サドゥーとして再出発 

 1905年10月6日、16歳のスンダルはサドゥー・スンダル・シンとして靴も、お金も持たず、友人もなく、インド北部の平原を歩き始めた。彼は人々と福音書を共有しようとある村にさしかかった。聖者の印であるサフロンの衣とターバンを見て村人は暖かく迎え入れた。しかしひとたび彼がクリスチャンであると知ると、途端に冷たくなり、拒絶し、村から追い出した。彼はおなかをすかせたまま何日も歩き続けた。

 そうやってパンジャブの平原を歩いていると、実家のあるランプルの近くであることに気づいた。彼は思い切って実家を訪ねた。しかし彼はもうその家の息子ではなく、夕食にあずかるどころか部屋の隅に追いやった。いっしょに食事をしたなら、その食事はけがれてしまうと家族は考えたのだ。父親は水差しをもって息子に近づき、息子は両手で水をもらい受けた。カーストの高い者がアウトカーストにするふるまいだった。スンダルはとめどなく流れる涙をおさえることができなかった。

 流浪のサドゥーとなったスンダルは自分と見かけがそっくりのサドゥーと会った。しかし彼はヒンドゥー・サドゥーであり、釘の寝床の上に横たわっていた。スンダルはなぜ自らを痛めるのか理解できなかった。

「これは苦行なのさ。釘の寝床に寝ることで肉体と欲望を破壊する。こうやって神に仕えて、自分の罪と悪い心に注意を払うのだ。この釘よりも悪い心のほうがもっと人に痛みを与えるものなのだ。すべての欲望を殺し、自分自身を解放し、神と合一化するのがおれの最終目標だ」

 サドゥーはこの修行を18か月つづけているが、もっと多くの時間、もっと多くの人生が必要だという。スンダルはサドゥーの話を聞きながら、ヒンドゥー教の苦行はなんとむなしいことだろうと思った。この人生でゴールに達しないのに、あといくつ人生があったらゴールに達するというのだろうか。何千、何万の人生があっても、ゴールに達しないのではないだろうかとスンダルは考えた。

 スンダルはサドゥーに問いかけるように言った。

「兄弟よ、平和というのは神からの贈り物ではないのか。自己否定や犠牲によって得られるものではないだろう。神の生活を探し求めるのであって、肉体の死を求めているわけではないはずだ」

 しばらく行くともうひとりの苦行するサドゥーと会った。彼は両足を縄でしばり、木の枝からさかさにぶらさがっていた。スンダルは木の下でサドゥーが苦行を終えて降りてくるのを待った。

「何のためにこんなことをやっているのですか? 目的は何ですか?」

「人はおれが木からさかさにぶらさがっているのを見て驚くが、これが神に仕え、苦行を受ける自分なりの方法なのだ。さかさまになっていると、自分自身も、他人も、罪にとらわれ、神の目から見ればさかさまの人生を送っていることがよくわかるのだ。何度も何度もおれはさかさまになる。神の目から見てまっすぐ立っているように見えるまで、おれはさかさまになるのだ」

「たしかに世界はさかさまで、それは罪深いものかもしれません。でも私は尋ねたいのですが、自分の強さで自分たちを正しくすることはできないのですか。神ではなく自分の力で悪いものを正しくし、悪い考えや欲望から解放することはできないのですか」、

 ヒンドゥー・サドゥーはしばらく考えてから言った。

「うまく言ったものだな。おまえの言葉をよく考えてみよう」

 スンダルを西へずっと歩きつづけ、カイバル峠を越えてアフガニスタンに達した。ジャララバードの街角に立ち、数週間、辻説法をした。しかしここの人々はパシュトー語しか話さないことがわかり、インド領内に戻る決心をした。

 


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