尊者の歌に人びと、涙を流す

 二十五日、尊者はヘールカの儀礼を執り行われた。その座のなかには、私の父母や祖父も施主として参列していた。ゲロン(比丘)タシやその他チベット、モンゴルの僧侶がたくさん参加していた。尊者みずから道歌をお歌いになった。

 歌い終わると、その場にいた人びとはみな悲傷感に包まれ、いっぽうで尊者を篤く敬う気持ちを強く持った。とくにチベットから来た僧たちのなかには、涙を流す者もいた。だれもが尊者とともにずっといられるように願った。

 ある日尊者はおのれの境遇にいささか重苦しく感じられていたようだが、すぐに笑顔を浮かべられ、述べられた。

「ヨーガ行者は、一切の観念はアーラヤ識のなかにあると言う。私の過去も夢のようであるし、幻のようでもある。衆生に利益を与えること以外、(ヨーガ行者に)なんの望みがあるだろうか」。

 当時尊者の歌った道歌はゲロン(比丘)タシによって記録されたが、その後校正照合されたかどうかはさだかでない。

このあと各家族や家臣、宦官などの施主によって懺悔、回向、祈祷、超度(ポワ)などの儀礼が、新年に至るまで営まれた。ポワのとき、死者の頭頂から脳漿が流れ出すという奇瑞があった。

鳥(酉)の年の元旦、我が家の神幕において尊者は駆魔トルマ儀式を挙行した。二日から十五日にかけては地祭護法を行い、毎日神の前で祈祷された。豊富な祭品が奉じられ、また献沐儀礼(鏡の像を洗う儀式)が行なわれ、功徳は無量であった。尊者とともにやってきた随行の僧侶たちに関して言えば、一部はモンゴルへ行き、ほかの僧は五台山へ巡礼の旅に出た。

当地出身のウンドゥル・ゲロン(Un dur dge slong)やンガワン・ルンドゥプ(Ngag dbang lhun grub)、シャル・ベンデ(Shar bande)、シェラブ・ギャツォ(Shes rab rgya mtsho)らは尊者のために働いた。尊者が外出されるとき、まるで昔のようにひとりで馬に乗り、遊行僧のようにふるまわれることもあった。



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