タントラ僧に会ったあと、強盗の被害に遭う 

 土の牛の年(1709年)四月、着実に進んで、カマル(Ka ma ru)に到達した[訳注:マイケル・アリスはこのカマルをアッサムとしている。たしかに古代においてアッサムにはカマルパ王国(350-1140頃)があった。とはいえ実際にカムからアッサムに出るのも、アッサムからチベットに入るのも、容易ではない。おそらく甘孜チベット族自治州のミニャクかどこかではなかろうか。このあたりの人々はチベット族と呼ばれているが、厳密にはチベット・ビルマ語族ではあるものの、チベット族ではない]。

 私はここでンガッパと呼ばれるタントラ僧に会った。

「これはこれは、お待ちしておりましたぞ。こんな寒いところに、よくぞいらっしゃっいました」。

 私は「この人はだれだろう。どうして私のことを知っているのだろうか」といぶかしく思いながらも、タントラ僧のあとを歩いて、山の上の洞窟に行った。洞窟は広く、なかには供え物がたくさんあった。彼が人の脛でできた喇叭を吹くと、瞬く間に近辺の遊牧民たちが、法会のために集まってきた。法会が終わると、タントラ僧はある程度の距離、私とともに歩いて、見送ってくれた。タントラ僧は、(瞑想において)どのようにチャクラサンヴァラの姿を思い描くか、またその他さまざまな驚くべきことについて少しだけ話してくれたが、詳しく説明してくれなかった。

 シャルガン・ラ(Shar gangs la)とヌプガン・ラ(Nub gangs la)の間を歩いているとき、四人の屈強な強盗に襲われた。私は高価なものはなにももっていなかったが、なけなしのツァンパや茶葉を強奪されてしまった。チベットの入り口にさしかかる前に、もうこんなひどい目にあってしまったのである。



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