コンポで犬に襲われる
コンポのギャラ・シントン(rGya la sing dong)に、オゲン・リンポチェ(パドマサンバヴァ)が修行したという岩窟があった。ここはもともとリン・ケサル王が妖魔を追い詰めた場所で、妖魔は大樹のなかに逃げ込んだが、ケサル王が弓を射込むと、樹は枯れてしまったという。いまも放たれた矢は枯れ木の上のほうに残っていた。グル・リンポチェが魔女(srin mo シンモ)を鎮圧するために用いたという三つの硬い石があり、その上には御手の跡があった。石の下には枯れた魔女の肋骨のかけらがあり、それははっきりと見ることができる。私は岩穴に一ヶ月いて、懺悔や篭りの修行をし、安楽の境地を得ることができた。
その後ひとりで私は歩き続けた。コンポでは秋、バターを作るとき、女性にたいするタブーがあった。この季節になると、女性や老人を低いところに残し、男たちだけで山に入り、テントを張り、(牛から乳をとって)バターやチーズを作った。富裕な家族となると、高原のかなり広い地域を占有し、ゾ(ヤクと牛のハーフ)二千頭、労働者108人をもっていた。そのあたりの土地は広大で、草が生い茂り、森林もあり、しかも静かだった。林のあいだを歩いていると、どこかからか男の声がした。
「犬が向かっていくぞ! そこのだれか、気をつけて!」。
見ると、三歳の牛ほどもある二匹の赤い猛犬が猛烈な速さで向かってくるではないか。それらはわが左右の足にかみついた。そのとき私は棍棒も石も持っていなかったので、泥をつかんで犬にぶつけた。すると犬は二匹とも死に、転生の輪のなかに身を投じたのである。
しばらくすると何人かの男たちがやってきて、「おまえがおれたちの犬を殺したのだな」と難癖をつけてきた。その口ぶりは横柄で、傲慢そのものだった。私はといえば体中に傷を負い、血が流れ、痛みがひどく、とても歩けるような状態にはなかった。それで男にこう言った。
「私は棍棒も石も使える道具はなにも持っていません。それなのに泥で犬を防げたなんて、人と犬の前世からの因縁にちがいありません」。
べつの男が言った。
「おれは見たよ。ふたりの仲間がいて、剣をふりかざして犬を斬ったのを。あのふたりはだれなのか」。
「こいつ、ひとりだなどと戯言を言ってやがる。おれたちはちゃんと見たんだよ」。
私は言い返した。
「剣で斬ったというのなら、刀傷があるはずでしょう。でもなにもない。これを宿命だと言わずになんと言いましょう」。
そう私が申し立てても、彼らは信用する気配がなかった。
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