モンゴルのアルシャー(アラシャン)へ
このあと尊者は待っていた僧たちといっしょにアルシャー(アラシャン旗 A lag sha)へ向かった。当時はわが父(著者の父)パザ・キャブ・タイジ(Badza skyabs the rje)、祖父ンガワン・チンパ(Ngag dbang sbyin pa)、母ナム・ゾム(rnam ’dzom)なども健在だった。チベット暦十月十二日、貴人は雪のように白い駿馬の彫り物が施された鞍に乗った。僧衣はまっさらで美しく、上着は帯で留められていた。頭には平頂帽を被り、足には花飾りの施された靴を履いていた。十二人の僧を従え、筆者(ダルギェ・ノモンハン)の家族が住むザプルオス(Tsab phur o su)にたどりついた。
タシという名の比丘(ゲロン)がいた。ここザブルオスは聖なる場所であり、トルカド(Thor kadho)モンゴルのアユ汗(A yu han)統治下にあった。このゲロンの神通力はとても大きく、遠くからでも、尊者がいらっしゃることをお察しになり、こうお告げになったという。
「西のほうから、十余名の随行をつれた、尊いお方が馬に乗っていらっしゃる。各大人、夫人よ、最大の礼をもってお迎えしなさい。堂内に玉座をもうけ、みな礼拝されるように。うやうやしく歓待し、祝福を受けなさい。断じて言うが、このお方はなみの者ではありませぬ」。
我が家の年長者たちはその教えをありがたく拝聴し、尊者を家に迎え、力のかぎりを尽くしてもてなした。その日の晩、尊者はご自分の天幕に戻り、お休みになられた。
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