第4章 04 偶像祝詛術(上) 典型的な呪術とその影響 

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 偶像祝詛術とは塑像、彫像、画像、あるいはその他偶像に対して呪詛をかけたり、攻撃したりするものである。偶像が代表する人物や鬼神を攻撃するのが目的だ。世界のどの民族にも広がっている典型的な模倣呪術だ。

 偶像を使って祝詛術をおこなう風習は、商代にはすでに見られた。『史記』「殷本紀」によると、商朝後期帝王武乙は天神を代表する偶人と賭博をし、天神が負けると武乙はそれに対して懲罰を与えようとした。のちに世間は、武乙の懲罰というのは偶人を鞭打つとか、偶人を粉砕し焼き払うといったことだろうと推測した。

 商族首領はのちの宋国の君主が習慣的に実践した射天法術をおこなっていた。武乙は「革襄(かわぶくろ)を血で満たし、仰いでこれを射よ。命じていわく、天を射よ」という。両者は一つの轍のごときもの。宋康王は天を射たことで戦国時代において有名になった。

『呂氏春秋』「過理篇」でこれに関し詳細に描写されている。宋康王は高台を築き、その上面に血でいっぱいの鷂尾(大皮)を掛け、かぶとを被り、鎧を着て、台の下から上に向かって矢を射た。血が地面に流れ落ちると、大臣たちはいっせいに称賛した。われらの王は湯武より賢明である。湯武は戦いに勝利することしかできなかった。われらの王は天に勝利したと喜んだのである。射天に使用した革袋は特殊な偶像だった。というのも天は形がなく、混沌とした様子を革袋で代用したのである。当然革袋に血を盛ることは可能だった。天神が負傷して流血することは、心理的要求を満たし、呪術をおこなう者を満足させた。



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