(3) うじ虫フラワー 

 わたしはチベット、ヒマラヤなどアジアの山岳地帯をこよなく愛している。よりこまかく言えば、西はカラコルム山脈から東は中国の雲貴高原までの山や高原がとくに好きで、機会が許すかぎり、体が動くかぎり歩いてきた。都内にいても、自転車のベルの音がたまたまヤク の鈴の音に似ていると、その瞬間ヒマラヤの風や陽光のなかにいるような気になったことがあった。

 そんなわたしにとって――当時すでにヒマラヤやカラコルムを何度か歩いていた――アフリカの山は異次元世界だった。森を抜け、だだっ広い湿地デルタに出ると、巨大ツクシがニョキニョキと生えているかのように、ジャイアント・ロベリアが散らばっていた。数千年前の恐竜の時代に紛れ込んだかのようだった。わたしはこのジャイアント・ロベリアを見ることができてほんとうによかったと思っている。もし見ていなかったら、こんなものが世に存在するとは信じなかっただろう。

 山肌には無数の種類の苔、地衣類がしがみついていた。さまざまな色、形の苔があるのはわかったが、何ひとつ名前を与えることができなかった。自分が苔や地衣類の専門家で珍しい種類を発見することができたらどんなによかっただろうと思った。毎日ほとんど小雨が降っている。からりと晴れるようなことは乾季でさえなかった。J・G・バラードなら『結晶世界』ならぬ『苔世界』を書いたことだろう。森は熱帯雨林ではなく、雲霧林だった。雲霧林が切れると、湿原が広がった。

 しばらく歩くと、丘の上にいかにもジャングルといった感じのトロピカルな林が見られるようになった。これはデンドロセネシオという植物の群落である。じつは樹木ではなく、キク科の植物だという。そもそもジャングルという言葉は不正確だ。ネパールのガイドは森の入口で「ここから先はジャンガルです」などと言う。インド、ネパールの言葉で森をジャンガルと呼ぶ。日本では世代によってはジャングルと耳にしただけでツタにつかまったターザンがやってくるような気がするが、ライオンやゴリラ、サルなど百獣が棲むアフリカのジャングルなんてものは存在しない。しかしともかく、デンドロセネシオはわれわれがイメージするジャングルに近い雰囲気を醸し出している。

 ムブク川をさかのぼっていくと主流はベイカー峰の山塊の左(南)を上がっていくが、われわれトレッカーは右側を流れる支流のブジュク川をたどっていく。この川の水が琥珀色であることに驚かされた。なぜこんな色をしているのだろうか。飲むことができるだろうか。口にした瞬間、血を吐いている自分の姿が脳裏に浮かんだ。

 ブジュク湖も湖面が琥珀色の神秘的な湖だった。しかし最近ネットで画像を確認すると、ごく普通のブルーの湖面の湖である。これはどういうことだろうか。シーズンによって色が異なるのか。われわれはともかく湖岸で一息ついた。枯れたデンドロセネシオの樹皮(正確には樹皮ではないが)を集めて燃やして焚火をつくり、お湯を沸かした。わたしは自分のカップにお湯とティーバッグを入れ、紅茶を楽しんだ。

 目の前に枯れたデンドロセネシオの残骸があったが、どう見ても樹木である。幹の中は文字通り空洞だった。茎だと思えば空洞でも不思議ではないのだが、樹木の幹の中が空洞なのはどう考えても奇妙だった。デンドロセネシオを燃やして氷河融けの琥珀色の水を沸かしてつくった紅茶はおいしかった。

 湖からエーデルワイスに似た白や薄ピンクのエヴァーラスティング・フラワー(正確にはヘリクリサム・フォルモシッシシマム Helichrysum formosissisimum)が咲き誇る野原の斜面を上がっていった。標高4千メートルを越えると、花は少なくなり、目につく生きものも姿が見えなくなった。そう思いかけた頃に一輪のエヴァーラスティング・フラワーが元気よく咲いていた。と思ったら、それは花弁ではなく、うごめく白い芋虫のようなうじ虫だった。「ひえー」と叫んでわたしは駆けだした。

 いまでもわたしはそのシーンを思い出そうとする。あれは何だったんだろう。白い花弁が虫のように見えただけではないのか。

 わたしは先を歩いていた森の賢者に追いつき、花に見えたものが芋虫だったんだと話した。おばけを見たと先生に必死に訴える子供みたいに。

「そんなことがありえるだろうか? 目の錯覚だよね」
「もしそう見えたんなら、そうなんだろう」

 標高4千メートルともなれば酸素が薄くなり、現実と白日夢の境界があいまいになるものだ。いま、なぜそのとき立ち止まって確認しなかったのか、不思議でならない。やはり白日夢だったのかもしれない。



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