G・W・カーヴァー伝
奴隷から科学者になった男
ジャネット&ジェフ 宮本訳
06 アイオワへ
町の境界の標識にはこう書いてあった。「アイオワのウィンターセットにようこそ」。
ジョージ・カーヴァーはバッグを置き、額からこぼれ落ちる汗の珠をぬぐった。ウィンターセットは彼が探し求めていた町のようには見えなかった。さらなる教育を得るための資金稼ぎに、ささやかな温室ビジネスをはじめる出発点となる町だった。地面に落ちる午後の影は長くなり、ウィンターセットは一晩過ごすのにいい場所のように思われた。ジョージは埃っぽいメインの通りを歩きながら薬局の外の花瓶の中で成長するバラを称賛した。前庭に巨大なクルミの木が立っていたので、彼は足を止め、それを見入った。そしてようやくメイン通りの端に二階建ての下見板造りのセント・ニコラス・ホテルを発見した。通りの端にたどり着くと、一晩の宿泊の予算を超えそうな立派な建物であることに気がついた。彼はもう少し町の中を歩いて泊まる場所を探すことにした。そこを離れようとしたそのとき、ホテルの窓に貼り紙があるのに気がついた。それにはこう書いてあった。「至急コック求む。要経験。最低限の指示に従うこと。中で面接」
いくつの理由からジョージは立ち止まり、貼り紙について考えた。彼がビーラーを出てから一か月、カンザスを抜けて北東の方向へ向かい、アイオワの人でごった返す田舎へたどりついた。途中で何度か衣服を洗濯し、ちょっとした仕事を引き受けてお金を得ていたが、定住することはなかった。貼り紙を見たとき、温室ビジネスのスタートを伸ばそうかと考えるようになっていた。おそらくコックとして働けば、お金を貯めて温室ビジネスを始めることができるだろう。
ジョージはセント・ニコラス・ホテルの真鍮のドアノブを開けて中に入った。三十分後、彼は職と生きていく場所を得ていた。ホテルのオーナー、シュルツ氏は彼の息子がコックだったが、音楽興行の一座に参加してしまい、戻って来ないと説明した。息子が戻ってきたら、仕事を失うことになると警告した。
それはジョージにとっては願ってもないことだった。ウィンチェスターにどれだけいたいか、彼にもわからなかった。しかしそこにいる間、キッチンを順調に運用して、できるかぎり一生懸命に働こうと思った。何よりも彼は無駄なことが嫌いだった。今まで捨てていた食べ物の残りものを活用する方法を彼は編み出した。ジョージはすぐにいい評価を得た。料理の腕前がいいだけでなく、食べ物の予算を半分ですますことができたからである。オーナーのシュルツ氏は満足だった。
毎週日曜日、ジョージはウィンチェスター・メソジスト・チャーチに通った。会衆のメンバーらは、新たに加わった物静かで働き者の若者を受け入れ、評価するようになった。地元の医者で、教会の聖歌隊の監督を務める者を夫に持つミロランド夫人はとくにジョージを目にとめていた。ジョージが教会を訪れた最初の日曜日、会衆のほかのメンバーよりも高いテノールの声を持つことにミロランド夫人は気づき、彼女と夫のもとに彼を招待した。
新しい友人ができたことをジョージは喜んだ。しかし彼とミロランド夫人との間に多大な共通点があることは、彼らの家を訪ねるまでわからなかった。ふたりとも音楽を愛していた。ジョージはアコーディオンを演奏し、ミロランド夫人はピアノを演奏した。両者ともアマチュアの演奏家だった。何よりもよかったのは、ミロランド夫人がガーデニングを愛し、自身の温室まで持っていたことだ。共通の話題がたくさんあった。そしてすぐにジョージは絵の描き方を夫人に教えるかわりに、夫人からピアノの弾き方を教えてもらうことになった。夫のドクター・ミロランドもジョージが気に入り、彼の広大なライブラリーから好きな本を借りることができるよう特別にはからった。
時を置かずにミロランド夫妻とジョージはよい友人同士となった。ジョージはミロランド家の日曜のランチの永続的な招待客となった。ミロランド夫人はクリスマスに家族といっしょに過ごすべきだと主張したほどだった。実際彼がもっとも背が高い、もっともやせた、もっとも色の黒いサンタクロースに扮したときは、だれにもほほえみをもたらしたのである。それは家族のだれにとっても忘れられない光景となった。
ミロランド家の人々がジョージのことを知れば知るほど、ビーラーのクララ・ダンカンのように、彼を大学に推奨したくなった。ホテルでコックをやっているにしてはあまりにも才能が豊か過ぎて、時間を無駄にしていると彼らは小言を言った。言うまでもなくジョージは大学に行きたかった。しかし彼は今それだけの十分なお金を持っていなかった。
ミロランド夫妻がジョージのカレッジ進学をプッシュしはじめてそれほど経たないある日のこと、シュルツ氏の息子が家に帰ってきた。ジョージのセント・ニコラス・ホテルのレストランのコックとしての「在職期間」は突然終わってしまったのである。ジョージはふたたび無職になってしまった。しかしながら彼はウィンターセットが、とくにミロランド家の人々が好きになっていたので、滞在を続けることにした。彼は町はずれに小さなキャビンを借り、あらたにランドリー・ビジネスを立ち上げた。これに対し、烈火のごとく怒ったのはミロランド夫人だった。ホテルで料理を作る以上に他人のランドリーをするのは才能の浪費だと彼女は考えたのである。彼女はジョージが大学に行けるよう倍の努力をした。
インディアノーラの町の20マイル(32キロ)東に位置するシンプソン大学はジョージのために留め置いた特別な場所だった。シンプソンはメソジストの大学(カレッジ)であり、人種にかかわりなく、いかなる生徒も受け入れることを宣言していた。ミロランド夫人はすでに問い合わせをしていて、たしかに宣言のとおり、あらゆる人種の生徒を受け入れていた。すでにひとりの黒人の生徒が卒業していたし、三人の中国人の生徒が学んでいた。ミロランド夫人は集められるだけの情報を集めてジョージの注意を引くことができた。そして彼は必要なものを集めて願書を提出することができた。
幸運にもジョージはシンプソン大学への入学が許可された。今回は、学校に着いたとき、ハイランドで待ち受けていたような屈辱的扱いに直面することはなかった。そこでは彼は肌の色を理由に大学への入学を拒絶されてしまったのである。
ふたたびジョージにとって動く時がやってきた。彼はランドリー・ビジネスの権利を売り、持ち物をまとめて、ミロランド夫妻に別れを告げた。そして1890年9月8日朝早くに歩いて出発した。夕暮れまでにインディアノーラに到着した。
翌朝ジョージはシンプソン大学の学長エドムンド・ホームズ師と面会した。今回は学校のスタッフ側にもショックやとまどいはなかった。ホームズ氏との会話はジョージの肌の色についてではなく、カレッジでどのコースを取るかということだった。ホームズ氏はほとんど是認することができたが、ひとつだけ、コースの選択のひとつが納得いかなかった。グラマー、エッセイ、言葉の起源、声、ピアノ、算数はすべて問題なかった。しかしエドムンド・ホームズは芸術のクラスを要望していることに疑問を持ったのである。彼は単純になぜ26歳の黒人の学生が芸術を勉強するのか、要点がつかめなかった。ホームズ氏の考えでは、芸術は実践的な選択ではなかった。今まで黒人でひとりも芸術家として生計を立てた者はいなかったと彼は考えていた。
いつもならジョージは決定事項に関してあれこれ言うことはなかった。しかし今回は自分の学習コースを自分で選んだものだった。最終的に彼は二週間芸術クラスを取り、担当教師に決めてもらうようホームズ氏を説得したのである。
この件が片付くと、ほかの繊細な問題を対処しなければならなかった。つまりジョージがどこに住むかという問題である。シンプソン大学の女子学生はドミトリーに住み、男子学生は町中の家庭に寄宿することになった。家庭といってもすべて白人の家庭だった。黒人の学生を受け入れてくれる家庭などないだろうとホームズ氏は考えた。そこでキャンパスの裏側にある荒廃した掘立小屋に住むのはどうかと提案したのである。この手配はジョージにとって悪くはなかった。いや、もっともすばらしい提案だったとさえいえるだろう。
その日、掘立小屋を見たジョージは、住むためにはクリーニングが必要なことがわかった。そこには何年も人が住んでいなかった。蜘蛛の巣は張り巡らされ、ノミや南京虫のような虫がたくさんいそうだった。ジョージは持ち物を埃っぽい床の上に置き、町の金物屋へ向かった。彼は新しい家をきれいにするために洗濯石鹸と二つの洗濯たらい、洗濯板、洗濯糊を買った。これでランドリー・ビジネスを始めることも可能になり、少しだけお金を稼ぐこともできそうだった。彼はまた5セント分のコーンミールと5セント分の牛肉脂を夕食のために買った。金物屋の店主はまた木箱をいくつか取っておくことに同意した。ジョージはこれを家具として利用しようとしたのである。
小さな始まりだが、ジョージは気落ちしていなかった。なんとか大学にいるわけだし、なんやかやで物事がうまくいっているのだから。
シンプソン大学での最初の数週間はジョージにとって簡単ではなかった。芸術のクラスでは汗をかきつづけることになった。彼はクラスに残りたかったのが、そのため絵を描くときに手が震えてしまった。二週間が過ぎ、芸術教師のミス・エッタ・バッドは、ジョージは芸術家としての才能を示したので、クラスに在籍することを推薦する、と宣言してくれた。ジョージは喜び、ホッとした。芸術の授業はすぐにもっとも好きな授業となった。
ジョージがすぐれたランドリー屋であるという評判は、徐々に学生の間に広がった。そして彼らは洗濯物を学校の裏手にあるこの掘立小屋に持ってくるようになった。掘立小屋の外見にもかかわらず、ジョージはいつもここを清潔に保っていた。彼が衣服を洗濯する間、学生たちは坐り、彼とおしゃべりをした。彼らは話すうちに、ジョージがいかに賢くて、よく本を読んでいるか気がついた。ジョージがキャンパス一の人気者になるまで時間はかからなかった。しかしながらジョージの人気ぶりによって、大学がもっとも輝かしい学生に宿所を与えていたことが明らかになり、学生や教職員はとまどわずにはいられなかった。
ある日ジョージがグラマーの授業から戻ってくると、だれかが掘立小屋に侵入した形跡があった。中には丈夫なテーブルやイス、それにシーツと暖かい毛布付きのベッドが置かれていた。ジョージはただ驚くばかりだった。彼の家にさまざまな必要品を置いていったミステリアスな人物はだれなのか、まわりに聞いて回ったが、結局はわからずじまいだった。それがだれであろうと、彼はジョージを近くで観察し、もしこれらのものを持ってきた人がだれか特定できたら、受け取りを拒否するだろうと考えたのである。ジョージはいつでもタダでものを受け取ることはなかった。今回は返却しようにも、どこに返却すればいいのかわからなかったのである。彼はこれらを受け取るしかなかった。それだけでなく一年を通じて掘立小屋に贈り物が届いたのである。それはコンサート・チケットであったり、ドル紙幣であったりするのだが、それらは扉の下から差し入れられた。だれからの贈り物かはいつもわからなかった。
ジョージはしだいにランドリー・ビジネスをやる機会が減少していることに気がついた。彼は教える側に回っていたのである。町の何人かの女たちが彼を雇い、絵画やドローイングを教えてもらっていた。そのうちのひとり、リストン夫人が仲のいい友人になった。彼女はウィンターセットのミロランド夫人を思い起こさせるものがあった。ジョージはいつもリストン家に暖かく迎え入れられた。実際、リストン夫人は非公式にジョージを養子に迎えていると主張した。彼女が彼に手紙を送るたび、それに「あなたの母より」と書き記した。
ジョージはシンプソン大学に通っているときほど幸せを感じたことはなかった。毎日新しく学ぶことがあり、好きなだけ絵画を描き、線画を書くことができた。秋が来て、冬が来た。ジョージは勉強に忙しく、掘立小屋の壁から刺すような寒さがしみこんでいることに気づかなかった。ある日、冬が終わりに近づき、春のささやきを感じ始めたとき、ミス・バッドが彼に授業のあと残るようにといった。彼女の手は神経質そうにぴくついていて、ジョージは自分が何か悪いことをしてしまったのだろうかと思った。
「ジョージ」エッタ・バッドは喉を何度も払って話し始めた。「わたしはいつもあなたがここで美術を学んでいるのはいいことなのかって自問してきたの」
それはジョージが期待していた言葉ではなかった。ミス・バッドはいつも植物の絵画に関してほめていたし、少なくともクラスの他の学生より低く評価することはなかった。「でもぼくは絵が好きなんです」と彼は答えた。
「あなたがいい画家になる才能を持っていることは知っています。でもそれが最終的にめざすべきものかどうか、確信が持てないのです。だれにとっても絵描きを生活の糧とするのは簡単ではありません。とくにあなたにとってはとてもむつかしいことだと思うのです」
ジョージはうなずいた。ミス・バッドが肌の色について言っているのがわかった。
「自然の中で過ごすことが好きなのはよく知っています」と彼女はつづけた。「芸術を追求するかわりにそっちの分野で教育を受け続けることを考えてみては、と思うのです。もしあなたが園芸学で単位を取るのであれば、あなたの前に数多くの機会が訪れるだろうと考えています」
およそ一分間、ジョージは答えることができなかった。ミス・バッドは何を言っているのだろうか。結局彼はシンプソン大学に属していないと言いたいのだろうか。ほかの大学を探せといっているのだろうか。
「ちょっと考えてみて。わたしがたずねているのはそれだけだから」ジョージの思考を妨げながらバッドはいった。「わたしの父はアイオワ州立大学の園芸学の教授をしています。あなたが父のクラスで学ぶのなら歓迎してくれるはじです」
「ありがとうございます」ジョージはなんとか言葉を発した。「それについては考えさせてください」
これはまさにジョージがしていることだった。実際、何日間もほかのことについては考えられなかった。画家になると想像していたのはあまりに非現実的だった? 園芸学を学べば、貧しい黒人農民が効率的に仕事をすることができるのに、芸術家として生きていこうとするのはあまりに自己中心的すぎか? たくさんの友人がいるシンプソン大学のようなすばらしい場所を去ることに耐えきれるのか? 手に絵筆を持たないで幸せを感じることができるのか? ジョージはどうすべきかわからなかった。しかし考えに考えたすえ、絵描きは趣味として続け、園芸学を極めることに決めた。
ミス・バッドに彼の決定を伝えたとき、彼女はこのうえなく喜んだ。彼女は北方へおよそ50マイル(80キロ)のエイムスにあるアイオワ州立大学へ行けるよう手はずを整えた。
ここでできた友人たち、とくに絵画クラスの学生たちにさよならを告げるのは、ジョージにとって容易ではなかった。シンプソン大学からエイムスへ向かいながら、はたして正しい選択をしたのだろうかとあやぶんだ。アイオワ州立大学に着いたときもその疑念はなくならなかった。シンプソンも友好的な場所ではなかった。ジョージは入学した唯一の黒人学生であり、みな彼にどう対処したらいいのかわからなかった。まず古い倉庫がきれいになるまで住むところがなかった。つぎに、ダイニングルームの管理人がジョージは地下室で黒人の召使と食事をすべきだと主張した。初日の授業のとき、だれもジョージの隣に坐ろうとしなかった。他の学生のほとんどくは、彼がキャンパスの中を歩いていると、冷やかしの言葉を浴びせた。
ジョージはこの扱いに耐えるしかなかった。そしていずれ時が解決してくれるだろうと祈るしかなかった。彼はリストン夫人に手紙を書き、彼が抱える問題について訴えた。ジョージは彼女から励ましの手紙が返ってくることを願った。実際彼が受け取ったのはそれ以上のものだった。ジョージからの手紙を受け取るやいなや、彼女は列車に乗り、エイムスに向かったのである。
リストン夫人がクァドラングル(方形の中庭)を大股でずかずかとやってくるのを見て、ジョージは度肝を抜かれた。彼は走って夫人を迎えに行った。友人であることがすばらしく感じられた。リストン夫人はジョージにキャンパスのすべてを案内するように頼んだ。彼女は腕をジョージの腕の下に入れ、彼があちこち連れて行きながら、温室の中で進んでいる実験について説明してくれるのを注意深く聞いた。ジョージとリストン夫人が行くところ、どこでも学生たちが彼らを見つめ、ひそひそと噂しあった。ジョージはリストン夫人が当然白人のスタッフや学生がいる場所でのディナーを望むだろうと思い込んでいた。ところが彼女は地下室でジョージや黒人の労働者と食べることを望んだのである。
教職員のひとりがリストン夫人に会いに地下に降りてくるまでに、それほど時間はかからなかった。
「奥さま、わたくしどもといっしょに上の階でお食事をされたほうがよいのではと思われるのですが」彼は口ごもりながらいった。
ジョージはリストン夫人が深く息を吸うのを聞いた。「それはご親切に」彼女はこたえた。「このジョージ・カーヴァーはここに来る前、シンプソン大学ではもっとも優秀な学生でした。夫とわたしはこの子を息子のように考えています。この子がここで食べるべきとあなたが決定したのなら、それはわたしにとっても十分いい場所なのです」
教職員は驚きのあまり何も言えなくなり、地下室から出ていってしまった。このあとどうなるのかジョージにはわからなかった。リストン夫人のふるまいによってほかの学生と親しくなれるのだろうか。それとももっと生きづらくなるのだろうか。
翌朝彼は答えを得ることができた。ジョージがアイオワ州立大学に到着してからはじめて実験室のパートナーが彼に話しかけてきたのである。また、ランチタイムになるとジョージとロッカーが隣り同士の学生が彼をメインのダイニングルームのランチに誘ったのである。ジョージは地下室で食べるべきだと主張した管理人もジョージが入ってくるのを見ると、うなずき、微笑んだ。すべてがスムーズにいくようになり、リストン夫人の訪問が氷を溶かしてくれたとして、感謝の念でいっぱいだった。いまやアイオワ州立大学で人生と仕事をうまく扱えると証明できるかどうかは、彼次第だった。
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