10 神秘家として執筆する 


マクナルティー
 さきほど降伏とは苦痛を伴うプロセスだとおっしゃいましたが、どういうことでしょうか。

アナト 季節があります。夏、春、雨季、冬といった。

マクナルティー 冬について説明してください。

ヴォーン=リー あなたは孤立感、つまり人生に意味はないような、すさんだ分離感を覚えます。それが最初の体験です。

アナト あなたは気分が落ち込みます。何も動かされず、何も起こらないように感じるのです。あなたは孤独を感じます。あなたは一生懸命に取り組んできたのに、依然として何も感じないのです。

ヴォーン=リー スーフィズムだけでなくキリスト教神秘主義も同様です。あなたは見捨てられたように感じるのです。十字架の聖ヨハネはこれを「魂の暗い夜」と呼びました。彼はキリスト教に見捨てられたように感じました。

実際彼は兄弟たちによって修道院に閉じ込められ、ミサを執り行うことさえ許されませんでした。このときに彼は「魂の暗い夜」を経験しました。この見捨てられた感覚は、すべての神秘家が経験することであり、信じがたいほどの孤独を感じるのです。それによって外側の執着も、内側の執着も、すべてを取り除かれるのです。もしこの感覚に身を委ねるなら、あなたは真実の愛という形のないものへと投げ込まれることになります。身を委ねることで、あなたは無条件の愛の真実へと導かれるのです。それは控えめに言っても簡単ではありません(笑)。

マクナルティー あなたご自身の信仰の実践についてお話していただけますか。

ヴォーン=リー わたしは心の静寂のメディテーションと心の祈りを実践しています。これは一日2、3時間、愛する人の言葉を聞きながら受け入れる内なる祈りですね。わたしの瞑想の実践では、個人的な意識は心の中に吸収されますが、祈りでは、愛する人とのより意識的な内なる関係と受容があります。わたしはズィクルも実践しています。神の名を声に出さないで繰り返します。そして可能であればウォーキングメディテーションを実践します。また「笑い」も実践します。いたってまじめに実践するのです。

マクナルティー あなたはこれまでたくさんの本や記事を書いてこられました。書くことはあなたのスピリチュアルな道の一部なのですか。

ヴォーン=リー 書くことによって助けられています。E・M・フォースターはこういっています。

「自分の言っていることがわかるまで、自分が何を考えているかどうやって知ることができるでしょうか」

 ダンス、音楽、絵画、執筆など、魂が語りかけてくるような真の創造性は、どんな形であれ無限の価値があると私は信じています。それは魂に声を与え、その最も深い憧れを表現するものです。多くのスーフィーが詩人であるのはこういった理由からです。彼らは魂が言おうとしていることをはっきりと表現したいのです。わたしにとっても執筆は、スーフィーの道の神秘的体験を表現する方法なのです。これを真に理解するためにわたしは自分自身の深みへと降りていかなければなりません。

マクナルティー どのように執筆を始めたのですか?

ヴォーン=リー 35歳のとき、わたしは博士号の課程を終えました。そのときあるアメリカ人紳士の講演会に招かれました。それはアクティブな創造に関する講演会でした。これもユング心理学でした。わたしはたくさんの質問をしました。講演が終わり、その人を訪ねると、彼はたずねました。

「あなたは何者なのか」と。おそらくわたしを精神分析の専門家と思ったのでしょう。

 人生ではじめてわたしは言いました。

「わたしはスーフィーです」と。

 彼は言いました。

「それは興味深いな。わたしはちょうどユング心理学とスーフィズムについての本をまとめているところだったからだ一文書いてもらえないだろうか」

 それでわたしはスーフィーの夢の分析に関する最初の文章を書くことになったのです。わたしの師は言いました。

「とてもいいことだわ。あなたは本を書くべきよ」

 それでわたしは最初の著書「恋人と蛇;スーフィーの夢分析」を書いたのです。彼女は冗談交じりで言いました。「一年に一冊本を書くのかしら」と。つぎの10年間にわたしは10冊の本を書きました。西欧にスーフィズムをより接しやすくするために、心理学的側面や内面プロセスにより注意を払いました。このシリーズの最後の本は「愛は炎」です。

 初期の本のほとんどはスーフィーについて書いたものでした。しかし2000年という年に奇妙なことが起こりました。わたしはいわば生まれながらの伝統的な神秘家です。16歳の時に神秘体験をして以来、わたしにとって重要なことは瞑想をすることでした。結婚して子供を持つこと以外、外の世界は私にとってあまり魅力的ではありませんでした。私が本当に感動したのは内面の旅でした。それは自分の内面の奥深くに入り込み、意識の別の状態を発見し、自分の最も深い自己や、それを超えた空虚や無と呼ばれる状態との関係を持つことができるというものでした。2000年の春、突然、誰かがわたしの意識のなかのコンピューターを再起動したかのようでした。それは、私の心から内なる旅への集中をすべて消し去り、一如(ワンネス)への集中に置き換えたのです。

*ワンネス(oneness)はサンスクリット語のऐक्यम्(アイキャム)である。非二元論的な言葉である。梵我一如तत्त्वमसि  tat tvam asiすなわち宇宙原理の「梵」と個人の本質である「我」は同一であるという思想と根本的には同じ。もちろんスーフィズムはイスラム教であり、ヒンドゥー教ではないが、インドのスーフィズムの根本思想がヒンドゥー教のそれと近似していることがうかがえる。





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