴォーン=リー この脊柱の基部あたりにほぼ休眠状態にあるエネルギーは、精神的な実践によって呼び覚ますことができます。それからそれはエネルギーの潮となってあなたのなかにほとばしりはじめます。私の場合、それはしばしば休眠状態にあるわけですが、若いふたりが部屋に歩いてはいってきたとき、私のクンダリーニが突然目覚めたわけです。それゆえ私はかれらのことをもっと知りたいと思いました。われわれは田舎道をずっと散歩しました。そのころ、スピリチュアルな教えというものは、秘密として守られていました。でも私は、われわれをひきつける何かがそこにあると感じ取っていました。
 ロンドンに戻ったとき、かれらと会って午後の紅茶をともにしました。そしてかれらは私を幾何学のエソテリズムに関するレクチャーに招待してくれたのです。私は会場となっているロンドンのケンシントン図書館に行きました。目の前に白くなった髪を後ろに束ねた年老いた女性が座っていました。レクチャーの終わりにこの女性を紹介してもらったのです。そして――このときのことはいま起きているかのようにはっきり覚えています――彼女は射抜くような青い目で私を見ました。すると私は床の上のゴミとなったのです。これは物理的な体験でした。
 のちに彼女の小さなアパートの部屋を訪れ、彼女の目を見たとき、彼女が知っていることを私は知りました――私が欲していることを彼女が知っていることを私は知ったのです。人生において私ははじめて知っているだれかと会ったのです。あなたがこのリアリティとほんとうに出会ったとき、あなたのなかの何かがそれを認識するのです。それはあなたの心に近道を作るのです。私のなかの何かがこれが正しい場所であるとまさに知っていました。
 何年かたってから彼女の本が出版されたとき、古いスーフィーの格言を発見しました。それは「弟子は師の足元で、床の上の塵以下の存在にならないといけない」というものだったのです。

マセナルティー どういうことですか? どうして弟子は師の足元で床の上の塵以下の存在にならないといけないのですか? 西欧人にとっては理解しがたいことです。

*ここでアナトが参加。

アナト 降伏という言葉は誤解されています。それは誤用されています。

ヴォーン=リー それは古代からの伝統なのです。それは止滅と呼ばれるもので、スーフィーの言葉ではファナです。エゴ(自我)は頭を下げます。しかし師の人格の前では、頭を下げません。イリーナ・トゥイーディーはいつも言っていました。「ご覧なさい、私を。ただの年老いた女です」と。エゴは師のなかの何か永遠なるものにたいして頭を下げます。こうして人はしだいに空(くう)になります。つまり人は何ものでもなくなるのです。スーフィーの言い方で言えば、人は「師の足元で床の上の塵以下の存在になる」のです。19歳でこのスーフィーの伝統と出会い、自分が属する場所がわかったことに私は感謝しています。
 グリーティングカードで知られるホールマーク社の人がコールマン・バークスのもとを訪れ、カードにルーミーの詩を入れたいと伝えたことがありました。するとバークスは「これはあなたがたがカードに入れたいと欲するたぐいの愛ではありません。この愛とは止滅のことなのです」とこたえました。私が好きなルーミーの詩の一節につぎのようなものがあります。

愛とは、無謀なたくらみを持ち、衣服を裂いて、 

山々を走り回り、毒を服用し、 

いま静かに滅びを選ぶ 

狂人のことである 

 この愛における滅びは、霊的なスピリチュアリティの感性ではありませんね。これでは万人向けではありません。

マセナルティー われわれはみなスピリチュアルな存在ではない? 

ヴォーン=リー スピリチュアリティ(精神性)とミスティシズム(神秘主義)の間には違いがあります。われわれはみな自分たちのなかに聖なる光を持っています。ほとんどの人にとってそれは人生においてかれらを導く意識としてあらわれます。そしてどのようなものであれ、スピリチュアルな修練を積み重ねれば、あなたの光の輝きはいっそう増すことになり、よりダイレクトに光に近づけるのです。
 さて、三羽の蛾のスーフィーの物語があります。ある日蛾たちは遠くに火を見ました。一羽目の蛾は言いました。「あれが何か見に行こうと思っている」と。彼は炎に近づき、まわりをまわって戻ってきました。彼はほかの蛾たちに言いました。「あれが何かわからないけど、とても暖かかったよ」と。二羽目の蛾は火に何かがあるにちがいないと思いました。そのため炎に近づきすぎてしまい、羽根を焦がしてしまいました。彼は戻ってきて言いました。「熱いなんてもんじゃないよ。燃えているんだから」と、三羽目の蛾が言いました。「思うに、火にはもっと何かがあるにちがいない」と。そして蛾は一直線に炎に向かって飛んでいき、戻ってくることはありませんでした。

私にとって、スピリチュアリティとミスティシズムの間には違いがあります。スピリチュアリティが意味するのは、あなたは魂の光と接することができるということです。あなたは火によって温められるのです。ミスティシズムとは、その光の中にあなた自身が消えるということです。火に向かって飛ぶ蛾であることです。最後にそれは止滅の道となるのです。




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