ラサに戻る
カツェ寺を出て、旅を続け、ようやくラサにたどりついた。そしてセラ僧院やデプン僧院を巡礼した。セラ僧院の山の上にあるリド(Ri grod)の庵に滞在し、修行しているとき、セラ僧院の座主ゲレク・ギャツォが訪ねてきた。座主は傷つき、悲しんでいる様子に見えた。私が暗所に閉じこもり、穴からのみ必要なものが差し入れられる状況(いわゆる暗闇の修業)を作ってくれるよう、座主に頼んだ。たとえソプン(寺の飲食に関わる僧)でさえ、私のことはひた隠しに隠さねばならなかった。
ゲルク派の祖師ツォンカパがいた庵に滞在し、宿縁あさからぬ師とともに修行に励むのもなにかの縁であろう。ここには結局、一ヶ月以上滞在することになった。当時私は気(血液)が逆流する病気にかかっていたが、ゲレク・ギャツォの教えにしたがい、上師ヨーガ法を修めた。瞑想し、この経を唱えるならば、病がよくなるだけでなく、悟りを開くことにもつながるのである。
そのほかさまざまな教えを賜ったが、ダライラマ五世の「文殊次第論」もまた、拝聴できた。何日も引き止められたといえ、師が高齢であることを考慮し、また訪れるさまざまな人が私との関係を阻もうとするので、ここを離れることにした。師とは心置きなく存分に話をし、また戻ってくるつもりで、ガンデン僧院をめざした。
ガンデン僧院の下の村の在家の後援者ツァンド・ポワ(gTsang mdog spo pa)の家にしばらく滞在した。日々近隣を回って托鉢した。
ある日ガンデン僧院の金身像を礼拝しに行ったが、僧院の警護担当の僧に邪魔をされた。ツォンカパ像を礼拝することもできないとはなんと自分の力のないことか、と私は嘆かわしく思った。無限の嫌悪感が生じ、正門の前で涙を流していると、突然閻魔護法の境地にいることに気がついた。見ていると、いましがた私の邪魔をした僧が銅の壺をもち、水を撒き、さらに梯子を登ろうとしたとき、滑って落下し、顔の皮がこすれてむけてしまった。その僧をいっそう怒らせたかと思い、私もあわててしまい、転んでしまった。
その後、多くの参拝者に混じってようやく金身像を拝むことができた。そしてツォンカパが修行をした場所へ行きたいと思うようになり、ダクソク寺を訪ねた。その寺の住職は、うすうす私の正体に気づき、私を部屋に招き、梯子を取って暗所に篭る修行を許してくれた。罪を悔い、清め、また座して瞑想するなどの修行を一年以上行なった。この期間中飲食はツァンド・ポワが運んでくれた。修行の間ほかの世話をしてくれたのは、寺の住職とゲロン・ングードゥプ(dGe slong dngos grub)という僧だった。
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