モンゴル・ツァキルク旗で数々の奇跡を見せる
春二月、尊者は単身アボ王の宮門のほうへ赴き、ホブ・ツァキルク旗(Ho bu tsa khi rug chi)のラギャ(Lha rgya)という門番に会った。この老人は尊者を見た瞬間に仏を思う心が生じ、恭しくもてなした。尊者は老人の天幕に滞在し、夜はそこで瞑想をしてすごした。
ある夜、尊者は施主の老夫婦と大帳幕のなかでお粥をお食べになったあと、神帳幕へおもどりになった。しばらくして施主の家のラキ(Lha skyid)という奴婢の女が薪を取りに外に出たところ、火が燃えさかっているのに気がついた。火事だと騒いで回ってみなを起こした。尊者が帳幕から出て火に近づき、火の中から外衣を取り出し、「これは私のものです」と言って腰にまとった。すると火は一瞬虹のように輝いて消えた。翌朝そのあとを仔細に見ても、火の痕跡は見当たらなかったという。
またあるとき尊者はご自身の馬を施主家の馬飼いに放牧させた。馬飼いはその馬を連れ出し、勝手に鞍と轡を載せ、野生の馬を探しに行った。そうしていると二羽のカラスがやってきて馬飼いの周囲を飛び回り、突っついたりした。馬飼いは恐れをなし、馬から下りて鞍も下ろした。そして一掴みの土を馬の背中にこすりつけ、野に放した。
翌日馬飼いはもどってきた。尊者や施主の家族は馬飼いに気づき、尋ねた。
「きのう私はあなたがひそかに私の馬に乗るのを見ました。ここツァキルク旗には三百頭の良馬がいます。そのなかにいい馬はいないのでしょうか。どうして私の馬に乗るのでしょうか」。
「いったいだれがそんなことを。だれかが偽りを申しているのです」。
尊者はほほえみを浮かべ、
「そんなでたらめは言わないほうがいいでしょう。あなたが川辺を走っているとき、私が差し向けた護法神がカラスに変身して左右の肩に乗ったのを覚えていないでしょうか。あなたを傷つけてはいけないと思い、カラスには危害を与えないよう命じておきました。それでもあなたは否定するおつもりですか」。
この一言を聞いて馬飼いには厭離心が生じてきた。突然激しく泣き出し、手を合わせて言った。
「尊いラマよ、あなたの神通力は無限で、一切をご存知でいらっしゃる。どうか私をお守りください。小人である私は罪を悔い改めます」。
馬飼いは地面に崩れ落ち、叩頭した。施主やその家族はだれもこの件について話し合い、尊者を尊敬する気持ちはますます強くなっていったのである。
⇒ つぎ