ダライラマ六世の秘められた生涯
宮本神酒男
はじめに
恋多き詩人だったダライラマ六世ツァンヤン・ギャツォは、北京へ護送される途中、青海湖付近で没したとされる。しかしこの伝記によれば、六世はこの難局を生き延び、遊行僧として各地を巡りながら、無頭男や雪男、ゾンビ、雪獅子などと遭遇しつつ、最終的にモンゴルに至り、高僧として寿命を全うしたという。これは壮大なホラ話なのか、それとも実際に波乱万丈に満ちた人生だったのか。
(1)チベット最大のミステリー
私がチベットに強く興味を持つに至った直接的なきっかけは、ラサで起こったチベット人デモに参加した容疑で中国の公安当局に拘束され、国外退去処分を受けたことだった。皮肉にも、チベットを身近に感じた私は、カトマンズなどでチベットに関するさまざまな本を買いあさり、インドのダラムサラで何人かの難民と会って話を聞き、郊外の森の中のチベット仏教瞑想センターで修業のまねごとをした。
その後カトマンズ・タメル地区のピルグリム・ブックストアの二階で、たまたま手に取り、気まぐれで買ったのが、マイケル・アリスの『隠された宝と秘密の生涯』という本だった。この本は、著名なテルトン(埋蔵宝典発掘師)のペマリンパ(1450―1521)とダライラマ六世ツァンヤン・ギャツォ(1683―1706)についての研究論文である。チベット二大ミステリーというべき論考はすこぶる面白かったが、学者ならではの文章で、投げ出したくなるほど読みづらかった。ともかく私はこのとき以来、ペマリンパとツァンヤン・ギャツォに魅せられ、名を目にするだけで、初恋の人に対するかのように、心がときめくようになった。
ウィキペディアの時代ともいえる現在からすれば信じがたい話だが、著者のオックスフォード大学教授のマイケル・アリスがアウンサンスーチー氏の夫であることに気づくまで、数年を要してしまった。その後、良質の映画『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』(2012)に感銘を受けたからか、今ではマイケル・アリスと言えば、この映画に出てくる役者さんの姿が思い浮かんでしまう。
マイケル・アリスがブータンから出入り禁止を食らっているということを知ったのも、何年かあとのことだった(註1)。最大の理由は、この本の中でペマリンパをペテン師呼ばわりしていることだった。テルトンとは、ニンマ派やポン教徒の密教僧であり、岩穴やストゥーパの中、柱の下、ときには空中や心の中から(とくにパドマサンバヴァによって)隠されたテルマ(経典や仏像)を(多くはトランス状態で)発見する人々のことである。ペマリンパも火のついたロウソクを持ったままトランス状態で「燃える湖」の淵に潜り、対岸の岩窟に入ると、そこで女神にもらった小さな仏像を持って戻ってくる。どう考えても実際に説明通りのことが行われたとは信じがたいが、これはあくまで宗教活動である。宗教活動を理性で推し量るべきではないだろう。
[註1:ブータン語(ゾンカ語)はチベット語の方言であり、ブータン文化はチベット文化の類縁にあたる。ペマリンパが生まれたブムタンは現在のブータン領内にあり、その隣のダライラマ六世が生まれたモンユル地方のタワンはインド領内にある]
しかもペマリンパとダライラマ六世は遠い親戚だが、現在のブータン王室とも血縁的につながっているのだという。そんなペマリンパに関して「すぐれたペテン師はおのれをも騙す」と書くに至っては、ブータン人を激怒させることになってしまったのである。
伝記『ツァンヤン・ギャツォ(ダライラマ六世)の秘められた生涯』に関して、マイケル・アリスが問題にしているのは、作者のダルギェ・ノムンハンが信頼に足る人物であるかどうかということ、そして尊者(ンガワン・チューダク・ギャツォ、あるいはダクポ・ラマ)がじつはなりすましなのではないか、ということである。
ほかにも、クンガノールで没したとされるダライラマ六世が生き延びる可能性はあったのか。彼を悲運の愛の詩人として評価する人々にとっては、夭折の詩人であってこそ価値があるのではないか。もし生き延びたとして、チベットのアムド、カム、中国、ネパール、インドの聖地をめぐりながら漂泊の旅を続けることができるだろうか。あれだけ遊び惚けていたのに、後年高僧となり、清貧で高潔な生活を送ることができるだろうか。また伝記には、なぜ荒唐無稽なエピソードが数多く含まれているのか。マイケル・アリスとともに、私はこういったさまざまなミステリーを追ってみたくなった。
マイケル・アリスの本をカトマンズの本屋で見つけてから十年後、チベット自治区のラサから1600キロ以上西に離れたインド・ラダックに近い阿里(mNga' ris)地区の小さなチベット語専門の本屋で、私はチベット語で書かれた『ダライラマ六世の秘められた生涯』(Tsangs dbyangs rGya mtsho'i gsang rnam)を見つけた。もちろんチベット人民出版社から出版されているので、チベット文化圏のあらゆる書店で、あるいは北京でも、売られていたかもしれない。しかし当時はどの本がどこで売られているか、調べるのが非常にむつかしい時代だった。ともかくこの本を入手した私はチベット語のテクストの読解にチャレンジしたのである。