G・W・カーヴァー伝
奴隷から科学者になった男
ジャネット&ジェフ 宮本訳
11 ワタミハナゾウムシ
1904年2月15日月曜日のことだった。ジョージ・カーヴァーは口笛を吹きながら、教室までゆっくりと歩いていった。今日は彼がもっとも好きなことをやる予定だった。つまり貧しい農民たちに改善の仕方を教える日だった。貧困農民に新しい農業技術を教える学習プログラムである「農業短期コース」の初日なのである。冬の間ずっと農業関係の仕事が少ないので、ジョージとアシスタント、ジョージ・ブリッジフォースは農民のための冬の学習コースを開発した。コースの間、最新の角度の工作機の使い方、脂肪分からミルク抽出の方法、最上の種の選び方と保存の仕方、牛の品質の十の見分け方などを実際に見せて説明した。
農民の妻たちも見逃せなかった。彼女らはふっくらした家禽の育て方、パンの焼き方、バターの攪拌の仕方を知りたがった。またシャツの袖と襟の作り方を自ら示した。これによってシャツの寿命は二倍に増えた。なぜなら袖と襟は最初に擦り切れるところだからである。ジョージが七歳のときスーザン・カーヴァーは彼に襟と袖の縫い目をどうやってほどくか。そしてそれを裏返して擦り切れた側を見えなくし、もう一度縫い付けるか、教えてくれた。ジョージはどうやってこのようにするか、自分のシャツを用いて多くの学生の前で実地に説明した。
女たちはジョージの縫製能力にいつも舌を巻いた。そして靴下を繕い、コットンの布の編み方を見せるように促した。義務を負うこともジョージにはうれしかった。彼は人々が自分の手を使ってお金を節約しているのを見るのが好きだった。
いつものようにこの特別の日、教室へ行く途中、ジョージは大学内の郵便局に立ち寄り、届いている自分宛ての郵便物を収集した。彼は山積みになった手紙をじっと見つめた。友人や共同研究者からの手紙がほとんどだった。しかしある手紙が目に留まった。それは公式の封筒であり、農業学部の封印がなされていた。ジョージはそれを開けた。内側には公式の警告文があった。通知はつぎのように始まる。「ワタミハナゾウムシが着実に北上しています。それはメキシコを横切り、テキサスに入ろうとしています。今の段階であなたの地域に入らない理由が見当たりません」。
ジョージは眉をひそめて考えた。ワタミハナゾウムシの名は綿花ベルト地帯では脅威だった。それはたったひとつで綿花栽培をすべて破壊するかもしれなかった。ワタミハナゾウムシ(boll weevil)のボル(boll)は綿花の丸莢(まるさや)を意味する。丸莢の形と大きさはゴルフボールくらいである。丸莢の中にコットンの繊維が作られ、それが外に押し出される。ワタミハナゾウムシはこの丸莢の内側に卵を産みつける。卵が孵化し、甲虫の子供が生まれると、それは丸莢の中のコットン繊維を着実に食べていく。刈り入れ期に丸莢がはじけると、内側には何も残っていないのである。収穫は損なわれてしまった。今、このワタミハナゾウムシがアラバマへ向かっていた。
小さなワタミハナゾウムシが綿花の生産の脅威になる一方で、古い習慣がなかなかなくならないことをジョージは知っていた。この虫がアラバマに現れるまでは、農民に綿花の栽培をやめるように説得するのはむつかしいだろう。ジョージは農民に力を振り絞って警告を発した。彼はその日、授業に来ていた農民たちに綿花以外の作物を植えるよう訴え始めた。彼はまた会報に急迫するワタミハナゾウムシの問題について警告の文を書いた。彼は農民たちに、もし綿花を植えると主張するなら、霜が降りなくなったらすぐにそうすべきである、そうすればこの虫がやってくる前に収穫できる望みが少しはあるかもしれない、といった。
多くの農民がジョージに、綿花に強毒性の砒酸カルシウムをスプレーしてはどうかとたずねた。ジョージはそうしないようにアドバイスした。たしかに砒酸カルシウムはワタミハナゾウムシを殺すかもしれないが、収穫期に綿花を売って得る収入よりもはるかに多くのお金をかけることになると彼は語った。
だれもがワタミハナゾウムシが迫っているというニュースを聞いてパニックに陥っていた。南部では綿花は「白い黄金」と呼ばれることが多かったが、もし作物としての綿花がまったくダメになったらどうなるのか、だれにも想像できなかった。だれにも、というのはつまり、ジョージ・ワシントン以外は、ということである。彼はひそかに差し迫る災害に希望の光を見出していた。過去八年間、彼は農民たちにほかの作物、とくにマメ科の植物を栽培するようすすめてきた。それは綿花が消耗していたもののかわりに、土壌にニトロジェンを戻すのである。これは苦しい戦いだった。ワタミハナゾウムシの脅威は、一つの作物に固執することの愚かさに注意を向けさせることになった。ジョージはこの機会をとらえてほかの作物の栽培を促進した。
タスキーギ大学にいた頃、ジョージと彼の学生たちは長年綿花を育ててきた農場でどの植物がよく成長するかを見つける数多くの実験を行ってきた。最終的に彼らは四つの作物に決定した――ササゲ、スイートポテト、ピーナッツ、大豆、すべての豆類――これらは育てるのに最善の作物である。ササゲは家畜にとってすばらしい食べ物だ。一方スイートポテトは農民や彼の家族によっていい食べ物である。それらはいろんなやりかたで保存され、準備され、一年を通じて食べられる。大豆はたんぱく質が豊富だった。ミルクを含む多くのものがそれから作られた。アラバマの気候にマッチするという事実に関わらず、南部の農民たちはそれを育てるのを拒んだ。彼らのほとんどは大豆を見たこともなく、それをどう植えるのか、どう育てるのか学ぶことを想像することもできなかった。ピーナッツはもともとこの地域にはなかった。原産地は南米だが、アフリカを経て米国に運ばれてきたのである。実際多くの黒人はそれを古いアフリカの名前、グーバー(落花生)という名で呼んでいた。ピーナッツはもともとあったものでないにもかかわらず、多くの農民は家のまわりにいくつかのピーナッツを育てた。それは彼らが働いていない間、子供たちに食べさせるためだった。
ジョージはピーナッツがプロテイン、炭水化物、脂肪をもっとも豊かに含んでいることを知っていた。農民たちはすでに少しばかりピーナッツが身近になっていたので、綿花の代替物として、ササゲやスイートポテトとともにピーナッツを促進することに彼は決めた。
「スイートポテトとピーナッツは双子みたいなものです」聞いている人みなに彼は語った。「人類はこの二つの食べ物のおかげで生き延びてきました。健康のために必要なものすべてをこれらはともに持っているのです」
ジョージのメッセージは過去においてだれも耳を貸さなかったが、ワタミハナゾウムシがテキサスを抜け、オクラホマやアーカンサスへ喰い進んでいくと、進路を変えるのが時間の問題であることはあきらかだった。地域によっては、たとえばコフィ郡は問題が大きくなりつつあることを否定した。しかし1904年夏にはこの小さな黒い虫がアラバマ州に向かっているのは間違いなかった。ジョージの主張を聞いて喜んでササゲやスイートポテト、ピーナッツに作物を変えていた農民たちは、甲虫の影響を受けなかった。
農民たちが植えた代替の作物三つのうち、ピーナッツが、育てるのがもっとも簡単だった。ピーナッツはもともと熱帯の作物で、その苗はアラバマの夏に適合していた。もし旱魃があっても、ピーナッツの苗の葉は丸くなるだけで、雨がやってくるまで不活発な状態を保った。ジョージ・カーヴァーがピーナッツを育てるよう促し、安心させていたおかげで、すぐに何千エーカーの土地にピーナッツが植えられることになった。しかしこのことは大きな問題に発展していく。ジョージのアドバイスにしたがってピーナッツを植えた農民たちは、問題の解決を彼に求めることになるのだ。
1904年までは、南部のほとんどの地域はギアをあげて綿花を育て、それを北部の織物工場に売っていた。農民たちはこのシステムを知っていた。彼らはいつ、どのように綿花を収穫し、束ね、それを地元の市場に売るか熟知していた。裕福な銀行家や商人はそれを買い、北方へ向けて鉄道瓶で出荷したのである。ではピーナッツはどうなのだろうか。農民たちは自分が育てた何千ポンドものピーナッツをどうしたらいいのだろうか。アメリカ人はほとんどピーナッツを利用していなかったので、商人はだれもピーナッツ農家の作物を買おうとしなかったし、出荷しようとしなかった。
作物としてのピーナッツが熟し、収穫されると、多くの農民たちは怒り、タスキーギ大学に押し寄せた。「あなたはピーナッツを育てるようにと言った。わたしたちはその一部を自分の口に入れることができるが、残りはいったいどうしたらいいんだ?」彼らはジョージに質問をぶつけた。
それはいい質問だった。そしてジョージは答えを持っていなかった。
つぎの朝も、またつぎの朝もジョージは散歩に出て、神に答えを見つけるのを助けてくれるよう頼んだ。答えはなく、南部の小規模の農民たちは、白人も黒人も一生懸命働いて得たものすべてを失おうとしていた。
ある朝、ジョージは歩きながら祈っていた。「創造主さま(彼はしばしば神をこのように呼んだ)、あなたはなぜこの宇宙をつくったのですか」
心の中に彼は神の答えを聞いた。「おまえの問いは、おまえの心にはあまりにも大きすぎるな!」
そこでジョージは質問を絞った。「創造主さま、人は何のためにつくられたのですか」
またも彼は心の中に答えを聞いた。「ちっぽけな人間よ、おまえはまだ自分が制御できる以上のことを聞いているな。おまえの長すぎる要求を削って、意図がわかるように改善せよ」
「だいぶよくなったな!」彼は神の返事を感じた。「自分のラボに行くがよい。そこでおまえに教えてやろう」
すぐにジョージはタスキーギ大学のラボに歩いて戻った。「今日は一日中、誰も中に入れるな」彼は自分のアシスタントに命じた。「やるべき重要な仕事があるんだ。ただ、3ブッシェル分のピーナッツを持ってきてくれないか。頼む」
アシスタントはうなずいた。顔には困惑の表情が浮かんでいたけれど。3ブッシェルのピーナッツというのは相当の量だったからだ。
すぐにピーナッツが届いた。ジョージはデスクの前に坐り、一束を手に取った。それを手の上で何度もひっくり返した。「何をすればいいのだ?」彼は祈った。
「ピーナッツをばらばらにしろ」彼は答えを聞いた。
ジョージのような科学者にとってこれはむつかしいことではなかった。彼は工作台の上にピーナッツを山盛りに置き、作業を始めた。すぐに彼は工作台の上にいくつかのビーカーを並べた。各ビーカーにピーナッツの異なる部分や要素を入れた。つまり糖分、澱粉、水分、脂肪、油、樹脂、ペクトス、ペントサン、アミノ酸である。いま、ピーナッツの代わりにピーナッツの各部分が目の前にあった。
ジョージはデスクの前に静かに坐り、ふたたび待った。「いま、この各部分を前にして、なにをすればいいのでしょうか」彼はたずねた。
ふたたび心の中に答えを感じた。「わたしはおまえに三つの法を与えた。すなわち適合性、温度、圧力だ。おまえがすべきことは、これらの部分を取って、三つの法を使って、混ぜ合わせることだ。そうすればなぜわたしがピーナッツをつくったかがわかるだろう」
すぐに彼は作業を開始した。彼は一日中作業に没頭した。食事のために中断することもなかった。腹が減れば、一つかみのピーナッツを食べたのだ。日が暮れても、ジョージはまだ作業をつづけていた。疲れを感じたとき、彼はイスの上で軽く睡眠をとった。そしてまた作業を続けた。翌日、学生たちはこの教授が何に取りかかっているのだろうかとラボの窓の外から覗き見た。ジョージは彼らのことにまったく気がつかなかった。彼は自分がしていることに全神経を集中していたからだ。
三日目の終わりにジョージはラボのドアを開け、学生と教職員を招き入れた。カウンターの上にはフラスコやペトリ皿がずらりと並んでいて、ジョージはそれぞれにラベルを貼っていた。学生らはフラスコやペトリ皿の列を見ながら歩き、ジョージがみすぼらしい落花生から作り出したものを見て驚愕した。ピーナッツ・ミルクやピーナッツ・バターから漂白剤、洗剤粉末、シャンプー、洗顔クリーム、プラスティック、シェービング・クリーム、インクまでが並んでいた。カウンター上の10種以上のアイデアはすべてジョージの頭の中から出てきたものなのだ。
このコレクションを見た人々に対してジョージは彼が新しいピーナッツ製品を発見するに至った物語を語った。「神のつくった世界で無駄なものは何ひとつありません」と彼は言った。「ピーナッツのすべての部分が利用できるのです。それを発見できるかどうかはわれわれ次第なのです」そう言いながら彼はピーナッツの殻から作った敷石を持ち上げ、やはり殻から作ったリネンのような紙を手に取った。
つぎの数か月は、ジョージとアシスタントが、ピーナッツを使って作れるすべてのものについて、世間に知らせようとしてあわただしく過ぎ去った。すべてのものがピーナッツから作れるということを製造業者が知れば、すぐに膨大な量のピーナッツを買うであろうことはわかっていた。いま、彼らは倉庫や納屋に坐っているだけでよかった。
食べ物関連のものは、作りさえすればいいので、人々を説得するのは簡単だった。だれも驚くべき豊かなピーナッツ・チリやピーナッツと蜂蜜が入ったおいしいクランチ・バーの魅力に抵抗できなかった。ジョージはピーナッツ・レシピでいっぱいの会報をつぎつぎと刊行した。一方で彼は裕福な男と組んで工場製品化の方法を探したり、彼が発見した何百もの製品をプロモーションしたりした。
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