わたしの百大亊 第1位
100 Amazing Things in My Life
アフリカ・ルウェンゾリ山の洞窟の中で寝ていたとき、地下から交響曲(シンフォニー)が聞こえてきたこと
(1)洞窟の中で地下から音楽が聞こえてきた
自然界の音楽を聞いたことがあるだろうか。もちろん雨音だって、葉のこすれる風の音だって、炎の音だって、音感の鋭い人からすれば音楽に聞こえるだろう。しかし、わたしのような凡人にも、まれに、誰かが演奏しているとしか思えない音を自然の中にキャッチすることがある。わたしは二度、かなりの昔だが、そういう体験をしたことがあった。
一つはパキスタン北部のカラコルム山中でのことだった。黒い氷河の真向かいの草地にテントを張り、夜、ひとり寝ていると、静けさに包まれているはずなのに、外がやかましくて眠れなかった。氷河から、ギシギシという摩擦音に混じって、チューバやバストロンボーンの沈鬱で重厚な楽曲が聞こえてきたように思ったのである。今から考えると、世界的な温暖化がはじまり、氷河が急激に激しく溶けだしていたことから生まれた音楽だった。
ときおり発破をかけたような爆発音が聞こえてきた。何があったのだろうと、わたしは不安に襲われた。爆発音を何度か聞くと、しだいに慣れ、恐怖感はなくなった。おそらく氷河の端が割れて、大きな氷塊が落ちたときに発する音だったのだろう。
その後わたしは大氷河にあこがれを持つようになり、いつかパキスタン北部の大氷河の上を歩きたいと思うようになった。その夢は実現した。その際、氷河に向かう途中、やはり発破のような爆発音を聞いた。その直後にわたしは土石流に巻き込まれそうになった。それについてはまたあとで述べよう。
もう一つが、アフリカの赤道直下の山地、ルウェンゾリ註1の洞窟の中で聞いた音楽である。氷河を戴くマルゲリータ峰(5109m)の登頂を含む十二日間のウォーキングの旅はまだはじまったばかりだった。山小屋に泊まるとばかり思っていたわたしは、雇っていた地元バコンゾ(バコンジョ)族の男たち――ガイド1名、ポーター3名――が森の中の洞窟の前で荷物を下ろすのを見て、あわてて聞いた。
註1 現地の発音はルウェンズルル(Rwenzururu)。現在の発音ルウェンゾリやルーウェンゾリは、スタンリーがアルバート湖南岸で耳にしたバンプティ・ピグミー(山地の北麓の森に居住)やバアンバ族(バコンゾ族の隣の低地に居住)の発音、あるいはそれらを聞いたザンジバル人の発音がもとになっている。
「山小屋に泊まるんじゃなかったのか。ここは洞窟にしか見えないぞ」
「そりゃあんたの歩く速度が遅いからだ。山小屋も洞窟もかわらないから、気にするな」
彼らはまたたく間に枝葉を集め、火を起こし、夕餉の準備に取りかかっていた。一つの鍋でキャッサバを煮ながら、ピーナッツをボウルに入れ、摺り棒ですりつぶし、別の鍋に入れてキャベツといっしょに煮た。おいしそうなにおいが漂ってきた。
「あんたは何食べるんだい?」森の賢者(わたしがつけたガイドのあだ名)がそうたずねてきたので、彼らが作っているのはわたしのではなく、彼らの食事であることを知った。わたしはコールマンのガソリン・ストーブ(ガソリンはヴィクトリア湖近くのガソリンスタンドで入手していた)を持っていたが、調理をするのが面倒くさかったので、水筒の水とビスケットですませることにした。それにしてもキャッサバがおいしそうだった。少し分けてもらって食べると、ほんのり甘みがあり、奥深い味わいが口の中に広がり、さらに体中に拡散していくように感じられた。キャベツのピーナッツあえもおいしく、帰国後、それと似た料理を作ろうとしたほどだった。
捕捉しておくと、あくまでわたしが雇い主なのだから、彼らが作る料理を食べようと思えば食べられたはずである。しかし推測するに、ほとんどの欧米人トレッカーは現地のものを食べず、自分たちが持ち込んだものを食べるので、彼らはわたしも同類だと考えたのだろう。実際わたしは出国前、石井スポーツで登山・トレッキング用の簡易食を購入していた。
ヒマラヤでも、現地食がおいしいというようなことがたまにある。奥地に入るといい食事になかなかありつけないが、現地(ネパール・ダディン地方)の人が食べる雑穀類のごはんを食べたところ、感動するほどおいしかったことがある。健康志向の強い欧米人も、現地人からすると粗末な雑穀ごはんに高い評価を与えるのではなかろうか。
山歩きをする前日、わたしは森の賢者とともに市場へ行き、必要な食べ物の材料を買った。そのときに彼がキャッサバ一袋(20キロ)を買おうとするので、驚いた。
「どうして客はおれひとりなのに、そんなに買うのだ?」
「ポーターがひとり増えるんでね」
「もうひとり?」
「荷物20キロごとにひとり雇わなければならないというルールがあるんだ」
買ったキャベツは一玉だけだった。しかしよく見ると超巨大キャベツだった。秤ではかると、5キロもあった。こうして食材だけでポーターが2名必要になったのである。もっとも、何百人ものポーター(荷役人夫)を引き連れていた19世紀の欧米人の探検家たちと比べればかわいいものだった。
こうしてわたしは洞窟に泊まることになった。聞こえてきた音楽は、夢でも想像の産物でもなかった。洞窟の中の岩の床に寝袋を広げ、その中にもぐったわたしが、寝袋を隔てて岩肌に右耳をつけて眠ろうとしたところ、地下深くから交響曲の演奏が聞こえてきたのである。わたしは驚いて跳ね起きた。洞窟内は静まり返っていた。洞窟の入口付近には焚火の熾火がくすぶり、男たちは体を寄せ合うようにして眠っていた。夢でも見たのかと思い、わたしはもう一度体を横たえ、右耳を岩肌の上に置いた。するとやはり地下から音楽が聞こえてきたのである。カラコルムの氷河の音楽よりも、メロディがしっかり聞こえた。どこかで聞いたような音楽だった。しかし旋律は完結することがなく、いつまでも新しく生まれた旋律の中に消えていった。わたしは何度も耳をつけてみた。
地下深くでオーケストラが演奏しているのだろうか。
少し論理的に考えてみた。この下には地下水脈があるのだろう。10個のグラスにさまざまな量の水を入れて並べ、棒で叩くと、木琴のような音楽が生まれる。吹奏楽器だって、チューブに空気を通すことで音楽が生まれる。おそらく洞窟の地下にチューブがあり、そこを水が走ることによって、音楽が生まれているのだ。チューブは1本ではなく、2本、3本、いや無数にあるのではなかろうか。だからソロの旋律ではなく、オーケストラが奏でる複雑な交響曲のように聞こえるのだろう。
地下水脈が無数に走っている可能性はあった。わたしがここにいるのは、そもそもこの地域に水の量(降雨量)が極端に多いことを確かめたかったからだった。わたしがめざしていたのは、古代から「月の山脈」と呼ばれたナイルの源流(と考えられた場所)だった。わたしはそれをめざしたリチャード・バートンやスピーク、あるいはリヴィングストンやスタンリーといった探検家にあこがれていた。現在、ナイルの源流はビクトリア湖にそそぐ川のもっとも遠い水源ということになっている。
しかしルウェンゾリ山地は多雨地域であり註2降った雨が地下水流となってヴィクトリア湖やエドワード湖、アルバート湖、ナイル川上流にそそがれるとわたしは想像した。またルウェンゾリ最高峰のマルゲリータ峰はヒドゥン・クレバスだらけと言われていた。山全体に裂け目や穴が多いのは、多雨地域であることと無関係ではないとわたしは考えた。ルウェンゾリはナイル川源流と考えられたほど雨が多く、地下水脈が無数に走っているのだろう。だからこそ洞窟の下から大量の音が発生していたのだ。それを「旋律」と認識したのは、わたしの脳の勝手な働きだったかもしれないけど。
註2 実際わたしが考えるほど降雨量は多いわけではなく、せいぜい年間1500ミリにすぎない。ただしたとえば今天気予報を見ると、10日間のうち9日間は雨(小雨)が降り、雨が降らないのは一日だけにすぎない。つまり大雨はめったに降らないが、つねにしとしとと小雨が降っているということになる。ルエンゾリの湿地帯に行くと、そこは「結晶世界」ならぬ「苔世界」である。
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