(5) ああ岩壁から落下
わたしは登頂ルートの入口を間違え、別の場所をよじ登っていた。ガイド(森の賢者)はそんな初歩的なミスを犯すとは思わなかったのだろう。ぞんざいな説明の仕方に問題があったが、命にかかわることなのに、確認を怠ったわたし自身に第一の責任があった。
それでも最初は順調に岩をよじ登っていた。しかしもちろんしばらくして間違いに気づき――このペースでいったら頂上に着くのは何日後になるやら――それでもスタート地点に戻るのはもったいないと思い、岩壁を伝って正しいルートへ近道で行こうと考えた。
想像してみてほしい。岩壁にへばりついたわたしがわずかに出たひさしの部分に足を置いてゆっくりと平行移動していく姿を。最初、ひさしの部分が広かったので、足首を開いた状態ですばやく動くことができた。しかしひさしの部分がみるみる狭くなっていった。そしてこれ以上進めないことに気がついた。ひさしがなかったのである。仕方なくわたしは引き返そうとした。しかしいざ引き返そうとすると、思った以上にひさしの部分が狭い。しかもへばりついている胸の高さの岩壁が張り出している。わたしはここに来られたのだから戻れるはずだと思い、一歩右側に踏み出した。その瞬間に胸を岩壁にぶつけ、体が弓なりになり、バランスを失ったわたしは空中に投げ出された。
わたしは落下していたのである。すべてがスローモーションで進んだ。よく人生のすべてが走馬灯のように現れるというが、そんなことはなかった。死ぬかもしれないという意識はなかったのだろう。あのタイの山岳地帯の激流に流されたときのように、妙に落ち着き、すべてがスローで動き、わたしは落ち着いて観察することができた。背中から10メートル下の雪だまりに落ちた。雪の間にたくさん岩が突き出ていたが、それに当たらなかったのは幸いだった。
背筋を痛めてしまったが、スタート地点に戻り、今度こそ正しい登山ルートに沿って歩き始めた。道を失ってしまうことは考えにくく、順調に登っていった。山小屋とマルゲリータ峰の頂とでは標高差600メートルくらい。3時間くらいで登頂できそうだ。
わたしは開放感に浸っていた。4600、4700メートルの雪および氷河の上をたったひとりで歩いているのだ。こんなに気持ちのいいことがほかにあるだろうか。雪や氷河がほとんど消失してしまった現在は、もう体験することができないのだ。
ふと下を見ると、はるか下方に鷹が遊泳しているのが見えた。鷹は気持ちよさそうにすいすいと舞っていた。言い換えるなら、この高さなら動物はほとんどいないということである。鷹ももしこの標高までやってきたなら、酸素が少なくて苦しくなるだろう。
何の問題もなように思われたが、1時間、2時間と歩いていると、突然下の方から白い霧が湧き出てきて世界を包み込んだ。ホワイトアウトの状態である。無風だった。しかし霧はどんどん濃くなり、自分の手も確認できないほどだった。世界が真っ白になると、自分がどこを歩いてきたか、これからどこへ歩けばいいかわからなくなった。しばらくすると風も出てきた。白い霧はだんだんと黒ずんでいった。天気が豹変する可能性があった。
わたしは引き返すことにした。無理すれば、できなくはない。しかし道をあやまって滑落する自分の姿が脳裏に浮かんだ。こういう予感は当たるものなのだ。じっさい、滑り落ちそうになって、ピッケルを雪に刺してなんとか滑落しないですんだ。
山小屋に戻ると森の賢者がわたしを待っていた。登頂には成功しなかったというと、「じゃあ明日もう一度チャレンジするか」と聞いてきた。わたしは再チャレンジするという選択肢があったのかと驚いたが、しばらく考え、登頂は断念することにした。日本では仕事が待っていた。一日帰りを遅らせると、結果的に何日も遅れてしまうことを経験的に知っていた。わたしたちはすぐに南へのルートをたどった。
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