北京へ向かう六世に刺客の影が忍び寄る

こうして火の猪の年の秋、尊者が二十五歳のとき、北京に招かれた。尊者は羊八井(ヤンパーチェン)を通り、ニェンチェン・タンラ山の前に至ると、山神をうやうやしく祀った。

曲がりくねった北道を進み、ドンカ・ギャナク(sTon ka rgya nag)湖畔に着き、チャクナ・ラマとアーナンダカーに会った。ふたりは厳しい口調で言った。

「あなたがたはこの法王様をいづこに留まっていただくというのか。どのようにお世話するというのか。まったくそんなことに意味があるのか」。

人びとは皇帝の特使のことばを聞いて震え上がった。生命すらもお守りできるかどうか、不安に駆られた。そこで人びとは言った。

「望みはただこの世を去るか、あるいは出奔し、痕跡を残さないか、そのどちらかしかありません。もしそうでなければ、われらの生命はなきものとなるでしょう」。

人びとは異口同音に懇願した。

私(尊者)は言った。「あなたがたはラザン汗となにを画策したのか。どうやら私は皇帝の宮門の金の檻に到達し、謁見するということはなさそうだ。(あなたがたも都に)もどるということもないだろう」。

この一言で特使たちは不安に駆られたようだった。彼らは私を暗殺する計画をもっていたことを縷々とのべた。そこで私はこう言った。

「私があなたがたを害したり、私利私欲を求めたりということはない。私の死でもってことは終わらない。私に起こったさまざまなできごとについて、さらに何を言うことができるだろうか」。

このあと多くの人が私を礼拝するために湖畔にやってきた。ある日彼らに我々が居留している場所に木材をもってくるよう頼んだ。そのなかに天幕をたてるために使われる杜松の木があり、それを私が地面に挿したところ、翌日、それ(杜松)は成長をはじめたのだった。



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