アガルタ
25 アガルタの祭礼
枢機卿、バレンシオ、わが友マヌルともリビングルームでぼくを待っていた。マヌルは駆け寄ってきて、ぼくを抱擁した。
「ホバークラフトがこっちに迎えに来るよう言っておいたよ」彼は高らかに言い放った。「ラインフォート枢機卿にわれわれのもっともすばらしい伝統を見せるんだ。感動してくれると思うよ」
彼はにっこりと笑いながら最後の一節をぼくの耳元でささやいた。ぼくは枢機卿のほうを見た。聖職者の服装をした彼は、奇妙な、小さな房付きの帽子を着け、刺繍が入った紫の絹のフードをかぶっていた。尊敬すべきその姿を前にぼくは深々と頭を下げた。彼はにこやかな笑みを浮かべた。
「どこへ行こうとしているのかわからないが」と彼は言った。「わたしがだれかわかればいいと思う」
「この国では聖職者の服装にだれも興味を持たないですよ」マヌルはやさしく言った。「でも猊下どのはとてもエレガントに見えます。そのすばらしい法衣を見せびらかさなかったら、それこそ恥ずかしいことです」
バルは――われわれはバレンシオをそう呼ぶようになった――当惑しているようだった。彼の白いジーンズは汚れ、青いチェックのシャツはよれよれになっていた。彼はずっと子供たちと遊んでいて、着替える時間がなかったのだ。助け舟を出したのは、ぼくの妻だった。どこかから完璧な白いスーツ、絹のシャツ、ネクタイを出してきて、彼にプレゼントしたのである。
「ほら」彼女はにっこりと笑った。「フィットすると思うわ。ここでは衣類に困ることはないの。寝室で着替えてちょうだい。ティムも着替えようとしていたから、さあ、ふたりで行って」
ぼくは伝統的なアガルタ人の「民族衣装」を着ようとしていた。その内訳は、揺らめく自然素材の絹のズボン、貴石がちりばめられた美しい刺繍入りのシャツ、宝石入りの刺繍が施された精巧な広いベルトなどだった。このベルトは特筆すべきものだった。金で精巧に作られた四角いバックルには、アガルタの歴史のエピソードの絵柄が多数、宝石で描かれていた。それはまた着用している人の個人の歴史を表していた。
「あんまり気分よくないな」着替えるときバルはささやいた。「ルイギおじさん、こと枢機卿はいっしょにバチカンに戻りたがっているんだ。ほんとに頑固だ。意見を変えることはないよ」
「でもここに滞在したいって言ってたよ」ぼくは驚いて大声で叫んだ。「心変わりしたのかな」
「そういうふりをしてるだけだ。ぼくを喜ばせるためにね。ああ、ぼくを助けて。戻りたくないよ。ここにいたいんだ。ここで自分自身の未来を作りたいんだ」彼が話すのをやめたとき、枢機卿がマヌルとともに部屋に入ってきた。
「さあ、急いで。出発の時間だ。エミリーとご主人もいっしょに行くことになった。われわれがどこに向かうのか知らないようだが。見送りパーティが開かれるそうだ。さ、行こう」
われわれはすぐに家を出て、はしゃぎまわる犬とともにホバークラフトに飛び乗った。ティッチは広大なスペースを独り占めしたが、この犬を旅の伴とすることに異存はなかった。
セレブレーション区はとてつもなく広かった。端から端まで眺めることができなかったので、描写して良し悪しを言うことはできなかった。歩き回る人でごった返していた。まるでライス・プディングが入った大きなボウルのようだった。ほとんどの人が白い服を着ていて、ほとんどの女性が白いスカーフを巻いているからだろう。このスカーフは想像力豊かに編まれていて、宝石が光っていた。このようなものは見たこともなかったし、想像を超える驚きだった。
群衆の中央に円形劇場のような円いアリーナがあった。われわれが到着すると、人混みが二つに分かれ、道ができた。人々はお辞儀をし、手を振った。
「どうしてぼくたちは通るのを許されたの?」ぼくはシシーリャに小声で聞いた。
「みんなあなたのベルトを見ているの」彼女は答えた。「評議会のメンバーだけがこの種のベルトを着けることができるのよ」
わけがわからなかった。疑問で頭がはちきれそうだったが、導かれるままアリーナまで歩き、着席した。そこには驚くべきことにシシーラの両親もいた。評議会の部屋までの旅の途中で見かけた顔がたくさんあった。
アーニエルが現れ、われわれすべてを歓迎してくれた。「わたしたちはいつもウェサクで大きなミーティングを開いています」彼は説明した。「だれでも来ることができます。ここでは歌があり、スピーチがあり、劇があるのです」
ぼくはまわりを見回した。われわれは大きな何もない空間の真ん中のサークル状に置かれたふわふわした白いソファに坐っていた。突然、金箔の演壇の上に男が現れた。髪は明るい茶色で、ひげを生やし、目は今まで見たなかでもっともクリアな暗青色だった。彼が笑うと愛と美が放たれたかのようだった。
「わが愛する市民よ、姉妹よ、兄弟よ」彼は叫んだ。「わたしたちは今夜、いつものように光の愛と根源を祝うために集まりました。光のすべての面がわたしたちの内にありますように、そして輝いて神と結ばれますように」
ここでバチカンの聖職者が立ち上がり、雷のような声で叫んだ。「イエス様と、すなわち唯一の神の子と結ばれますように!」
演台の男がひげ面を枢機卿に向けた。笑みを浮かべながら彼は言った。「あなたはここに来たばかりでしょう? でなければわたしがイエスであることを、地上でキリストと呼ばれていることを知らないはずがない。わたしはシャンバラのマスターのひとりです。わたしたちのだれも唯一の子であることやほかの区別を主張することはありません。だれもわたしたちに対して祈りをあげることはありません。天国を照らす唯一の存在は神です。神は至上の統治者です。あらゆる創造の根源なのです」
「冒涜だ!」枢機卿は顔を真っ赤にして怒鳴った。「おまえがイエス・キリストなどと、一秒たりとも信じないぞ! 地下ですべてのトム、ディック、ハリーと話しているかのようだな! おまえは神の子のふりをして、すべての聖なるものに対して冒涜を働いておるのだぞ」
「それはあなたがおっしゃっているだけで、わたしは何も言っておりません」イエスの声には氷の端のようなとげとげしさがあった。「イエスの肉体的な現れを認識することができますか。友よ、あなたは溺れてしまっているのではないでしょうか。ここのだれもがわたしがイエス・キリストであることを知っています。サン・ジェルマンはサン・ジェルマンだし、メルキゼデクはメルキゼデクなのです。そしてわたしたち、マスターと呼ばれる者はシャンバラの五次元世界に存在しているのです」
「たしかに!」聖職者はさらに怒りを増幅させた。「おまえがそこに住んでいるのなら、もう二千歳を超えていることになるがな!
おまえらはみな嘘つきだ! 最悪なのは、ここに住むみながおまえの主張するファンタジーを信じていることだ」怒って頭を左右に激しく振ると、房付きの小さな帽子は飛びそうになり、片方の耳にかろうじて引っ掛かった。聴衆からは笑いの渦が巻き起こった。ぼくたちもつられて笑った。バルは叔父に近づき、腕を引っ張った。
「こっち来てよ、ルイギおじさん。これ以上話しても意味ないよ」
「あすわたしたちは家に帰ることになるだろう」枢機卿はささやいた。「おまえも帰るんだ。わたしには連れ帰る責任があるからな。有名なシャンバラの楽園が泥棒と悪漢どもの巣だったとは。わたしがここに来ることは二度とないだろう。息子よ、おまえをここで見つけられたのはよかった。さあわたしといっしょに帰って、聖職者になるための本を読むんだ。法王はおまえのためにひそかに聖職者の職を用意されているのだ」
「そうなんですか」バルは怒りをかろうじて抑えながらなだめるように言った。「もしぼくが見せかけの地位をもらって喜ぶと思われるなら、あなたはバチカンの勘違いした連中の仲間だということになるでしょう。ぼくは戻りません。ここに残ります」
「それについてはもっとよく考えよう」枢機卿の声には優越感がにじみ出ていた。ぼくはこのやりとりを聞いて、少年に助けが必要だと思った。そのときイエスが演壇から降りてきた。まるでぼくのささやきが聞こえたかのように、彼はニヤリと笑った。確信を得た彼はうなずいた。
枢機卿は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。彼はいやがるバルの腕を引っ張り、群衆のなかを進んでいった。彼は浮かび方を学んでいなかった。彼が近づくと人々はよけながら元気いっぱいに声をかけたり、刺繍の入った肩をポンと叩いたりした。
とても愛らしい赤毛の若い女の子が枢機卿の帽子をもてあそびながら、バルに手を振った。「あなたに会いたいって人がいるわ」と彼女は言った。「とても重要なことなの。仕事に関係したことよ」
「この子はどこにも行かないよ」枢機卿はつぶやいた。「この神に見捨てられた国のホテルに戻るだけだ」
少女が自分の手を、バレンシオをしっかりとつかんでいる枢機卿手の上に置くと、その指は袖を放してしまった。そして同時にきわめて高位の聖職者は消え始めたのである。つぎの瞬間、枢機卿とまばゆい服装一式は完全に消えてしまった。イエスとぼくは驚愕しているイタリア人の少年のすぐ近くでそれを見ていた。
「枢機卿はバチカンに戻られた」イエスは説明した。「わたしが彼を家に帰した。というのも彼のふるまいは祭礼の祝賀にふさわしくなかったからね。バレンシオ、きみはラインフォート枢機卿といっしょに帰りたかったかい?」
バレンシオは勢いよく頭を振った。そして赤毛の少女の手を握った。そのときティッチが猛然と彼らに飛びかかり、這い登ろうとした。イエスは演台に戻り、笑いながら、すばらしい音楽を奏で始めた見えないオーケストラに向かって手を振った。人々はステップし、互いに腕を回し、リズムに合わせて揺れながら踊った。信じられないほど美しい虹が出て、エネルギッシュな歌の背景となった。見ていると、二人の若者が親交を持とうと近づいてきた。
バルは少女を見た。少女も彼を見た。ぼくはシシーラに出会ったときのことを思い出していた。あのときもダンスが行われていた。
「あの娘はアーニエルの娘だよ」だれかがぼくの耳元でささやいた。「名前はティーラ。彼女はバルの面倒を見るよ、心配しないで」
マヌルがぼくを追いかけてきた。ぼくを見つけて一目散に駆けてきたのはもちろんティッチだ。われわれは演台の隣の白いソファに戻った。
その夜、それからはまるで夢のようだった。退屈なスピーチだらけだろうと思っていたが、そんなことはなかった。すべての歌やダンスの質が高く、メトロポリタン劇場がうらやむほどだった。その夜のことをどう表現したらいいのか、言葉が浮かばなかった。ぼくは妻の手を握っていた。おばあちゃんはレックスの、バルはティーラの手を握っていた。われわれはとてもおいしい食べ物やケーキを食べ、典型的なアガルタのワインを飲んだ。夜が更けるにしたがい、群衆は次第に過疎になっていった。われわれはすべてを楽しんだ。空気はとても暖かく心地よく、花々やハーブの香りが濃厚に漂っていた。居眠りしたくなるのもしかたなかった……。
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