GW・カーヴァー伝  

奴隷から科学者になった男 

ジャネット&ジェフ 宮本訳 


10 彼がもっとも恐れていたこと 

 タスキーギ大学の卒業生たちが南部中に散らばっていったのはまもなくのことだった。彼らの何人かは教師になり、<小タスキーギ>として知られるようになる、いくつかの小さな田舎の学校で、彼らが学んできたことを教えた。ジョージ・カーヴァーは時間のあるときにはそういった小さな学校を訪れ、農民たちにアドバイスを与え、教師たちを鼓舞した。こうした訪問を繰り返すうち、あるときジョージはもっとも恐れていたことに直面することになった。

 1902年11月中旬、冷えたどんより曇った日だった。ジョージはモンゴメリーの南西20マイル(32キロ)のアラバマ州レイマーへ向かった。レイマーはきわめて人種差別的な町だった。黒人は町の境界の中に住むことが許されなかった。この非友好的な雰囲気にもかかわらず、ふたりのタスキーギの卒業生、ネルソン・ヘンリーとエイダ・ハノンは町の白人から尊敬されるようになった。彼らは物静かな、法を順守する若者で、黒人の子供たちに読み書きと耕作の仕方を教えた。

 レイマーへの訪問でジョージといっしょにやってきたのは活発な女性、フランセス・ジョンストンだった。彼女は北部出身の有名な写真家で、黒人の教育における改善の様子を記録するために南部を回っていた。彼女がタスキーギに到着すると、ジョージはレイマーの小・学校をいっしょに訪ねないかと誘った。列車の旅はすべて順調だった。列車は午後9時にレイマー駅に着いた。列車から降りると雨が脅かすかのように降っていた。ネルソン・ヘンリーが四輪馬車で迎えに来ていた。

 心のこもった握手と自己紹介のあとネルソンはバッグ類を四輪馬車の後部に積み込み、みなが中に乗り込んだ。フランセス・ジョンストンは一刻も早くネルソン・ヘンリーに小・学校で教えるチャレンジについてインタビューしたかったので、前部座席の彼の横に坐った。ジョージは旅の疲れもあり、後部座席に満足げに坐った。しばらくして手綱が引かれると、四輪馬車は止まった。

 最初に止まったのはネルソン・ヘンリーの家の前で、ジョージはここで降りた。ネルソンはそれからフランセス・ジョンストンを町で唯一のホテルに送った。彼女はそこで一晩過ごす予定だった。ネルソンがいなかったので、ジョージは自分でコーヒーを淹れようとした。木製ストーブの上でコーヒーの入った鍋は沸騰し始めたが、ネルソンはまだ帰ってこなかった。ジョージは当惑した。ネルソンの話ではホテルは1マイル(1.6キロ)しか離れていないので、一時間もしないうちに戻ってくるということだった。コーヒーの入った鍋は沸騰しつづけていたので、ジョージは自分用に一杯だけ淹れた。彼は籐椅子に坐り、ネルソンの四輪馬車の音がしないかと耳をそばだてた。小さな家の屋根に小雨が落ち始めた。時間が経過し、ジョージは胃のむかつきを感じ始めた。両腕には鳥肌が立っていた。何かがおかしいが、何だろうか。

 ジョージは不安を感じながら待ち続けた。さらに20分ほど過ぎてドアをかすかに叩く音が聞こえた。彼は坐ったまま背筋を伸ばした。「誰でしょうか」彼はささやくように聞いた。

「わたしです、フランセス・ジョンストンです」差し迫ったような声が返ってきた。「わたしを入れてください」

 ジョージは急いでドアのところまで行き、錠をはずした。フランセスがそこに立っていた。茶色の髪は濡れて糸のようによれよれになり、顔はシーツのように白かった。「すぐに」と彼女は命令口調で言った。「ドアの鍵をかけて、ランプを消して」 

 ジョージは霧雨越しに暗闇を見つめ、ドアを閉めた。納屋のドアの横に人の影が見えただろうか。何とも言えなかった。「何があったんですか」フランセスのほうを向いてジョージは急き立てるように言った。「ネルソンはどこですか」

 フランセスは大きく息を吸った。ジョージは彼女の輪郭が暗闇の中でブルブル震えているのがわかった。「ほんとに恐ろしいことです」と彼女は言った。「アメリカのような文明国でこんなことが起こるなんて信じられません」

「何が起きたんです?」ジョージは自分の学生もことが心配でならなかった。「ネルソン・ヘンリーに何があったのです? 馬車はどこですか」

「わからないんです」フランセスはこたえた。「わたしたちはホテルに行きました。ネルソンがわたしの荷物を取り出そうとしたとき、馬に乗った三人の男がわたしたちの横に止まったのです。彼らはネルソンといっしょにいるわたしに向かって信じられないほどひどい言葉を浴びせました。それから銃を撃ち始めたのです」

 ジョージはほとんどパニックに押しつぶされそうになった。カンザス州フォート・スコットのリンチ・シーンが一瞬鮮やかによみがえってきた。

 フランセスは話をつづけた。「ネルソンはわたしに走って逃げろと叫びました。彼は馬車に戻り、できるかぎり激しく鞭をふるったのですすぐに馬は全速力で駆けだしました。何が起こったかわかりませんでした。わたしは走ってここにやってきたのです」

 ジョージはしばらくの間何も言えなかった。ネルソン・ヘンリーのためにしてあげることは何もなかった。この若者は殺されたかもしれなかった。あるいは何とか逃げたかもしれない。

 彼らは窓の外でカサカサという音を聞いた。フランセスは手を伸ばしてジョージの手を触った。ジョージもまた彼女の手を強く握った。「すべて大丈夫ですよ」ジョージは彼女を安心させようとした。彼自身たしかなことは何もわからなかったのだが。フランセスは北部から来ていた。彼女は単純に今、ジョージを危険な状況に置いていることをまったく理解していなかった。彼は今暗闇の中で若い白人の女といっしょに坐っている中年の黒人の男だった。もしふたりでいるところを見つかったら、だれもが質問攻めするだろう。彼が尊敬される科学者であり、フランセス・ジョンストンが有名な写真家であることを彼らは知らない。いや、たんに黒人の男と白人の女がいっしょにいるだけなのだ。そしてレイマーではそれはジョージの死を意味した。

「何かするべきでしょう」ジョージはようやく上ずった声で言った。「わたしがあなたを駅まで連れていって、ここを去るのがいいかもしれません。明日の朝早くまでに列車が来ることを願いましょう」

「わたしもそう思うわ」フランセスは同意した。「ここを出ていくのがたぶんベストでしょう。でもこのまま放っておくわけにはいきません。このような扱いを受けたことに対して憤慨しているのです」

 ジョージは彼女の勇猛ぶりを見てほほえんだ。フランセスは彼にリストン夫人を思い出させた。夫人はアイオワ州立大学にやってきて彼や大学の黒人の召使といっしょに地下室でディナーを食べたのである。

「問題はあとで片付けるとしましょう。今すべきことは、安全の確保です」ジョージはストーブからコーヒーの鍋を取り、火を小さくしながら言った。

 ジョージは手をまさぐって自分のバッグを取り、かんぬきをはずしてドアを開いた。雨は激しく降っていた。彼はフランセスの腕を取った。警戒しながらふたりはいっしょに駅の方へ歩いていった。歩きながらジョージの感性のアラートはすべての音、すべての動きに対して発動していた。遠くから馬のひづめの音が聞こえたので、ふたりは水の入った桶の横にうずくまった。銃を肩に背負った、馬に乗ったふたりの男がギャロップで通り過ぎていった。

 数分後、もうひとりの馬に乗った男が走って行った。顔は白いマスクで覆われていた。ジョージは血が凍る思いをした。どうしてこんなことが起こるんだろうか。南北戦争は終わり、黒人は今権利を有している。それなのに南部ではなお憎悪が残っている。

 ようやくジョージとフランセスは駅に着いた。ジョージはフランセスをひとりで残すのはいやだった。しかし選択の余地はなかった。彼がいないほうがはるかに安全だったのだ。彼は石炭の山を指さした。「列車の警笛の音が聞こえるまであの石炭の山の影に隠れていてください」と彼は言った。

「でもあなたはどうするの?」フランセスはジョージの腕を強く握りしめながらたずねた。

「わたしは歩き始めます。一日か二日あとにタスキーギでまた会えることを願っています。ブッカー・T・ワシントンはそのときはボストンでしょう。しかし秘書のスコット氏に起きたことを話してください。わたしは行かなくてはなりません。いっしょにいるのは危険です。神とともにあれ」

 ジョージは鉄道を横切り、農地の中に消えていった。彼は北へ向かって歩き始めた。ブーツで泥濘を押しつぶし、トウモロコシ畑の畝の合間を苦労しながら進んだ。晩秋だったので、トウモロコシはほとんど枯れた茎だけになっていた。しかしながらジョージはやはり教師だった。彼は腰を曲げ、見慣れない草を引っこ抜き、ポケットに押し込んだ。翌朝の光の中であらためてよく調べるつもりだった。

 ジョージは3マイル(4・8キロ)歩いたところで馬が駆けてくる音を聞いた。「おれはこっちに来たって賭けるね」図太い声が叫んだ。「ほかはもう全部探したからな!」

 ジョージは驚いてまわりを見まわし、灌漑用の溝を見つけた。彼はそこまで走り、転がり込んだ。そしてまわりの長い草を引いて体を隠した。彼はじっとして横になったまま時間が過ぎるのを待った。彼の心臓は高鳴っていた。そのとき、バン! と発砲の音が聞こえた。そしてもう一発。数人の男たちが笑った。「おめえ、本物のターゲットを見るまで待てないのかよ!」男があざ笑った。

 ジョージは息を止め、自分がターゲットにならないことを祈った。人生でもっとも長い時間が過ぎ、男たちはようやく移動した。ジョージはもう十分間じっとして、それから注意深く立ち上がった。肩と背中は泥がしみていた。しかしともかく彼は生きていて、無傷だった。

 腰をかがめたまま彼は一晩中歩き続けた。早朝の光の中で彼は線路を見つけ、それに沿って北上し、小さな駅にたどりついた。一時間後、列車がシューシュー音を立てながら止まり、ジョージはさっとそれに飛び乗った。彼が座席に坐ったとき、車掌は奇妙なものを見るような目つきをした。ジョージは何も言わなかった。彼は人種憎悪者とやりあったことを話したくなかった。精神的にはまだダメージがあった。ある人間の集団がどうしてほかの人間の集団を憎むことができるのだろうか。

 ジョージがようやくタスキーギに戻ってきたとき、フランセスは彼を出迎えようと待っていた。「ネルソンは大丈夫よ」彼女はジョージを安心させた。「うまく逃げることができたの。でもこの状況はほんとうにいやになっちゃうわ。だから今度のことを告発するって決めたの。わたしたちみたいに人間がひどい扱いを受けるべきではないわ。すべてのアメリカ人にとって恥ずかしいことよ」

 最終的にフランセスは裁判所に告訴するよりも、南北戦争後の南部における不正を写真に収めることで満足しなければならなかった。ブッカー・T・ワシントンと彼のアドバイザーたちは法的な行動はよいことよりも害になることのほうが多いと考えていた。こうした成り行きでネルソン・ヘンリーとエイダ・ハノンは恐ろしくてレイマーに戻ることができなかった。そして黒人の学生たちはおびえて学校に戻ることができなかった。そしてついに学校自体が町の中心からはるかに遠くへ移動した。そしてふたりの新しい教師が雇われた。レイマーの事件の結果、公的な手紙がタスキーギの教職員全員に送られた。手紙にはこう書かれていた。「今後、学校の代表として外部に行く者は、見識ある者に案内されるか、自己責任で行かなければなりません」。言い換えるなら、タスキーギ大学の名を冠して白人と黒人がいっしょに旅行することはない、ということだった。

 この状況全体が心に重くのしかかり、まるで射止められた動物のような気分だった。もし捕まっていたら、彼は殺されるところだった。できれば起こったことを忘れたかったが、どうしてもできなかった。実際、このできごとの記憶は残りの人生ずっとつきまとったのである。しかし実際的な面から言えば、ジョージは人種問題で苦痛を味わった唯一の人間ではなかった。肌の色を理由に誰かを憎む白人ひとりに対し、もうひとりは肌の色を見ず、人間全体を見ることができるはずである。ジョージはこのようなともに働くことのできる白人を探した。

 こうした白人のひとりがジョージア大学総長のウォルター・ヒル博士だった。ヒル博士は農民会議でのジョージの講演に招かれた。彼はそこで見聞きしたものにとても感動したのである。感動しただけでなく、それを認めることを恐れなかった。講演のあとレポーターは彼にインタビューし、質問をぶつけた。「それでカーヴァー博士についてどうお考えになりますか」。

 ヒル博士はこたえた。「いままでわたしが聞く機会を与えられた農業に関する講演の中で最良のものでした。講演者はテーマに関する大家であるだけでなく、教育能力が高く、他者に明快に、説得力を持って伝えることができるのです。この能力を持つのは国全体を見まわしても、せいぜい五人か六人でしょう」

 ヒル博士がその能力を認めたことが新聞記事となり、それによってジョージのことは広く知られるようになった。ジョージはいままで以上に全国から講演の依頼が来るようになった。彼はできるだけ多く契約をした。彼は恐怖から依頼を断ることはなかった。彼は自分のメッセージはできるだけ多くの人と分かち合うべきだと考えた。たとえどんな犠牲を払うことになっても。

 ジョージは白人の民生委員の求めに応じて、大きな農場を訪ねたこともあった。民生委員はどの農地にどの作物がいいか知りたがった。そして土壌の分析をジョージにやってほしいと考えた。ジョージがすべての作業を終えると、妻と子供のいる家の中に一晩泊まることを提案した。民生委員の側からすると、これは大胆な行為だった。というのも彼が黒人にベッドのひとつに寝るのを許したことはすぐに近所中に知られたからである。ジョージは家の中にとどまり、家族のブレックファーストのためにブルーベリーのパンケーキを作った。

 いつものようにジョージはもっとも貧しい労働者に興味があった。彼は民生委員に黒人の農場労働者を訪ねることができるかどうか聞いた。農場労働者はそれぞれ数エーカーの土地が割り当てられ、個人的に使うことができた。いつものようにジョージはほかの黒人農民に対するのと同じように、同じメッセージを説いた。彼は古い荷馬車の後ろに坐り、限りのある土地での綿花の栽培よりも、作物の栽培のほうがいいのではないかと勧めた。綿花の栽培は収穫期の作物の価格に左右された。前もって価格がどうなるかはわからなかった。これはつまり農民は実際、綿花を栽培することでお金を失うということを意味した。収支を合計したとき、一年の終わりには、当初よりも貧しくなっているのだ。ジョージは農場労働者たちに、食べることのできる作物を育てるよう勧めた。そうすれば収穫期の頃、価格が低くても、彼らは作物を保存し、冬の間それを少しずつ食べることができるのである。

 農民たちはジョージが教える要点は理解できた。しかし彼らの一部は育てる作物を変更したが、多くは変えなかった。彼らは依然として父や祖父が育てたものを続けようとしたのである。唯一の問題は、父や祖父が奴隷であったことだ。彼らは作物が失われても責任を負わなかったし、家族をどうやって養ったらいいか考える必要がなかった。そういったことは彼らの所有者が考えることだった。

 フラストレーションがたまりつつあった。貧しい農民はうなずいて同意するのだが、土地に戻ると同じことを始めて、もっと多くの綿花を植えるのだった。確信を持って変えさせる何かが必要だった。次第にあきらかになったのは、予期せぬ何かが起こったことだった。その何かは南部の顔を永遠に変えるものだった。そしてそれはいっそうジョージ・ワシントンにスポットライトを当てることになる。



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