マヌとノア 

 ヒッピー全盛の時代からバックパッカーに絶大な人気を誇るインド北部ヒマラヤのオールド・マナリのはずれに、マヌ寺院はひっそりと建っている。私は散歩にちょうどいいので、滞在中はときどきこの寺院を訪ねているが、よく考えてみればマヌ寺院は星の数ほどあるインドのヒンドゥー寺院のなかでもきわめて珍しい。祀られているのはマヌ・リシ。人類の始祖で、「マヌ法典」の編纂者といわれる。地名のマナリは「マヌのいる場所」という意味なので、マヌ寺院があるのは当然だった。

このマヌの神話が聖書のノアのエピソードとよく似ている。

 『アグニ・プラーナ』によれば、ヴァイヴァスヴァタ・マヌが川で修行をしているとき手の中に魚(マツヤ)が飛び込み、大きな魚に食べられてしまうから川に投げ込まないでほしいと懇願した。マヌは魚を壺にいれて飼った。魚は次第に大きくなり、池へ、湖へ、そして最後には海へ放した。それは巨大な魚となり、マヌに語った。「7日後に大洪水にみまわれるので、あらゆる種子と7人の賢者(リシ)を船にのせなさい」。はたして世界は洪水に襲われたが、マヌが乗った船は巨魚に救われた。

 オルソンによれば、洪水神話は世界で250ほどあるという。おそらくもっと多いだろう。彼女はノアとマヌだけでなく、洪水神話と関係のある始祖や英雄の名前が似ていることに注目し、比較を試みている。

 インド(マヌ、マヌサ) イスラエル(モーセ、ムサ) ギリシア(ミノス) エジプト(マネス) スウェーデン(マンニスカ) ドイツ(マンヌス)

 それぞれの洪水神話と英雄が細かいところまで一致するわけではないが、名前の類似性は、はるか遠い過去に源をたどることができることを示唆している。ノアとマヌに関していえば、両者とも法を定めている点が一致する。また、マヌにとってのアララト山はスメル山(須弥山)である。スメル山はヒマラヤか、カイラス山を指していたかもしれない。あるいは上述のオールド・マナリのことだったかもしれない。




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