アガルタ 

26 アガルタの孤児院 

 

 バルは保護者がいなくなっても寂しがっているようには見えなかった。しばしばしゃべりに来たり、お茶を飲んだりして過ごした。ときにはティーラといっしょに来ることもあった。彼女は歌がうまく、演技もできる明るい、心やさしい少女であることがわかった。二人の間には何かがあった。彼らには幸せになってほしかった。

 数日後、朝早く、ぼくはガーデンにいた。シシーラはまだ寝ていて、ぼくはひとりあずまやで鳥の鳴き声を聞いていた。ティッチはもちろん足元にいた。海難事故が起き、父親が行方不明になったとき以来見てきたことすべてを思い返した。テロスでのトレーニングや愛するシシーラとの出会いの思い出にふけった。

 ここでの新しい友人や新しい体験について考え、幸せに感じ、まだ自分自身でいられることに――おそらく少しだけ賢くなっていることに――海の底で冷たくなって死んでいるわけではないことに、感謝した。違う次元で、違う場所で異なる生活を送っていたかもしれなかった。

 実際いま、ここでの生活ほど生きていると実感したことはなかった。

 今日の授業にいっしょに行こうとマヌルとバレンシオがやってきた。ホバークラフトに坐っているとき、バルが聞いてきた。「ぼく、ときどき天使について考えるんだ。ここに天使はいるんじゃないかって。もしいないなら、どこにいるの? もしぼくたちが生きているなら、ぼくたちが天使なんじゃないの? 聖母さまや使徒のようにだれかが天使になるわけでしょう?」

「カトリック教徒みたいな考えかたはやめなさい」マヌルは少年をしかった。「ここに宗教はないんだから。無限の創造者の信仰があるだけなんだから。天使は五次元の種族だ。死んだ人が変容したわけではない。考え方が完全に間違っているよ、地表の住人がそう信じているにしても。彼らは死んだら天使になりたいと願っている。そんなふうに天使になるのではないけれど。天使はたしかに信じがたいほど役に立つし、善良だ。人を助ける責任を負っているしね。彼らは賢く、思慮があり、次元の合間を行き来することができるのだ。天使に言及する聖書はほかの本と同様にいい本だが、想像と、地表の住人がたてまつり、信奉する実証できない歴史の混合物でもある。聖書のすべてが真実ではない。すべての作家が本当のことを書いているわけではないのだ」

 

「ごめんなさい、マリアナ。ぼくたちはそういう意味で言ったんじゃないんだ」ティムは笑いながら言った。「この本に書かれたこと、そしてあなたに伝えようとしていることは真実なんだ。地表に住む者はぼくたちが本当に存在することを知らなければならない。もうすぐ物的な証拠を見せることができるよ。それがいつかはわからないけれど。それは実際に起きるんだ。またあとで会おう」

 

「ぼく、天使と会えるかな?」とバルはたずねた。

「たぶんね」とマヌル。「すべてきみしだいだ。まずたくさんのことを学ばなければならない」

「もうわかっていると思うけど、生命があるのは地球上だけではない」とぼくは割り込んだ。「宇宙全体を見るなら、じつにさまざまな異なる形態の生命体があるんだ。基本的に人間の生命体はどこでもおなじようなものだ。創造主が形態に多少の変化を与えているにすぎない。地球だけでなくたくさんの惑星に人間の生命体が――そう呼んでおこう――存在するんだよ」

 この話はバルのような新参者にはむつかしかったかもしれない。ぼくも何か言い添えることができたかもしれない。主張を裏付ける証拠をたくさん見てきたので、このことに関し、疑念はなかった。バルはおとなしくなっていたが、すぐに証拠を見つけることになるだろう。

 ホバークラフトは停まった。宝石でできた大きな丸い建物から大勢の子供たちが流れ出てきた。子供たちはホバークラフトに乗り込み、ぼくたちのほうへやってきて、キスし、ハグし、肩を叩いた。マヌルは爆笑した。「テロスの孤児を見せたい」彼はニヤリと笑った。「これは究極の実地体験だ。子供たちよ、落ち着いてくれ。われわれは出ていくんだから」

 子供たちはすぐに引き下がった。楽しげで、騒々しいいたってノーマルな子供たちだ。

「アガルタの孤児院をお見せしたい」と彼は言った。「こちらはそんなに騒々しくないよ。さあ、はいって」

 ティッチはおとなしくなったように見えた。まわりを大勢の子供たちに取り囲まれたからである。もっとも背が高い子供からしても背中を撫でるには、図体が大きすぎた。そこで犬は伏せることにしたのである。ぼくにできることといえば、犬の鼻面を抱きかかえることくらいだったけど、犬は観念したようだった。ぼくは思わず笑ってしまった。犬はまもなくして子供たちの注目の的ではなくなった。犬はぼくの足元について歩いた。

 地上の居住者にとっては、このような孤児院を想像するのはむつかしいだろう。ここの子供たちはさぞ幸せだろうと思った。

 子供たちのひとりひとりがベッド、タンス、椅子を持っている。集会場はとてつもなく大きく、さまざまな楽器やジャングルジム、クッションが置かれていた。そのとき小さな少年がやってきてぼくの頬を軽く叩いた。

「毎晩だれかがぼくたちをベッドにまで連れていってくれるんだ」と少年が言った。「物語を話して、ハグして、キスして、おやすみって言うんだ。子供のだれかが落ち着かなかったら、慰めてくれて、もっとハグしてくれる。食事はとてもおいしいし、歯にいいお菓子を食べられるし。病気になった子供もすぐよくなるよ。いつもだれかがやってきて治してくれるんだ」

 ここには愛のための時間がたっぷりあった。小さな子供たちは愛のある環境で育てられた。そして愛でもって応えるよう励まされた。孤児たちが愛に囲まれて育つのを見るのはなんとすばらしく、はればれしいことだろうか。

「地上の子供たちがここに来ることもあります」マヌルは言った。「ときおりわたしたちは地上で困難を経験した子供を集めます。彼らは『行方不明者』として登録されます。でもだれも彼らを探そうとはしないのです」

 バルはため息をついて言った。「こんなふうに世話をしてくれたらよかったのに! この驚くべき場所で働きたい!」

 われわれはホバークラフトに戻った。

 ポジティブに考えることがどれだけ重要なことであるか、ぼくは理解し始めていた。ただ流れに乗ればいいってわけじゃない。思考の力は最強の武器であり、最強の守りであり、創造性の唯一の機会だった。そう、創造性だ。思考を通して考え、創造することで生きていくことを学ぶまで、ずいぶんと長い時間がかかってしまった。シシーリャがいなかったら、すべての教育にどうやって協力したらいいか、わからなかっただろう。片方の耳からもう片方の耳に抜けることなく、奇妙な、神秘的な方法で、知識はぼくの頭の中にとどまった。わが記憶力は信頼できた。そしてさまざまな方法でそれを強化することを学んだ。この変化の節目、新しい人生において、覚えるべきことは山ほどあったのだ。

 つぎに訪ねたのは寺院だった。われわれはプリースト(祭司)やプリーステス(女祭司)の毎日の生活を調べなければならないんだ、とマヌルは説明した。ぼくはすでに調べていた。

「プリーストとプリーステスはいつも二人一組で活動しているんだ」とマヌルはつづけた。「困難な場合には結婚したカップルが当たることがある」

「困難ってどういうことなの?」バルの質問は明快だった。

「愛はいつも純粋ってわけではないんだ」マヌルの答えもはっきりしていた。「感情的な問題を持つ人もここにはいる。困難な問題に直面したとき、いつも相談すべき聖職者がいる。そしてすべての問題に解決策があるんだ」

 だれも大きな問題をかかえていなかったので、ぼくたちは花で美しく飾られた寺院内部をガイドされながらまわった。バルがこっそりと祭壇に近づき、十字を切り、両手を握りしめた。バチカンの暗い部屋に種子は根気強く植えられていたのだ。

 一般的な意味での祭壇はなかった。いくつかの素敵な絵画や小さな演壇があり、そこにはふたりの祭司が座っていた。また美しくアレンジされた花々がたくさんあった。エレメンタルが内側、外側のあちこちではためき、色や香り、音楽が平和の雰囲気を醸し出していた。

「ここに何年いるの?」とバルがたずねた。「だれかは何百年もいるって言ってた。でも信じられないよ。彼は言うんだ、あなたは永遠に若く見えるって。それっておかしいよ!」

 マヌルはバルに向かってニヤリと笑った。「たしかにそうなんだ。食べ物や生活は生命のもっとも高度な原理と同調しているからね。地表の居住者にはけっして理解できない秘密なんだ」

「そんなに長く生きていたら、退屈じゃない?」バルの顔にはいぶかりと疑いが浮かんでいた。ぼくも来た当初はおなじように感じたものだ。

 バルの気持ちがよくわかったので、ぼくは答えた。「いや、退屈することはないよ。四時間の仕事、四時間のダンス、遊び、そういったことで想像する以上に速く一日が過ぎるんだ。一日の終わりに感じる疲れは自然で、健康的。それですばらしい眠りにいざなわれるのだから。ここに来てから退屈だと思ったことはないよ」

「ティーラにもおなじことを聞いたんだ。ティーラは笑っているだけだった。質問の意味がわかんなかったみたい」とバルは憮然として言った。「ぼくはあなたの言うことを信じるよ。だからここに滞在するって決めたんだ。ここでもっといろいろと見てみたい。ここのすべてを見たいんだ!」

 マヌルとぼくは顔を見合わせてニヤリと笑った。この少年は着実に進歩していた。彼がバチカンの聖職に就こうとしていたと考えると、ぞっとしたのだけれど。

 われらのホバークラフトは空港、森、海、小さな村々の上を飛び回った。山の上のほうに行くと、そこでは宝石が磨かれ、設計される過程にあった。バルは学校の男子生徒のように、さまざまな職人のまわりを飛び跳ね、喜んでベジタリアンの食事をがつがつと、音を立てて食べた。

 ポルトロゴスの優雅なエントランスにようやく着いたところで、マヌルが説明した。「さて今、テロスと近郊の生活を見せることができた。そして望みのものを創造するために、ポジティブであるかぎり、いかに思考の力を使うか学ぶときがやってきた」

「五次元についてはどうなの?」バルはいぶかしがった。「いつになったら、ぼく、体験できるの?」

「今日でないことはたしかだな」マヌルはくすくす笑った。「きみが勉強熱心なのはうれしいよ。そのうちすべてを学ぶことになる。さてライブラリーに行って創造の技術について学ぶとしよう。先生は最高の先生だ。アーニエルだよ」

 バルは飛び上がった。そしてあくびを押し殺そうとするかのように両手で口をおさえた。しかしあくびではなく、出てきたのは泣き言だった。「ああ、なんという……。ティーラのお父さんだよ。ここに男子トイレはあるかな? 身だしなみを整えなきゃ」



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