(21) エジプトははるか遠くの雪で育まれる 

 クラウディオス・プトレマイオス(83?-168?)が、ギリシア商人ディオゲネスの報告をもとに、「月の山脈」に言及していることはすでに述べた。しかしそれより五百年早く、アテナイ三大悲劇詩人のひとりアイスキュロス(前525?-456?)は、『救いを求める女たち(ヒケティデス)』のなかで、「(命を与えるナイルの流れによって)はるか遠くの雪に育まれるエジプト」と表現している。二千五百年前には、すでにナイルの源流が雪の山であることが常識として知られていたかのようだ。

 該当の箇所をあたらしい翻訳で見てみよう。

翼の牧人の針に悩みつ、
辿りきたりしは、かのゼウスの
一切を育む聖域にて、
テュポースが怒りに見舞われし、
雪に養わるる牧草の地、
ついでネイロスの病苦知らぬ流れ……
汚辱の苦難に心狂い、
鋭きヘラの針に刺さるる
苦痛に踊り狂いつつも。


 この場面では、牝牛に変えられて、虻に追われながら流浪する哀れなイーオーの様子が描かれている。「翼の牧人」とは虻のたとえだ。イーオーは虻にチクチク刺されながら、追い立てられてゼウスの聖域に達した。イーオーはゼウスの恋人というか愛人で、妃のヘラがやってきたので、ゼウスによって白い牝牛に変身させられたのである。そこはテューポスの怒りに見舞われている。このテューポスは「タルタロスとゲーの子で、百の蛇の頭と火のような眼と、恐ろしく大きな声をした恐るべき怪物」だという。この名称はタイフーン(台風 typhoon)の語源でもあり、嵐を表わしているのかもしれない。

 この翻訳では雪に養われているのは牧草の地である。そこからナイル(ネイロス)が流れ出しているので、ほぼ同じことを言っているのだろう。しかし旧訳のように、ナイルの流れによって、エジプトが遠くの雪に養われるとしたほうが、よりロマンを感じさせる表現だ。

 アレクサンドリア図書館が失われたことによって、それを元凶と決めつけることはできないが、エジプト文明の大半が失われてしまった。しかし普通に考えれば、古代エジプトはアフリカ各地に調査隊を送っているはずだし、ナイルの源流も調べているはずだ。そして源流が万年雪をかぶる高山であるという事実はエジプト国民に驚きをもたらしただろう。

 近代の西欧列強の地理学協会が認定するようにエジプト人がナイルの源流を認定したとは思えない。ナイル川の水流の(わたしの考えでは)過半数がルウェンゾリ山地から来ている。すでに述べたように、山地に発するすべての水流はヴィクトリア湖、ジョージ湖、エドワード湖、アルバート湖を経て、白ナイル川にそそぎこんでいるのである。



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