まもなく翻訳開始 (2015年12月) まとめ(アレクサンドラ・ダヴィッド=ネールの驚くべき生涯) 

アレクサンドラ・ダヴィッド=ネール伝
  目次 

ルーリー・ミラー 宮本神酒男訳 

 文豪V・ユーゴーの膝の上で遊んでいたパリ生まれの女の子は、家出して英国に渡ったり、スイスまで歩いたりするなど、のちの姿を想像させるような冒険好きの少女になった。
 アナキストのルクリュの影響を受ける一方で、神智学協会でブラヴァツキー夫人と会い、インドにいざなわれるきっかけとなった。またオペラ歌手としてハノイの舞台に立ち、チュニジアでは未来の夫と出会った。
 インドでは亡命中のダライラマ13世、シッキムでチベット人修行僧、そして半生をともに生きていくことになる少年僧ヨンデンと運命的に出会う。アレクサンドラは日本で河口慧海と会ったあと中国に入り、青海省のクンブム(タール寺)に3年間滞在、そのあとカム地方ではじめてケサル王物語と接した。その後雲南に南下し、そこからラサへ苦難の道をたどった旅を記した旅行記は大きな反響を呼んだ。
 70歳になってふたたび彼女は中国からチベットをめざすが、重慶では日本軍の爆撃を受けることになる……。波乱万丈のジェットコースターに乗ったかのようなアレクサンドラの101年の生涯を追体験する。


1 1868年誕生 文豪ユーゴーにあやされる 神智学協会 無政府主義者ルクリュ 

  遺産を相続し、はじめての旅に出る ハノイでオペラ歌手 

夫となるフィリップとの出会い 夫婦関係の危機と克服 

2 1911年、インドへ 14年間の長旅 翌年、ダライラマ13世と会う 

  シッキムに長期滞在 英国パスポートをもつ僧侶ヨンデンとの出会い 

  ゴムチェン(隠棲の修行者)との交流 タシルンポ寺を訪ねる 

3 1916年、政府の勧告を受けてシッキムを去る 日本を経て北京へ 

  東からチベットへ ココノール湖やクンブム僧院の地域に長滞在 

  ジェクンド周辺を調査 

4 甘州から南下、蘭州、成都、麗江を経て雲南ルートでラサへ 

  目立たないように変装 ついにラサに到達 

5 究極の目的地、ポタラ宮 ギャンツェで英駐在代表のマクドナルド氏と会う 

  ラサからアルジェリアにいる夫フィリップに手紙 

6 1926年、59歳のとき『チベットへの旅』が上梓される 

  『チベットの神秘家と魔術師』なども出版され大反響を呼ぶ 

  夫フィリップとの話し合い ヨンデンを養子に 都会生活になじめず 

7 1936年、ヨンデンとともに中国へ クンブム再訪 

  重慶滞在中に日本の戦闘機の爆撃 1944年までターチェンルーに滞在 

  1955年、ヨンデン死去 1969年、永眠(101歳)