(17) トロ王国からの分離独立運動
今のウガンダのあたりには、キタラ帝国と呼ばれる国があった。六、七百年前は、キタラ帝国のチュウェジ王朝がもっとも栄えてた時代だ。チュウェジ王朝が滅びると、分裂していくつもの国ができたと言われる。その一つがアルバート湖の東側のブニョロ王国だった。ルウェンゾリ山のバコンゾ族やバアンバ族がその支配下にあったかどうかははっきりしない。少なくとも直接的な統治はなかったと思われる。
18世紀後半になるとブニョロ王国は衰退し、トロ王国やブガンダ王国がそのぶん勢力を増していった。ルウェンゾリ山の麓の東側に領土を持つトロ王国は、1830年、オムカマ(国王)カボヨ・オリミ1世のもと独立を果たした。1876年にはひとたびブニョロ=キタラ国に吸収されるが、1891年にもう一度独立する。
当時この地域の領有をめぐって英国とドイツが争っていたが、英国が実権を握り、1890年のヘルゴランド・ザンジバル条約が締結された。そして1894年、イギリスの保護領であるウガンダ王国が成立する。この王国の中核となったのはバガンダ族のブガンダ王国で、全ウガンダ(ウガンダはブガンダのスワヒリ語)の2割程度の領土である。つまりウガンダは連邦王国のようなものだった。
トロ王国はそのいくつかの王国の一つだった。重要なことは、彼らは明確に親英の立場を取り、それによって発展し、20世紀はじめにはルウェンゾリ山のバコンゾ族やバアンバ族をも支配下に置いたからだ。一方ブニョロの王室は反英を堅持したので、英国は親英のトロ王国を支持した。ブニョロはこうして衰退していった。
バコンゾ族やバアンバ族はトロ王国に従属しながらも、1950年代に入るとウガンダの保護領に組み込んでもらうよう動き出した。国連に加盟するような国ではなく、あくまでウガンダの中の国である。自治州のようなものと考えればいいだろう。バコンゾ族とバアンバ族のルウェンズルルは、ブニョロ王国ならともかく、トロ王国の傘下に入る必要性も義務もなかった。
彼らのトロ地区内における武装分離独立主義活動は、「ルウェンズルル運動」と呼ばれた。すでに述べたように、ルウェンズルルはルウェンゾリの現地の発音である。彼らの目標はルウェンズルル王国の建国だった。
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