権力者ラザン汗に活仏かどうかの疑念を抱かれる

さて話を戻すと、ラプジャムパ・タクパ・チュペ(Rab ’byams pa grags pa)らが呼ばれ、修辞学などを教えた。尊者は詩学の造詣も深く、これ以上なにを学ぶ必要があろうかと思われるが、算命術などを深く研究されたのである。前述のように予言に示されたごとく、北方で調伏する必要が迫ったとき、デシやラザン汗(rGyal po lha bzang)はこの機を利用しようと考え、またチベットの官吏らの福のなさから、災いが引き起こされたのである。

ラザン汗は北京に信書を送り、尊者が本当に活仏であるかどうか疑いがあると知らせた。そこで皇帝は人相術に長けた特使をラサに送った。人相術師は尊者をはだかで座らせ、前後左右、さまざまな角度からつぶさに観察した。そしてこう言った。

「この大徳が五世の転生であるかどうか、私にはわかりませぬ。しかれどこの聖者のからだはすべての徴をそなえておられます」

そして人相術師は頭をこすりつけるように礼拝し、北京へ戻っていった。

このあとデシとラザン汗との軋轢はますます大きくなっていった。皇帝はチャクナ・ラマ(Phyag na bla ma)とアーナンダカー(A nanda kha)を問題解決のために送ったが、彼らがラサに到着する以前にラザン汗はデシを殺してしまったのである。欽差大臣がラサに着いたとき、紛争がすでに勃発していたが、ラザン汗はことば巧みに取り入り、不可避な事態であったことを納得させた。



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