第2章 9 ニワトリの厄払い 

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 南朝の頃、門にかけられていたいけにえのニワトリがしだいに画のニワトリに取って代わられた。『荊楚歳時記』が記す、「画鶏を貼るか、五色の切紙を作るか、土鶏をこしらえるか」は、当時の元旦の様子が描かれている。この五彩鶏は現代の村々で見られる剪紙(切紙)の先駆的な存在である。画鶏や切り絵の五彩鶏を貼り、土鶏を置く目的は、百鬼を駆逐することである。これらの巫術的意味合いをいけにえのニワトリと比較すると、あきらかにインパクトは弱まっている。一部の著作家は画鶏の厭勝効能を神格化し画鶏と「重明鳥」の間に関係があるかのように述べている。

 前秦人王嘉は言う。唐堯(古代堯)の時代に、「秪支(ていし)国という国が重明という鳥を献上した。双晴ともいう。目に二つの瞳があるという。そのさまはニワトリに似て、声は鳳のよう、時に羽毛が下落し、一対の肉翅で天空を飛翔する。虎や豹、狼といった猛獣を追い払い、妖魔どもを近づけなかった。一年で戻ってくることもあれば、数年帰らないこともあった。人々は門戸を掃き清めて、重明が来るのを待った。それがやってこないと、人々は木を刻み、鉄を鋳造し、重明鳥と似たものを作り、門戸の間に置いて、妖魔を中に入れなかった。毎年元旦になると人々は木や鉄からニワトリを作り、あるいは画を描き、窓の上にかけた」。



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