エピローグ、あるいはプロローグ
ラーマクリシュナの神秘体験
19世紀半ば、インドには激動と混沌の時代がやってこようとしていた。シーク戦争(第1次1845−1846 第2次1848−1849)によって、パンジャブを中心とする大きな版図を持っていたシーク教国は大英帝国に屈した。インド大反乱(セポイの乱
1857−1859)が勃発すると、ムガル帝国の皇帝は退位させられ、320年もつづいた王朝は終焉を迎えることになった。数千年に及ぶインドの精神文明は危機に瀕していた。しかし同時に西欧の精神文明を取り入れ、いまの言葉でいえばインドの精神文明のグローバル化をはかろうとする動きがみられるようになった。
また、それは西欧がインド文明にはじめて本格的に接したということでもあった。その音頭取り役をはたしたのは、ブラヴァツキー夫人(1831−1891)やオルコット大佐を中心に設立された神智学協会だった。ウクライナ出身のブラヴァツキー夫人は米国で数年間活動したあと、1879年にはじめてインドへ渡った。神智学協会の作り上げたオカルトにたいし、今もアレルギー的反応を示す人々がいるが、当時にあっては画期的な思想潮流だったといえるだろう。
ブラヴァツキー夫人がインド西部のボンベイ(現ムンバイ)に上陸した頃、東部のカルカッタ(現コルカタ)には西洋文明の中枢であるキリスト教にめざめたヒンドゥー教の思想家がいた。ラーマクリシュナである。
1874年11月のある日、ラーマクリシュナは突然、キリスト教の真髄がどういうものなのか知りたくてたまらなくなった。そこでラーマクリシュナを師と仰ぐカルカッタ(コルカタ)の紳士、サンブ・チャラン・マリックに頼んで聖書を読んでもらった。読誦される聖書を聞くうち、彼はイエスの生涯と教えのとりこになった。
ある日ラーマクリシュナはジャドゥ・マリクの庭園つきの屋敷の客間にいた。彼は飾ってあった聖母子の画に釘づけになった。じっと見つめていると、彼は次第に神々しい感情に圧倒されるようになった。聖画の人物は躍動しはじめ、そこから発せられる光が彼の魂に染み入ってくるかのようだった。ムハンマドの幻影を見たときよりもはるかに強烈な体験だった。彼は思わず叫んだ。
「おお母よ、あなたはわたしに何をされようとしているのでしょうか」
ラーマクリシュナは宗教の垣根を越えて、新しい恍惚の境地に入ろうとしていた。キリストが彼の魂に憑依したのだった。3日間、彼は(彼にとっての守護神である)カーリー神の寺院に足を踏み入れることさえなかった。4日目、パンチャヴァティ(聖なる5つの木の意味。瞑想を行った場所)を歩いていると、向こうから目が大きく、白い肌をした物腰のやわらかな人物が近づいてきた。二つの顔が向かい合ったとき、ラーマクリシュナの魂の奥底から声が響き渡ってきた。
「キリストを見よ。世界を贖うために心の血を流し、人類の愛のために苦悶の海を味わった者を見よ。彼こそはヨーガの大師であり、神と永遠にひとつとなる者である。彼はイエスであり、愛の化身である」
「人の子」は聖なる母の御子をいだき、そのなかに溶け込んでいった。ラーマクリシュナは自分とキリストがひとつであると認識した。それまでもカーリー、ラーマ、ハヌマーン、ラーダー、クリシュナ、ブラフマン、ムハンマドにたいして感じたように、一体になったと考えたのだった。彼はサマーディ(*三昧。ラーマクリシュナの場合トランスを指す)に入り、ブラフマンと(キリストの)属性について話をかわした。彼は体験を通じて、キリスト教もまた「神・意識」へとつながる道であることを知ったのである。人生の最後の瞬間まで彼はキリストが神の化身であることを信じて疑わなかった。(『ラーマクリシュナの福音書』)
坂本龍馬が生まれてまもない1836年2月、ガダーダル、のちのラーマクリシュナはベンガルの農村のバラモンの家に生まれた。なぜ龍馬の名を出したかといえば、日本との対比からラーマクリシュナの先進性が見えると思うからだ。いまでこそ大川隆法のような宗教者がいるが、江戸時代から明治にかけて、ひとつの宗教を超えたところに真理を見出そうとする宗教哲学は、日本には存在しえなかった。
ラーマクリシュナはキリスト教に没頭する数年前の1866年、「ムスリム・グル」の指導のもと、イスラム教の修行(サーダナー)をはじめた。ムスリムのかっこうをして、アッラーの名を繰り返し唱えた。*おそらく「アッラー以外に神はなし(ワラー・イラーハ・イッラッラー)」といったドゥアー(祈り)の句かジクル(一種の称名)を唱えたのだろう。
キリスト教よりも先にイスラム教に接するのは不思議なことではなかった。ベンガルは12世紀後半のゴール朝以降、とくにムガル朝(1526−1858)といったイスラム王朝によって支配されることが多く、現在にいたるまでイスラム教徒が多いのだ。イスラム教とヒンドゥー教を融合し、新しい道を示した詩人カビール(1440−1518)という偉大な神秘主義の先達者の存在もあった。
ラーマクリシュナはサマーディ(トランス)のなかでムハンマドの幻影を見たという。彼にとってサマーディのなかでムハンマドやイエスと一体化するという体験は強烈であり、絶対的真理に近づくものだった。
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