尊者、神通力で溺れる者を救う
ゴンチェン(dGon chen)、ダクゴン(Brag dgon)、ドルジェ・チャングル・ゴン(rDo rje ’chang gur mgon)などに効験あらたかな神像があったので、尊者はそれらを巡礼してまわり、浴仏礼を行い、祈願法会(モンラム)を挙行した。またさまざまな寺院の僧侶とも謁見した。
尊者がゴンチェン寺へ行ったとき、チベットの竜老人(Bod kyi klu rgan)と称する土司にションパハ寺(bShon pa ha)のお堂で接待された。土司は宴の席を設けたが、尊者は空中を見つめたまま、食膳に手をつける気配がないことに気がついた。土司は尋ねた。
「ラマ、そなたはなぜ食事に手をつけないで空中を眺めておられるのか。これらのものがお気に召さないのでしょうか」。
「いま私は忙しいのです」。
「なにもなさってないように見えますが」。
「たったいま餅売りの漢族の男がジュラ河(’Ju lag)を渡ろうとしたのですが、途中で流され、溺れそうになったのです。そこで私はその人を救おうと決めたのですが、思ったより時間がかかってしまいました。その漢族の男は助けてもらった感謝のしるしにと、篭の中の餅すべてを私に渡そうとしました。私が断ると、数枚渡そうとします。それも断ると、一枚、それも断ると半分に割ったものを差し出すので、私は根負けして半枚もらうことにしたのです」。
と言って懐から半枚の餅を出して見せたのだった。半信半疑の土司はだれかを河のほうへ行かせた。はたして河には水に濡れてびしょびしょになった漢族の焼き餅売りがいた。なにが起こったか聞くと、内容は尊者の話と寸分かわらなかった。その男は連れられて室のなかを見回した。そして尊者を指差し、
「ああ、このお方でございます。河で溺れかかっているところを助けてくださったのです」。
そう言って懐から出した餅は、尊者のもっている餅とぴったり符合したのである。こうして尊者にたいする信仰心は堅固なものとなった。そしてロウ・シペンのすべての人びとが施主となったのである。
寺の中に立体マンダラ(blos bslangs)が三つあった。尊者は中央のマンダラの東門から入り、南門から出たかと思えば、南門から入って西門や北門から出た。ほかの人には頭を伸ばすこともできない(狭い)場所を、尊者は苦もなく通ることができるのだった。人々はこうして尊者を敬服した。
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