スーパースターとしての聖者 

 チベットからシムラに戻ると、各方面から寄せられた手紙の山が待ち受けていた。30歳手前のスンダルは、すでに有名人物になっていたのだ。

 スンダルははじめて南インドの町、ラトナギリを訪ねた。二日目、彼は300人ほどの弁護士と妻、子供たちを前にホールで講演をした。クリスチャンになってどれほど劇的に生活が変わったかについて述べた。講演が終わると、三人の弁護士が寄ってきて汚れた床の上にひれ伏して拝んだ。

「そんなことはやめてください」

 スンダルはそう言って手を差し伸べ、彼らを助け起こした。しかし彼がホールを出ようとすると、女や子供たちが周囲に群がってきた。母親たちはスンダルのスカーフを取って子供の頭に触れさせようとした。あるいはスンダルの衣の端にうやうやしく触ろうとした。あとでその場にいた宣教師はたずねた。

「どうしてあんなふうにするのを許したのですか」

「私は尊敬を得ようとしているのではありません。それは愛から出た行為なのです」

「しかしその愛はイエス・キリストのものであって、あなたのものではない」

「ええ、サヒブ、そうです。でもなぜ私が彼らの行為を受け入れたか説明しましょう。わが愛するイエス様はロバに乗ってエルサレムに行かれました。人々は服を脱いで道路の上に広げました。ところが実際、その服の上を歩いたのはイエス様ではなく、ロバだったのです。しかしロバはたたえられるべきです。ロバはイエス様を運んだのですから。私はいわばそのロバなのです。人々は私をたたえます。それは私がキリストの福音を説くからなのです」

 インドでは、聖者に出会うとまるでその「福」をお裾分けしてもらおうとするかのように、拝んだり、足に触れたり、衣服を触ったりする。たとえその聖者がヒンドゥー教徒でなく、ジャイナ教徒や仏教徒、あるいはキリスト教徒であっても。これがインド・スタイルなのだ。もしスンダルが洋服を着た普通の牧師であったなら、このように拝まれることはなかったろう。スンダルはインドのキリスト教のひとつの可能性を示したといえるかもしれない。残念ながらスンダルのようなサドゥー・スタイルのキリスト教の聖職者は現在目にすることがないが。

 スンダルはその後インド中をまわって福音を説いたが、チベットが好きでたびたびヒマラヤを越えてチベットに入った。仏教徒の多いこの地での宣教活動はなまやさしくはなかったが、その困難さによっていっそう彼の心を奮い立たせるものがあったのかもしれない。

 1929年、スンダルはチベットに入ったまま行方不明になった。崖から落ちたのか、オオカミや野犬に襲われたのか、病気になったのか、それとも村人に殺されたのか。いずれにしてもこの年に亡くなったのは間違いないだろう。何度も足を運んだ好きなチベットで死んだとするなら、それも本望だろう。チベットで野たれ死ぬなんて、サドゥーにぴったりの死に方だ。

 

⇒ キリスト教の出家 

⇒ 第11章 

⇒ 目次