アガルタ
11 魅惑の旅行
ぼくたち――前列におばあちゃん、レックス、ぼくが、後列に気乗りしないナンシーとその横のエリーが――ホバークラフトに着席した。寒い時のためにナンシーはショールとカーディガンをひざの上にのせた。幼いウェンディは這いのぼってエリーの横に坐った。ふたりの女の子はクスクス笑ったりささやきあったりしたが、そういったことがナンシーの気分を変えることはなかった。
ティッチはおばあちゃんとぼくの間に背筋をまっすぐ伸ばして坐った。わが犬は何も恐れなかったが、自信たっぷりというわけでもなかった。何もかもが犬にとって新しかった。そして見たものすべてが気に入っていた。奇妙なことに、犬のナンシーに対する態度が変わっていた。彼女に対してうなることも、脅すこともなかったが、関わりを避けているようだった。ティッチはエリーを愛していた。このことを隠そうとしなかったし、しばしばはっきりと示した。
ぼくたちはまずテロスをヒューっと駆け抜けた。そして波止場に着いたときには子どもたちが歓声を上げた。美しい眺めだった。どこの波止場でもそうであるように無数のボートが波間に揺れていた。しかし、なんというボートだろう! 地上では見かけたことのないボートだ。どれもおぞましい形をしていて、色とりどりの帆と波打つ覆いと煙突が付いた家のように装飾されていた。それらは無数の色とパターンを示していた。ボート本体には壁画が描かれていた。ボートによっては泳ぐ動物のように見えた。象や虎、ライオン、亀、イルカ、犬、猫などに見えたのである。なかには馬の形のボートもあった。
ぼくはこの驚くべき波止場を見たことがあった。そしてぼくはレックスに、あたりを束ねるために指揮を執っているのはだれかたずねた。波止場から海は広がり、群島やサンゴ礁は永遠のブルーのなかに消えていった。乗り物の片側から女の子たちは喜びの雄叫びをあげた。ナンシーは彼女らをかかえて守っていた。
「彼って素敵じゃない?」おばあちゃんは新しい讃嘆者の背中を示しながら、ぼくの耳元でささやいた。ぼくはうなずいて、ほほえんだ。ぼくに何ができるだろう? おばあちゃんは自分の心を知っているおとなであり、霊媒である以外に、物事をクリアにし、決定する能力があった。ほとんどの人は霊媒は少しだけ頭がおかしいと信じている。おばあちゃんはそれについて数えきれないほど笑い飛ばしてきた。実際、老齢が信じられないほど魅力的だった。顔には皺ひとつなく、バラ色がかっていた。その目は明晰で、射抜くようなブルーだった。
魔術的な波止場を去るとき、特別な人々と歩き回るのがどんなに素敵であるかとぼくは考えた。ぼくたちの真下には異なる花々が咲く森があった。突然乗り物は下降し、森の中の柔らかくて湿った草の上に着陸した。その横には池と泉があった。暗い水源から流れが生まれ、なんとも言い難いやすらかさが広がった。ぼくたちは温泉のまわりでくつろいだ。ナンシーもリラックスできたことを願っている。彼女はため息をつき、泉に向かってしぐさを示しながら言った。「温泉はそんなに珍しいものではないわ。北米にもたくさんある。それらが流れてここに来たのかもしれないわ」
「地表にはこれと似たものはありませんね」ナンシーをじっと見ながらレックスは言った。「これと似たものを見たことがありますか? あなたのまわりを見てください。こういった愛らしい花々が温泉の近くにありますか? この植生はとてもユニークなので、<地球のひざ>とでも呼びましょうか」
「ああ、なんて素敵な名前なの!」おばあちゃんは喜びの声をあげた。レックスは感謝するような目でおばあちゃんを見た。
「ほんとうにそうです」彼はほほえみながら言った。「あなたは世界の端にいるように感じるでしょう。まるで泉はもうひとつの次元への神秘的な入り口のようです」
この際(きわ)に泉の中央部から泡(あぶく)が噴出した。みなが笑いながら吹き出す水を手で覆いかぶせようとした。
「目を閉じて願い事をすれば、それは成就されます」レックスは大きな声で言った。「泉から水上竜巻が現れたとき、願い事をとなえてください。これは古代の伝統です。さて、今日中にほかのものをご覧になりたいなら、移動しつづけなければなりません」
ナンシーさえもが目を閉じた。ティッチは吠えたて、ぼくたちはホバークラフトに戻った。今度はレックスのとなりに坐った。彼のことをより多く知るためである。彼は笑っていったい何が知りたいのかとぼくにたずねた。ホバークラフトは上昇し、ゆっくりと木々の間を抜けていった。
「わたしはペルーで生まれました。ここはとくに先住民が白人による圧政を受けたところです」と彼は語りはじめた。「父は誇りを持った、屈強な古い部族の酋長でした。わたしは早くから乗馬を学びました。それで父とともに長い旅に出たのです。馬はわたしの一部になりました。乗馬がほんとうに好きなんです。ここに来て乗馬が恋しいですね。父の死に方はとても謎めいていました。おそらく白人の為政者に殺されたのです。父はとても頑固で、彼らに従おうとしませんでしたから。わたしと母は父に会いたくてしかたありませんでした。わたしの部族はわたしに父のあとをついで酋長になってほしいと懇願しました。わたしは了承しました。
わたしは美しくて賢いすばらしい女性と結婚しました。そして三人の子供――二男一女――に恵まれました。長男はわたしをついで酋長になりました。次男は薬学を学んでいます。長女はわたしたちの部族のなかの、技量があり、感性のある少年と結婚しました。彼女は四人の子供を産みました。わたしの妻は長女が結婚する前に死にました。いまもわたしは悲嘆に暮れています。その悲嘆のゆえわたしはここにいるのです。子どもたちはみな独立してしまい、わたしは孤独を感じました。わたしはここから来た人と会い、彼といっしょにここに来たのです。完全に納得のいくことでした」
「ひとたびここに来たなら、このパラダイスから出ていこうなんて人がいるでしょうか」とぼくは反論した。
「ミッションを持って地球の表面に行く人々もいるんだ」とレックスはこたえた。「彼らは長くはとどまらない。思うに彼らはテロスに定住すべき人々を選んでいるのだ。人間の世界のスパイみたいなものだ」
ぼくは彼に地表におけるぼくのミッションについて説明し、人々にテロスの存在を認めさせるのがいかに困難であるかを教えた。彼もまた似たような体験をしていた。
ぼくたちはふたたび着陸しようとしていた。今度は島の上だ。安全に、なめらかに、ホバークラフトはターコイズブルーの水の上をすべり、島の柔らかい砂の上に突っ込んで止まった。まわりは棕櫚の木と熱帯植物だらけだった。木々のあいまから数匹の鹿があらわれ、警戒しながら近づいてきた。
「この鹿たちは人に慣れているんだ」レックスは言った。「一種の動物園だね。女の子にとってはとても楽しいんじゃないかな。ここの動物たちはみな多かれ少なかれおとなしくて、完全に安全なんだ。森の王ともいえるライオンや熊だってね。たがいに襲わないし、人に危害を加えることもない。ここにはドラゴンもいるんだよ」
「ドラゴン!」女の子たちは唱和していた。「ドラゴンは物語の中にだけ存在するんじゃないの?」
「もちろん、そうじゃない!」ぼくは異を唱えた。「彼らは血に飢えた人間どもの近くにいたくないだけなんだ。平和に暮らしたいんだね。ドラゴンはとてもすばらしい動物だよ」
ぼくはテロスでしかドラゴンを見たことがなかった。はじめて見たのは、ここに来てすぐのことだった。物語をワクワクしながら待っている女の子たちに、「ドラゴンは神話でも伝説でもない」とぼくは強調した。何千年も前、ドラゴンは実在する動物だった。地球の表面をたくさんの数が歩き回っていた。同時にドラゴン・ライダー(ドラゴンの乗り手)も現実に存在した。トレーニングは過酷で、時間を要したけれど、ドラゴン・ライダーになりたがる男の子はとても多かった。後継ぎが必要とされたけど、つねに数は満たされていた。でもドラゴン狩りをはじめたのも人間だった。人間がドラゴンを殺しまくるようになったため、ドラゴンはアガルタに避難しなければならなかった。彼らはアガルタの自然の山々に滞在し、そのままそこをねぐらとするようになった。彼らはとてもおとなしく、交通の手段として利用されるようになった。
ドラゴンはとても美しく、いくつもの色にもきらめいている。基本的には森のようなダークグリーンだけど。ここの人々は安全な鞍を創案した。そして乗龍(ドラゴン)クラスを作った。しだいにドラゴンが少なくとも馬なみの地勢を持っていることがわかった。そしてドラゴンがテロスの住人に敬意を払うことを学んだ。ぼくが出会ったドラゴンは未経験のドラゴンの乗り手を試そうとした。
女の子たちは喜び、はしゃいだ。表情からうかがうにナンシーはぼくのことを信じていないようだったが、話を聞いてはいた。レックスはいままで見たことがあるドラゴンのこと、またたったいま乗ったドラゴンについて話し、ぼくに助け舟を出した。彼は地上では死に絶えた、しかし地底にのみ存在するほかの野生動物についても語った。
「ここがどんないい香りを放っているか、気づいたかしら」おばあちゃんはうれしそうに話した。ぼくはそう考えてはいなかった。すべての美しい花の香りに慣れていたからである。いまはじめてぼくは芳香に気づいた。レックスがそれについて説明した。
「この島にはほかの植物とともにエキゾチックなスパイスを育てている人々がいます。彼らは苗床で種をまいて栽培したりはしません。草むらにばらまいて、それがあちこちに生えるにまかせ、必要なときに摘むのです。では栽培者のひとりをこれから訪ねてみましょう」
栽培者たちは、ここではスタンダードな、屋根なしの丸い家に住んでいた。家はまわりをフェンスに囲われていた。これは動物たちがときにあまりに詮索好きだからだとレックスは説明した。子どもたちのまわりでライオンや熊が跳ね回る必要はなかったのだ。
ぼくたちが家を訪ねると、主人らは休憩を取っていた。ぼくたちは中に招き入れられ、コーヒーのかわりにたしなまれる紅茶のような飲み物と、ケーキのかわりのパンを出された。あとでぼくたちは農園を見せてもらった。そこはスペースが許されるかぎり、すべての植物がごちゃまぜに育てられた栽培地だった。雑草の問題はなかった。というのも他の植物と同様、雑草にもまた注意が行き届いていたからだ。農民が楽器を持って自分の土地のまわりを闊歩していた。彼はずっと楽器を鳴らしながら歌っていた。彼はギターをひき、子どもたちはフルートを美しく奏でた。ナンシーは両手で耳をおさえ、演奏をやめるよう嘆願した。そのことがおばあちゃんの気に障ったようだ。
「そんなふるまいをするんだったら、おうちに帰るべきね」彼女はピシャリと言った。「とてもすばらしい音楽だわ。それにあなた以外はみな気に入っているのよ。自分の娘を見てごらんなさい」。エリーとウェンディは草の上で、バラ色の頬の上を涙が伝うまで、歌ったり笑ったりしながら陽気に踊っていた。
ぼくたちは野生動物も見た。まず一匹の熊がドタドタと歩いていた。ぼくたちを一目見ると、熊は後ろ足で立った。レックスはクマに近づき、その胸を軽くたたいた。熊はかまってくれたことを喜び、レックスに向かって鼻息をかけた。熊は両前脚を下ろしたが、レックスはなおも熊を撫でていた。ぼくとおばあちゃんもそれに加わった。熊はそれがあるがままに、とてもいいやつだとぼくは思った。でもぼくたちはティッチのことを忘れていた。
ティッチは女の子たちといっしょに坐っていたが、おじけているように見えた。犬は女の子たちを守ろうと決心したようだった。犬は熊のにおいが嫌いだった。前脚を下ろした途端、犬はうなりはじめた。熊が四つ足で立ったとき、レックスは熊の耳に何かをささやいた。すると熊を後ろを向き、森へ向かって一目散に駆けだした。
「われわれも移動したほうがいいみたいですね」レックスは決然として言った。「でなければおなじような野生動物に取り囲まれて、子どもたちがおびえることになりますからね。後日、ティムやエミリーともう一度ここに来ることもできますし」
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