(22) わが少年時代の源流探検記 

「この川のおおもとはどうなっとるんじゃろ」
 平凡な川の川岸を歩きながら、I君は不意にそうたずねた。彼はわたしよりずっとおとなだったのだろう。いわばわたしにとっての(ヘッセの小説の)ダミアンだった。好奇心のかけらも持たなかったわたしは、川の源を探るという考え方そのものに驚いた。
「わからんがの。山の上の泉から湧き出ちょるんじゃろ」

 中学二年生の多感なふたりは、つぎの日曜日に自転車に乗って徳山市内(現周南市)を流れる川沿いの道をさかのぼっていった。いまグーグルマップで確認しようとしても、うまくいかない。おもな川はそんなに長くなく、山に入るとすぐに消えているのだ。そんなところに源流があるのでは面白くないし、実際わたしたちはかなり山の上のほうに入っていった。川のもっとも長い源流を探るのは不可能と考え、ダム湖のそばに自転車を置き、支流の源を探るべく、森の中に入っていった。この森があとで述べるドキュメンタリー番組の中に映っていた森と酷似していた。別の森かもしれないが、距離的には近く、雰囲気はよく似ていた。

 しばらくは山道があった。ほぼまっすぐ流れる小川を見失わないように木々の間の小道をたどり、木陰の落ち葉を踏みしめ、切り株の横や岩の合間を歩いていった。一か所、じめじめした薄暗いところがあった。そこは山蛭の棲み処だった。暗褐色の尺取虫のような山蛭を見るのははじめてだった。後年、ヒマラヤや西南中国の山中を歩くときに顔なじみになった山蛭との初対面だった。

 しだいに道やすきまがなくなり、仕方なく溝のなかの水の流れ以外のところに足を置きながら歩いていった。大きな石から大きな石へと歩を進めていった。流れはもはや小川といった感じではなく、水の柱に近かった。V字の溝を一本の水流が勢いよくほとばしっていたのである。ところどころ土の壁から水が湧き出ていた。泉といった感じではなく、ドバドバと水が噴き出していた。溝の幅は狭くなり、左足を左の土壁、右足を右の土壁に置いて大股で歩いていった。そして足の置き場がなくなり、冷たい清冽な水の流れに足を浸すこともあった。

「源は近いじゃろ」
「すぐそこじゃろう」

 森に入ってから、もう三時間くらいは歩いていた、いや駆けていた。大自然に浸ることはなく、スポーツ選手のように足を動かしていた。溝はしだいに細く、浅くなっていった。この先に何があるのだろうか。駅前ロータリーの噴水のような泉があるのだろうか。わたしは胸のときめきをおさえることができなかった。全速力で走りたかった。しかしいま以上に早く走ることはできなかった。

 突如世界が変わった。激しい水の流れが消えていたのだ。わたしたちは茫然として立ちつくした。突然走る必要がなくなったのだ。あちこちでサラサラという水の音が聞こえた。いつのまにか沢に到達していたのだ。石の合間や芹、苔の下から水があふれるように湧き出ていた。このあたり一帯が源流だった。なかには水がこんこんと湧き出ているところがあった。これを泉と呼び、源流と認定してもいいだろう。しかしよく見るとそういう泉がいくつもあった。やはり沢全体が源なのである。

 源流を「発見」したわたしたちが少なからず満足したのはいうまでもない。だれも発見したことのない秘密をつきとめたかのような気になった。おそらく人間はだれもが自分の川を発見し、その秘密を明かすことができるのだ。

 自分の少年時代の「裏庭探検」と19世紀のアフリカ探検を同列に扱うのはおこがましいことだが、人間の心理には共通するものがあるのではないかと思う。どんな川でも、それが目の前を流れる市内の平凡な川でも、源はかならずあるはずだ。エジプトの古代文明を潤してきたナイル川ともなれば、それは何か特別なものであるにちがいない。

 古代ギリシアの悲劇に描かれている内容から、古代エジプトではナイルの源が雪山であると信じられていたことがわかった。2世紀頃までにはその雪山は「月の山脈」と呼ばれるようになっていた。この「月の山脈」を探すために19世紀の探検の時代がはじまったといっても過言ではなかった。もちろんナイルの源流としては月の山脈(それはルウェンゾリ山地であることが判明する)という線は消え、ヴィクトリア湖、さらには湖に流れ込む川の最長の源流に焦点は移っていった。

 今でも、赤道直下の山が氷河を戴き、万年雪に覆われているのは信じがたい奇跡であるように思えてならない。しかしごく最近のレポートによれば84%の雪および氷河が消失してしまったという。雪の衣を着ていたあたりは、写真を見ると、ごつごつした黒い岩だらけである。このペースで行けば、雪も氷河もいずれ消えてしまうだろう。もはやゼウスがいる聖なる空間もなければ、ンズルル(雪の精)の姿も減り、人類の神話も消えつつある。この環境変化は人間の力ではどうしようもないようだ。


 ところで数年前、テレビのチャンネルを回していると、たまたまNHKの番組「事件の涙」が再放送されていた。2013年に山口県周南市金峰(みたけ)で起きた「山口連続殺人放火事件」を犯人の心理から迫った良質のドキュメンタリー番組である。無味乾燥な正式名だが、当時は横溝正史の『八つ墓村』を地で行く陰惨な事件として人々を震え上がらせた。限界集落で人間関係が悪化した場合の最悪のケースだった。隣近所の顔なじみ五人を殺害し、火を放つというあまりにもむごたらしい事件だったので、当時、わたしはその詳細を知ろうとは思わなかった。

 現場近くの森が映し出されたとき、氷の中に閉じ込められていたわたしの記憶が溶けだしてきた。とてもなつかしい森。そう、わたしはここに来たことがある。金峰はもともと半分は鹿野町、半分は徳山市に属していた(と最近知った)。4歳の幼児の頃わたしは鹿野町に家族で住んでいた。幼児の頃とはいえ、わたしになじみのある地域だった。しかしその頃の記憶ではなく、14歳の頃に行ったことのある記憶だった。わたしは実際この森を見たことがあった。この陰惨な事件があった村は、わたしが少年の頃源流を求めて入っていった森のすぐ近くだった。



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