(11) 宣教師リヴィングストンが探検に加わる 

 アフリカ探検の主役といえば、スコットランド人医師、宣教師のリヴィングストンだ。彼が南アフリカの地に降り立ったのは1941年、27歳のときである。そもそも探検を目的としてアフリカにやってきたのではなく、ロンドン伝道協会から派遣された宣教師として、アフリカに福音を広めるのが主眼だった。1949年にはカラハリ砂漠を縦断してヨーロッパ人としてはじめてヌガミ湖に達した。王立地理学協会から高く評価され、この成功から探検家と呼ばれる宣教師が誕生したといえるだろう。

 リヴィングストンは1851年にヌガミ湖北方の王国マコロロの都リニャンチを訪ねた。旧知の国王はすぐ死んでしまったが、息子のスケルツ王が食糧や武器など、全面的にバックアップしてくれた。1853年にリニャンチを出発し、翌年には西海岸のルアンダに到達した。

 1855年にルアンダを出発したリヴィングストンは、大きな滝(ヴィクトリア滝と命名)を経て、翌年インド洋に面したケリマネに着いた。彼はアフリカ大陸を縦断したはじめてのヨーロッパ人となった。

 ザンベジ川流域を中心に探索を進め、伝道活動をつづけていたリヴィングストンに転機が訪れた。1865年、ナイル源流を確かめるよう王立地理学協会に依頼されたのである。すでにヴィクトリア湖は発見され、ナイルの水源とされていたが、まだ湖にそそぎこむ川については調べられていなかった。またタンガニーカ湖だけでなく、いくつか湖があることがわかっていたが、それらがナイル川とつながっているかどうかは確認できていなかった。

 1866年、リヴィングストンはムウェル湖を発見した。彼はこの湖から流れるルブア川がナイル川になると考えた。実際、ルブア川はニャングウェでルアラバ川となり、キサンガニでコンゴ川となった。つまりこの流れは大西洋にそそがれるのであり、ナイル川の上流ではなかった。ここで気づかれる方は気づかれるだろう。この川はコンラッドの古典小説『闇の奥』の舞台だった。コンゴ川上流のニャングウェやタンガニーカ湖の東側のウジジは奴隷交易や象牙交易の中継地点だった。リヴィングストンはナイル川源流を探しながら、奴隷売買をやめさせようとしていたが、なかなか思うようにはいかなかった。やめさせるどころか、奴隷貿易業者に探検の手伝いをしてもらうこともあった。



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