チョギャム・トゥルンパ伝第4章 

体験すること、今風であること、伝統的であること 

 

 20世紀において私たちは民主主義、個人主義、個人的ヒロイズム、その他そのようなことすべてについて話します。ある意味でそういった理想論はすばらしいものですが、それらは伝統的な骨の折れる仕事や長期間の修練を評価しない文化の産物なのです。何世紀にもわたって育まれてきた伝統や知恵を捨て去るのは、人類の極限の努力や犠牲をよごれた靴下のように窓から放り投げるようなものなのです。これが人間社会を維持する最善の方法でないことはたしかです。

        チューギャム・トゥルンパ 

 

1 考え方が今風に変わる 

伝統的な師(グル)とは 

 一見したところでは、チューギャム・トゥルンパはとても今風で、教え方も最新式だった。外側を見るかぎり、チベットの僧院の伝統は捨て去っていた。彼はウイスキーを飲み、タバコを吸い、西欧の服を着た。単刀直入で、しばしば挑発的な物の言いかたを好み、通常の師(グル)らしいふるまいはしなかった。

 しかしそういった姿は表面に過ぎず、真の姿からはかけ離れていた。議論の余地はあるものの、チューギャム・トゥルンパはある意味、もっとも伝統的なチベットのグルだった。伝統とは、教えの根源にさかのぼるということなので、正確に理解されなければならない。過去のために過去を維持するということではないのである。

チューギャム・トゥルンパはユーモラスな口ぶりで説明する。「伝統というのは、ドレスアップすることではありません。エキゾチックな音楽を演奏することでもなければ、ダーキニーたちをまわりで踊らせることでもありません。伝統というのは、教えられたことに対して、また私たち自身の高潔さに対して誠実であるということなのです。この観点から、伝統というのは覚醒していることであり、開放的でるということなのです。つまり、歓迎しつつも、同時に頑固であるということなのです」。

このように、伝統との真正な関係とは、心の純粋性に関することなのだ。保守的であるということではない。すべての因習を超えて、根源へと戻る自由とは不可分なのである。

 伝統という言葉の二つの意味の区別は、根本的に重要である。チューギャム・トゥルンパがやってきたこと、すなわち習慣や悪癖、現状のしがらみから、あるいは親しんでいるものすべてから教えの言葉を解き放つのは、理解できるだろう。チューギャム・トゥルンパは伝統に対して誠実でありながら、なおもダルマ(法)を作り直したのだ。

 そのようなパラドックスは不可能ではない、というのも源は過去に属するのではなく、今、この現在にあるのだから。ブッダはまさに今、この瞬間、地上のこの地点、つまりここにいるのだ。

 


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