(2)イェシュアの死を知る
物語の語り手はイェシュア(イエス)と同年代のインド人少年、サティヤである。商人の父親に連れられて隊商に加わり、エルサレムにやってきたとき、弱冠12歳だったイェシュアと出会った。イェシュアは隊商とともにシリア、メソポタミア、ペルシアを通ってインドへ行き、「失われた17年」のうちの大半をそこで過ごす。サティヤはイェシュアと寝起きをともにすることが多く、悲喜を共有し、つねに語り合っていた。十数年ののち、彼らは隊商とともに、アラビア半島南岸沿いの海のコースを取ってパレスチナへと向かう。サティヤとイェシュアはエジプトで別れる。
物語は、別れてから3年後、中国に商用の旅に行っていたサティヤが、久しぶりにエルサレムにやってきた場面からはじまる。町に入ったサティヤの耳に飛び込んできたのは、イェシュアが死んだというニュースだった。ただ死んだのではなく、ローマ兵によって罪人として処刑されたというのである。パンの欠片すら盗んだことのない、蝿一匹殺さないイェシュアが、なぜ処刑されねばならなかったのだろう。
サティヤはヨナという青年と偶然に出会い、彼からそのときの事情を聴こうとした。彼は言った。
「みんなが言っていました、あのかたは自分のことを国王になるべき者と主張したと」
「国王だって?」
「ユダヤ人の王、ユダヤの王になると。で、あのかたならわれわれを救い出すことができると……」
「救い出すって、ローマ人から?」
サティヤが知っているイェシュアは、そんなことを言うはずがなかった。ヨナはつづけて言葉を選びながら言った。
「イェシュア様はこの地上のことを言ったのではないのです。王国はこの世界にはないのです」
「なんだって?」
「イェシュア様がおっしゃることは、いつも字義通りなのです」
ヨナの口調は鋼が入っているかのように堅固だった。彼が弟子のひとりであることがサティヤにはっきりわかった。サティヤが知っているイェシュアは人に教えることがなかった。いつも学んでいたのだ。
サティヤはイェシュアの言葉をふと思い出した。「二君に仕えることはできない」と彼は何度も言っていた。国家と家族、どちらに忠誠を誓うべきだろうかと論じたことがあった。あれは何年前のことだったろうか。
⇒ つぎ