第16章 オルソンの「カシミールのイエス」
イエスの血脈
イエスにはヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの4人の兄弟と名前や人数は不詳だが(マリア、サロメ?)姉妹がいた。とくにヤコブはエルサレム滅亡までエルサレム教会を守っていたはずなのに、キリスト教徒のあいだでさえなぜか影が薄い。というより話題になるのを避けられているかのようだ。それはイエスが処女懐胎によって生まれたとされるからだろうか。イエスだけが処女懐胎の生まれなら、ほかの兄弟姉妹たちはだれから生まれたのだろう? もし母親がマリアなら、父親はヨセフなのか? ほんとうはいとこなのか? 疑問噴出である。
「ルカ福音書」の3章23節を思い出してほしい。「イエスは(……)人々の考えによれば、ヨセフの子であった」とあたかも父親があまりはっきりわからないかのように書かれている。「イエスはヨセフの子であった」と書いたら、「ほら、やっぱり普通の人間の子じゃないか」と言われてしまいかねないのだ。
イエスには妻がいたのか、マグダラのマリアと結婚していたのか、子供がいたか、マグダラのマリアは子供を抱いて(アリマタヤのヨセフに連れられて)フランスに逃げたのか、といったはやりの問題はともかく、ヤコブら4人の兄弟や姉妹のすくなくともだれかは結婚して、何人かの子供はもうけたことだろう。そこから多数の、へたをすると数億人の子孫が誕生したかもしれない。イエスの直系の子孫の有無はわからないが、たんにイエスの家族の末裔ということなら、おびただしい数がいるのである。
『カシミールのイエス』(2001)の著者スザンヌ・オルソンは、デスポシニ(イエスの兄弟を意味するギリシア語)の末裔というわけではないが、イエス・キリストやイスラエルとなじみのある血筋のもとに生まれた。
オルソン自身によると、彼女の祖先は第一回十字軍の指導者、英雄ゴドフリー(ゴドフロワ)・ド・ブイヨンの弟ボールドウィン・デス・マレッツ(ボードゥアン・デ・マレー)だという。しかしこの彼女の主張には、あきらかな誤謬が含まれている。ゴドフロワ・ド・ブイヨン(1060−1100)の弟は、初代エルサレム王ボードゥアン・ド・ブローニュ(1065?−1118)であり、ボードゥアン・デ・マレー(1074−1140)は十字軍の指導者のひとりであるものの、別人物である。
このボードゥアン・デ・マレーの子孫デーヴィド・デマレスト(1620−1695)が政治的迫害を受け、アメリカに渡ったのは1663年のことだった。彼は現在のニュージャージー州にデマレストという町を建設した。スザンヌ・オルソンはデーヴィド・デマレストの末裔なのだという。
彼女がイエスの血をひいているかどうかはともかく、第1回十字軍の指導者の血を受け継いでいるのはまちがいない。そんなイエスやイスラエルにゆかりのある人間がカシミールのイエス伝説に魅了され、現地に長年滞在し、調査をつづけているのは興味深いことといえよう。
スザンヌ・オルソンは偉大なるアマチュア研究家である。なぜアマチュアを強調するかといえば、万葉集をヒマラヤ・シッキムのレプチャ語でマン(歌)ヨー(すぐれた)シュー(集めたもの)と読み解いた安田徳太郎(1898−1983 医師、歴史家。フロイトの翻訳など著書多数。日本語の起源研究)のように、豊富な学識はあるものの、どちらかといえばアカデミックというよりトンデモ路線なのだ。ある意味、インドのイエス研究そのものがアカデミズムの壁を乗り越えられないジャンルなのだが、さらに趣味性を強めた方向へ導き、ジャンルとして確立しようとしている。
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