アガルタ
12 生きているドラゴン
アガルタを見れば見るほど、大地の外側と内側が互いに接近して存在していることに驚くことになるだろう。似ている面と相違する面がある。相違が認められるのは、建築物やインフラ。類似が認められるのは、景色である。つぎにホバークラフトが着陸したのは、正面に扉(ハッチ)がある大きな丸い建築物の真正面だった。ぼくは扉近くのボタンを押した。扉があくとフレンドリーな顔の男が現れた。
「みなさん、何を食べたいですか」ぼくはたずねた。「ここはフード・バーです。ここでベジタリアン・フードを注文できます」
庭にいくつかの植物の鉢が置かれ、そのあいまにテーブルやイスがならべられていた。子どもたちが前に押し寄せていた。フレンドリー顔の男がオーダーできる品の写真を見せていたのだ。元気よく笑いながら女の子たちは欲しいものを指し示していた。ぼくはほかの人たちのオーダーを手助けした。ナンシーはおなかが減っているわけではなく、グラス一杯の水を欲しがった。ぼくを含むほかの人々はフラワー・ガーデンで魅力的な食事を楽しんだ。
ここはテロスにおける典型的なバーであり、レストランだった。食べ物は、大きな丸い家でつくられ、そこから運ばれた。
「さあホバーに乗ろう」みなが食べ終わると、レックスは声をあげた。ホバークラフトはすぐ近くに待機していた。ここにパーキング問題はなかった。なぜなら乗り物が地面に触れることはなかったからだ。腕からエリーを持ち上げたとき、ナンシーがぼくを呼び止めた。
「家に帰りたいわ」彼女は要求した。「頭痛がひどいの。エリーもわたしといっしょよ」エリーはいっしょに行くのをいやがったが、ナンシーの決意はかたかった。ぼくはほかの乗り物を手配し、ナンシーの住所を入力した。ウェンディは彼らと行こうとはしなかった。エリーはすっかりしょげかえっていたが、ぼくたちの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
「なんという頑固な母親かしら」おばあちゃんは苦々しい顔をして言った。「エリーはとてもいい子ね。いい子だから、世話をするのは簡単よ」
「ナンシーはおそらくもっとも普通の人なんだよ」レックスは言った。「徹底的に瘋通の人はここの環境に耐えきれないんだ。だからベストの選択は家に帰ることかもしれないね」ぼくは同意してうなずいた。
乗り物に入るとき、ぼくの手は小さな手を握っていた。そしてつやのある黒髪がぼくの手に触れた。「となりに坐ってもいい?」と、たずねてきたのはウェンディだった。ぼくはほほえんでうなずいた。
突然ホバークラフトが尋常ならぬ速さで地面に向かって下降した。このあたりの森は深くなく、地面は苔や花々に占領されていた。機体は洞窟のある山のかたわらに着陸した。唇に指をあてたまま、レックスはぼくたちを手招きして乗り物から外に出した。彼はカモフラージュしたシェルターまでぼくたちを導き、草むらの上に坐らせた。そっと坐りながら、ぼくたちはいったい何が起きているのだろうと不思議に思った。そしてすぐに理解した。
最初に見たのは洞窟から出てくる煙だった。ついで巨大な煙だらけの鼻、そしてぴかぴか光る緑の頭だった。頭には巨大な目と小さな耳がついていた。まもなく一頭のドラゴンが、尾を振りながら、その全体の姿をあらわした。わきには体色がはっきりしていない小さなドラゴンが連れられていた。おそらく赤ん坊のドラゴンだろう。
ぼくはウェンディが叫び出さないように、手で口を覆った。彼女はじっとドラゴンを見つめていたが、ぼくの肩の後ろに頭を埋めた。おばあちゃんとレックスは尋常ならざる生きものを、喜んで見ながら、手を取り合った。ぼくはナンシーがいなくてよかったと思った。彼女は恐怖におののいただろう。ティッチはうなりさえしなかった。犬はぼくの横に坐り、石に化したかのようにじっとドラゴンのほうを見ていた。
ぼくは子どもにあまり慣れていなかった。だからウェンディがドラゴンのほうへ這って近づいていることに気づいたときは、もう遅かった。恐怖に凍りついて、ぼくは少女が手を伸ばし、ドラゴンの鼻を撫でるのを見ていた。ウェンディの存在そのものが愛を具現化しているように思われた。おばあちゃんとレックスは少女を救出しようとしていた。
驚くべきことに、ドラゴンは長いピンク色の舌を出して、ウェンディの顔をその湿った蒸気のようなものでペロリと舐めた。それからドラゴンは巨体を振り、赤ん坊ドラゴンが近くにいるかどうかをたしかめた(どう見たって母親ドラゴンである)。そしてとほうもなく大きな翼を広げると、赤ん坊ドラゴンも同様の仕草をした。そしてドラゴン親子はゆっくりと、畏怖堂々と立ち上がり、翼をパタンパタンと羽ばたいて、別れをあらわした。母ドラゴンはこちらを振り向き、長いあいだ、訴えるような目でこちらを見つめた。おばあちゃんは涙を枯らして卒倒寸前だったが、安心して笑い出した。ウェンディはレックスが彼女の手を取るまで、この驚くべき動物を見て立ちつくしていた。
「さあ、かわい子ちゃん、行こう」とレックスは言った。
ウェンディは突然走り出し、ぼくに抱きついた。「ほんとにすうごいんだから!」少女は叫んだ。「ママとパパにこのこと、話さなきゃ!」
困惑してぼくは少女を見た。ママ? どういうことだ? 彼女のママは死んでいるはずだが。
「あたしよくママとお話するの」彼女は自分の胸を指しながらうれしそうに言った。「ママはあたしのなかにいるの。ママはいつもこたえてくれる」
エリーは驚くべき子どもだとぼくは思っていた。驚くべき子どもがもうひとりいたということだ。おそらく驚くべき子どもはたくさんいるのだろう。でもぼくはこういった子どもに慣れていなかった。
ホバークラフトがつぎの駅に着いたので、ぼくは横でうれしそうにしゃべっているウェンディとともに降り立った。おばあちゃんとレックスはまっすぐ飛行機の格納庫のように見えるもののほうへ向かっていった。それはまさに格納庫だった。アガルタがいかに広いかぼくは知っていた。しかしほんとうにどれだけ広大であるか、十分に理解していなかった。
ここはさまざまな種類のホバークラフトの交通駅だった。駅は荒んでいるわけでもなく、うるさいわけでもなかった。地上の幹線の駅とおなじく、旅行カバンを持ったせっかちな旅行者だらけだった。地球内部に張り巡らされたトンネルがあり、それらの一部は地上につながっていた。地球の地殻のようにアガルタ中にトンネルはあった。トンネルは数千年前から存在していたのである。整然と並べられた覆いをかぶった乗り物に乗って、あなたはほぼどこへでも行くことができた。レックスから驚嘆すべきセントラル駅について詳しい説明を受けると、おばあちゃんは例のごとく、仰天し、讃嘆して手をたたいた。
ウェンディはたずねた。「ティムおじさん、あたし、ここからママのところへ行けると思う?」
「ママはこの世界に生きているわけじゃないんだよ」ぼくはあわてて否定した。「ママのところに行くには、特別な飛行機が必要なんだ。でもここにはその飛行機がない。ウェンディ、死者の国に行くことはできないんだ。彼らが別の次元の世界で生きていて、元気なことがわかるだけだよ。でもママの姿はウェンディの中で生き続けている。これはとてもすばらしいことだ」
「あたしは大きくなるまで待たなければならないの」ウェンディはため息をついた。「でもあたし、エレメンタル(四大元素の精霊)を見ることができるわ。エレメンタル、そう、パパはそう呼んでた。あたしには小さなお友だちがいるっていつもパパに話していたの。お友だちは透けて見えることがあったわ。トンガリ帽子をかぶっている子もいれば、太陽の光みたいな髪の子もいた。小さな半透明の翼を持った熊蜂みたいな子もいた」
「ウェンディ、あなたはここで彼らが見えるかしら」おばあちゃんがたずねた。
「もちろんよ。なんだって話すことができるの」ウェンディの目が大きく広がった。「それって悪いこと?」
「全然そんなことないわ。あなたはとても運がいいわ」おばあちゃんはこの驚くべき子どもの黒い髪を撫でた。
「思うに今日は十分見ましたね」レックスは叫んだ。ぼくたちは警戒を怠らないティッチとともにホバークラフトに戻った。
いまぼくはドラゴンのふるまいを理解することができた。ウェンディは人間よりもエレメンタルのほうに近かったのだ。ぼくに寄り添って丸くなり、ぼくの肩に頭をのせて休む姿は人間そのものだったけど。彼女は親指をくわえたまま寝息を立てて眠っていた。そしてようやく家に着いた。
ぼくはぐっすり眠る子どもをおばあちゃんの家に運んだ。レックスは一瞬姿を消したが、すぐにウェンディのパパと連絡が取れたというニュースを持って帰ってきた。娘を迎えに来るという。テレパシーによってコンタクトがとられたことをぼくは知っていた。でもおばあちゃんは少し混乱しているようだった。
「電話って地上だけにあるものと思ってたわ」と彼女は言った。
「ぼくらは頭の中に性能のいい電話を持っているからね」ぼくはからかうような口調で言った。おばあちゃんはすでにそのことに感づいていた。
おばあちゃんはほほえみ、ぼくに扉をあけるようにと言った。ちょうどそのとき大きなノックの音が聞こえた。色黒の、ややどっしりした男が入ってきた。彼は愛想よくにやにや笑いながら言った。「ウェンディの父親、エドムンドです。チャーミングな私の猿を預かっていらっしゃいますかな」
彼の後ろに幼い、わんぱくな面持ちの少年が現れた。「こちらは私の甥です。ウェンディのいとこですな」エドムンドはつづけた。「この子は今日到着したのです。で、いとこがいなかったので、がっかりしたわけです。それでピエールを呼びました。彼は九歳です。両親を交通事故で亡くしたので、ここに来ることになりました。私がこの子の世話を見ているのです」
「ウェンディは来たいだけ来ていただいてけっこうです。あんなにかわいらしい子どもなのですから」おばあちゃんは話をとめた。「もちろん男の子だって歓迎します。私は子どもが大好きです。いつも興味深い何かが発見されるからです。どうかすわってください。私の孫がお嬢さんを迎えに行きますから」
ぼくはウェンディを連れて戻ってきた。少女はまだ熟睡していた。彼女は目をあけるとつぶやくように言った。「パパ!」そしてすぐ眠りに落ちた。ピエールは眠っているいとこを監察しながら、叔父のうしろで静かにしていた。
子どもたちは地球内部数千フィートのところで、つまりアガルタと呼ばれる輝かしい王国で、安全に眠ることができた。
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