(4) 崖っぷちの穴 赤道直下の吹雪 

 エヴァーラスティング・フラワーの野原を抜けて岩がちの斜面を上がっていく。森の賢者はしかし、上方の経路を取らないで、崖のほうに近づいていった。そこが崖であることは、崖のふちにたどりついてはじめて気がついた。

 そこから湖が俯瞰できた。デンドロセネシオに囲まれた宝石のように美しい湖に魅入られ、吸い込まれてしまいそうだった。そのとき、ふと気がついた。崖っぷちが危ないのは当然だけど、崖っぷちの手前にも大きな穴がいくつかあいていて、きわめて危険なのだ。足を滑らせたり、転んだりすることは許されない。森の賢者にたずねた。

「ここって危なくないか?」
「危なくはないさ。山に登るときはこんなもんだろう。怖いと思えば怖くなる。いままで平気な顔をしてたではないか」

 わたしは拳くらいの大きさの石をつかんで穴に投げた。すぐ下に地面があって、そこに降りていけるのではないかと期待した。

 しかしいつまでも壁や底に当たって跳ね返る音がしなかった。穴の深さは百メートル以上だろうか。そう気づいたとき、途端に膝がガクガク震えはじめた。もし落下したら、そのまま死が確認されることなく、ずっと行方不明のままになってしまうだろう。途中でひっかかったら、最悪だ。そこで餓死するまで来るはずのない救助を待つことになるのだろうか。まんが日本昔話の「吉作落とし」(岩茸とりの若者が崖の途中に取り残されてしまう話)みたいなことになってしまいそうだ。

 もとの斜面に戻り、ふたたび上をめざした。崖っぷちに行く前に、ポーターたちとは離ればなれになっていた。彼らに「つぎの山小屋で待っている。ゆっくり登山を楽しんでくれ」と言われたとき、わたしは正直驚いたのだけれど、彼らの足元を見ると、ふたりは穴だらけのシューズを、ひとりは草履をはいていた。これだけでも奇跡に近いが、雪線を越えるのは不可能だ。わたしの荷物は山頂に近い山小屋までガイド(森の賢者)が運ぶ。彼は穴のあいてない古いシューズをはいていた。彼は荷物を置くと、この地点まで戻り、つぎの山小屋まで歩いてポーターたちと合流する。はじめてのアフリカの5千メートル級の山にひとり取り残されることになるのである。

 しばらく歩くと、粉雪が最初ははらはらと、しだいに激しく降ってきた。この15年後に四川・雲南省境付近の山で雪嵐のため遭難しかけるが、このときはうれしくてたまらなまった。赤道直下のアフリカで雪にあうなんて奇跡ではないか! さらに歩くと雪が積もっていた。すぐに深さが20センチくらいになった。わたしの心臓は喜びに高鳴った。子犬みたいに雪の上で自分のしっぽを追いかけてクルクル走り回りたかった。

 ガイド(森の賢者)は荷物を置くと、山小屋の外に出てマルゲリータ峰の方向を指しながら、簡単に登頂の仕方について教えてくれた、はずである。しかしその内容には具体性がなかった。地元民とはいえ、彼らにとってここは精霊たちが棲む聖域であり、人間が近づいてはいけない場所なのだった。おそらくガイド(森の賢者)は登ったことがないのだろう。そのおざなりの説明のために、わたしは翌日少々痛い目に遭うことになった。

 コールマンのガスストーブは役に立たなかった。酸素が薄すぎて火が着かないのだ。下でかき集めた枯れ木で火を作ることにした。それにガソリンをかけてマッチを擦る。一瞬炎が激しく燃え上がり、狭い調理小屋を焼いてしまいそうだった。しかしつぎの瞬間にはすっと消えてしまった。ガソリンは揮発性が高すぎたのだ。やはり持続する火が必要だ。沸点が低いこともあり(ここは標高4500メートル以上)、ぬるま湯しか得ることができなかった。ぬるい紅茶とメンがガシガシのインスタントラーメン。それでもわたしにはごちそうに感じられた。

 ここで強調しておきたいのは、わたしはあくまで登山に関してはシロウトであり、プロでは考えられないいくつものミスを犯してしまったことである。一つは、防寒対策がしっかりできていないことだった。標高4500メートルを甘く見ていた。夜が更けるにしたがい、山小屋の中にいても寒さは耐えられなくなり、ついには体が痙攣するまでになった。防寒具もシュラフ(寝袋)も十分ではなかったようだ。なんとかしのぐことはできたが、寝不足になってしまった。

 朝、4時までには出発すべきだったが、寝不足解消のために余計にシュラフの中で過ごさねばならなかった。つまり寝坊してしまったのである。起きてからも冬の蠅のように動作が緩慢だった。ようやく出発できたものの、いきなり信じ難いミスを犯してしまう。登頂ルートを間違えてしまったのである。



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