今風
チューギャム・トゥルンパはダルマ(仏法)を意味深い、思いもよらないやりかたで西欧にもたらしたのだが、それは西欧社会に仏教を適応させようとしたのだろうか。
いや、単純に説明することなどできないだろう。彼がやろうとしたこと、彼がしたことのすばらしさを本当に知ろうとしたら、もっと先に行く必要がある。チューギャム・トゥルンパは仏教を西欧に適応させようとはしなかったのである。彼は存在している教義で――仏教の教えで――スタートしたのではなかった。新しいやり方で臨んだのである。むしろ彼は真正の根源の核心へ行く包容力を持ち、仏教を作り直したのである。彼は今風の革命というものを理解していた。それはわれわれの世界を変容させ、新しいありかたを起こす革命である。
しかしこの文脈の中で今風という言葉をどう理解すべきだろうか。たしかに通常の使い方ではないだろう。もしそれが物質主義と個人主義――それらはいかなる真理の伝統にも反しているのだが――の普通の常態として理解されていたなら、チューギャム・トゥルンパはいつも今風にあらがっていたことになる。
「私たちは仏教をアメリカの欲望に転向させることによって、アメリカを仏教に転向させることはできません。私たちはすべてを今風にすることはできません。昔ながらの真理というものはあるのです。それはとても重要なことです」
この言葉の意味を理解するために今風の意味から離れる必要がある。今風というのは最近の、あるいは現在だけの特徴というわけではない。それはランボーやボードレール、ヘルダーリンといった詩人のための専門用語である。彼らはわれわれの時代の真理ときわめて近いやりかたを示すのである。
たとえばヘルダーリンは、今風の運命は古代の運命ほど印象的ではないと説明する。しかしそのかわりに深淵のように計り知れなく深いのだ。割れ目と違って深淵は底なしである。われわれはそこに落下することはないが、堅い地面もなく、もたれかかる柱もなく、歩かなければならないのだ。ヘルダーリンが示しているのは、今風とはたしかな基盤なしに生きる方法を学ぶことなのだ。
チューギャム・トゥルンパはわれわれの時代に典型的な地盤の喪失ということを理解していた。1970年に彼は状況のポジティブな面について説明した。
「20世紀になってすべての宗教が接近してきています。あなたはより深いところを覗き込んでおなじものを発見します。スピリチュアルなものへの関心がより高まっているけれど、それがこの世紀の特徴なのです。物質主義の川が氾濫しているのです。伝聞ではなく、個人的で、直接的なスピリチュアルの体験を欲しているのです。あらゆる人間にとって宗教的直観はおなじです。すべての宗教の原初の智慧に対するスピリチュアルな直観を妨げるのは、ほかでもないドグマ(教義)なのです。教義が妨害物となるのは、自発的に体験するからではなく、すでに考えつくされているからです」
これは重要なコメントだ。それはチューギャム・トゥルンパの取り組み方をよく表している。もはや権威に頼ることはできないので、教えの真理は個人それぞれに直接的な体験としてあきらかになるのだ。深淵のような世界では、人生とはそのようなものだ。
チューギャム・トゥルンパの著作の中では、仏教はもはや確立された真理ではない。われわれは仏教を尊重し、信奉するように求められているけれど、毎度それは新たに作り直されているのだ。
チューギャム・トゥルンパはキリスト教にかわるものとして仏教を西欧に根付かせようとしたわけではなかった。それはモラルが抜け落ちた世界で制限を規定するなどできなかった。
チューギャム・トゥルンパは基盤を見つけることや――われわれの時代には典型的だが――明確に定義したアイデンティティの不可能性を排除したくなかった。反対に彼はこの混沌を利用したのである。彼はそれをダルマを理解するための方法とみなしたのである。
この観点からチューギャム・トゥルンパは彼を特徴づける二つの発見を成すことができた。まず、彼の師(グル)セチェンのジャムゴン・コントゥルは、歩むべき道は聖者になろうとするものではない、そうではなく、あなたの「あるがまま」になろうとすることである、と示した。それが偽善を超越する唯一の道なのだ。つぎに、ケンポ・ガンシャルが示したのは、落ち込んでいるとき、唯一頼みの綱となるのはあなた自身の体験であるということだった。それは内なるグルへと導く入口である。
体験に戻ることは感覚的な神秘主義を強要されることを意味しない。その反対に、生きているこの瞬間と関わることで、今、ここに真の伝統の心を見つけることができるのだ。
今風の意味はつぎのようなものである。つまり権威というものはなくなり、自由に関係を確立することが可能ということだ。偉大な現代の芸術家は現代の戦士の例である。彼らの作品によって、われわれは弱々しく、基準点もないが、深淵の中心にいかに残るかを学ぶことになる。彼らは「価値の喪失」を、われわれの社会が方向感覚を失ったことを、それゆえ子供たちに伝えることが何もないことを後悔しない。彼らは深淵を避ける道を見つけようとわれわれが自発的に試みるようには試みようとしない。そのかわり、カジミール・マレーヴィチのように彼らは言うだろう。「わたしは色を抑えた青いランプの覆いから出てきた。<白>にわたしは移動した。仲間の航海者たちよ、わたしのあとを追ってきたまえ、航海せよ、深淵に向かって」
いかなる堅固な地盤を持たないというチューギャム・トゥルンパの勇気ある実験は混乱を招いたが、彼の取り組みの深さを物語っていた。1967年の日誌には、彼の人生の一面が描かれている。
わたしには家がない。
家がない、わたしには何もない。
わたしには家がないのだ。
成長する間、すなわち幼少の頃から今まで、わたしには家族がなかった。家族を持たないというのはとても悲しいことのように思える。家がないことについて考えるとき、それはとても奇妙だった。自分自身を除けば究極的な心の友だちがいなかったので、だれもわたしのために究極的な家や家族を作ることはできないのではないかとわたしは考える。今も奇妙だが、どこに行こうとも、家がないことこそ自分の家だと感じる。すべてがわたしの家である。家がないこと、それが大いなる家である。
ほかの精神的導師と違って、チューギャム・トゥルンパは混乱から逃げ出さないことがきわめて重要だと主張した。「もっと修業してください。そしてさらなる地盤の喪失を経験してください。でも混乱に陥ることなく。揺れ動く地盤はあなたが期待すべきものでもあるのです」
空間とはこのようなものなのだ。どこかに穴が開いていて、それによってわれわれは育まれることもあれば、動揺することもあるのだ。物事がはっきりしないときわれわれは観念的になったり、空間を埋めようとしたり気がそぞろになってしまいがちだ。道の最初でチューギャム・トゥルンパは生徒たちにそのようなギャップを利用させる。その隙間を通して空間は堅固さをなくすのだ。
米国に到着するやいなやチューギャム・トゥルンパはいかなる外面的な権威に頼ることなく、できるだけシンプルに自分を見せようとした。これが英国にいるとき僧衣を捨てる決心をした理由のひとつである。そうすることによって彼は目新しくて夢中にさせるようなものを取り除き、西欧人との間の大きなバリアーをも投げ捨てたのである。しかしもし宗教的な衣服が――それは人を恐れさせるかもしれないし、魅了するかもしれないが――助けを求めるというより理解の妨げになるかもしれないが、それはなんと奇妙な状況であろうか、またなんと興味深い時期だろうか。もし生まれた隙間を僧衣によって埋めることができないなら、それはまさにはじめからある合法な権威が消えたことの結果であると言えるだろう。
言い換えるなら、仏教の真理を代表するもっとも深い方法は、あらかじめ確立された形式に頼らないで生きていくことがまさに現代性の本質であるからである。チューギャム・トゥルンパはつぎのように説明する。
わたしはひどい交通事故を起こしました。最近買ったばかりの、英国で1000ポンドのトライアンフ13という小さな車を運転していました。そのとき突然頭が真っ暗になってしまったのです。わたしの車はジョーク・ショップに突っ込んでしまいました。扉を突き抜けたのです。まあある種とても興味深いものでした。じつを言えば、個人がいかに関わるかということに関する極端にパワフルな個人的メッセージだと思いました。それでもなお自分自身について研究することにわずかながらためらいがありました。単純に自分の名声や自分の僧衣、自分の僧院の規則を信頼し、任せてしまっていいのか、自分の実績に頼り切っていいのか、わからなかったのです。基本的にそれはもう煮詰まってしまったのです。わたしのなかに、個人的にわたし自身のなかに、たしかにあるものが表現されているのです。たとえばわたしが自分の所持品すべてを、衣装一揃いを捨てると仮定します。わたしは陸に上がった魚とおなじです。そのメッセージから回復するのにある程度の時間を要します。それはきわめて重要なメッセージなのです。あなた自身の服を脱ぎ、裸になれ、ということなのです。
堅固な地盤がない――これは現代性の本質だが――という経験のこれ以上の描写はないだろう。裸の試練ということである。この裸の体験は屈辱ではないが、世界に対して完全にさらけ出すということである。
彼の交通事故は人生におけるひとつのできごとというわけではなかった。ターニングポイントだったのである。それは変容し、ダルマの道が西欧に知られることになった。
20世紀になってさまざまな地域の文化からたくさんの師たちがやってきた。教えの究極的な真理を具現化しながら、それらは存在の質の高さや人を動かしたり鼓舞したりする思いやりを明らかにした。しかしチューギャム・トゥルンパはすべての教えの明快な概観を提供するために一歩下がることのできる唯一の人物だった。彼は言う。キリストとブッダの教えは「権威として伝えられてきた。それを受け入れるにしろ拒むにしろ。またひとりの人物の決定的な声や発見を基本としてきた。
チューギャム・トゥルンパの教えや表明は輝かしく特別なだけでなかった。それは西洋人にとって一般的になりつつあった危機に対する明快な答えでもあった。過去に確立された形式でスピリチュアルな道を効果的に指し示すことはできなかった。チューギャム・トゥルンパは聖なるものとの真の結びつきや自由の可能性を再発見するため、人々に新しい道を切り開いたのである。彼が示した例は仏教をはるかにしのぐものだった。彼のダルマの説明によってすべての共鳴するものがあきらかになり、示されてきた。それとの彼自身の関係をつねにあきらかにしてきたのである。彼の言葉を個人的なものに、オリジナルのものにする彼の研究の現代的な深い側面だった。
チューギャム・トゥルンパは単純にチベットで学んだことを繰り返そうとしたわけではなかった。彼は批判にさらされる位置に身を置き、ダルマを創り直したのである。批評家として、彼は重要なものと重要でないものをはっきりと分けた。チューギャム・トゥルンパはひるむことなく、自分自身や自身の道に光を当てることで区分することができたのである。
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