キリスト教聖職者になるための訓練 

 チベット(スピティ)の山岳地帯で過ごしたあと、スンダルは都会のまぶしい光のもとに出ることになる。シムラとランプルのあいだにあるコトガルという村で、彼はスシル・ルドラという男と出会った。スシルはクリスチャンで、デリーの聖スティーブン大学の校長だった。避暑のためにコトガルに滞在していたのである。彼は教師の英国人チャールズ・アンドリュースとともに来ていた。チャールズは、インドのクリスチャンはインドらしくあるべきだと考えていたので、スンダルとウマがあったようだ。

 チャールズとスシルはスンダルに、資格証明のようなものを持っていたほうがいいと提言した。そのためには正規の聖書学習をすべきだというのだ。また新約聖書だけでなく、旧約聖書もすばらしいものなので学習すべきだと語った。

 スンダルは推奨されるがまま、ラホールの聖ジョン神学大学で2年間学ぶことになったが、これは彼にとって容易なことではなかった。

 当然のことながら彼は場違いな存在だった。ほかの学生はきちんとした身なりをして、スーツケースをもっていた。彼らは息子を溺愛する母親と厳格な父親を連れ立っていた。一方スンダルは天涯孤独で、サドゥーの恰好をしていた。学生たちはおしゃべりや遊びに興じ、瞑想には興味を示さなかった。彼らはディーコン(助祭)や牧師をめざしたが、スンダルはいかなる規制のある職種も好まなかった。

 学生のなかには、あきらかにスンダルを好まないグループがあった。そのリーダー格はプレムという名だった。あるときスンダルはカフェテリアを出て、校庭の木にもたれかかって座り、大きな声で祈り始めた。

「おお主よ、私をからかう少年たちのために祈ります。とくにプレムのために。もし彼を怒らせているのなら、どうかお許しください」

 彼が目を開けると、そこに立っていたのはプレムだった。彼は泣き崩れながら言った。

「スンダル、どうか許してくれ。本当にぼくこそ許しを請わなければならないのに」

 


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