ダライラマ六世、その愛と死 

宮本神酒男翻訳 

 

22 サンギェの死 

 冷たい風が吹きすさぶ中、ポタラ宮の窓という窓がぴっちりと閉められた。ダライラマ五世の霊塔前の灯火がともされ、峻厳なる顔のひとつひとつが照らし出された。人々は羊毛の厚い敷物の上に針の筵(むしろ)の上であるかのように座っていた。重要な会議が始まってから相当長い時間が経過していた。

 康煕四十四年(1705年、チベット暦木鶏年)はじめのことである。デシ(宰相)サンギェとラザン汗の間に軍事衝突が発生したため、各方面の人物が調停に乗り出さざるをえなかった。話し合いの場所に選ばれたのがダライラマ五世の霊塔だったが、それは意義深いことだった。というのもダライラマ五世といえば人のもてなしが寛大で、団結を維持してきたことで知られていたからだ。

 会議に参加したのはサンギェ・ギャツォ、ラザン汗、ダライラマ六世、ラモ護法、ダクツェ・シャブドゥン、パンチェンラマの代理、三大寺ケンポ(寺主)などだった。衝突した双方とも譲らず、各自の権益を保持しようとするばかりで、チベットにおける主権争いは過熱し、争議は長時間に及んだ。もしダライラマ五世の霊塔の下でなければ、生身のダライラマ六世のことに話が及んだとき、剣を抜いて優劣を決めようとしてもおかしくなかった。

 激烈な言い争いは静かな仏殿を揺るがした。室内に耳を刺すような声が反響した。ツァンヤン・ギャツォはその真ん中に座し、一言も発しなかった。彼はこの場において、至高かつ無上の仲裁人であったが、実際彼と泥塑の仏像と見分けがつかなかった。彼は軍隊を出動させることはできなかったし、政治的才能もなかった。チベットを安寧に保つために、彼に何ができただろうか。

 まさに彼がサンギェとラザン汗に対して好感を失くしたのとおなじように、争っている両者も彼に対しての好感を失くしていた。ほかの人からも懐疑的な、迷惑そうな、憐憫の、あるいは同情的な目で彼は見られていた。彼は完全に自分の存在が場違いであると感じた。彼のような者がいるべき席ではないのだ。身の回りにいるのは大人物ばかりであり、異常なほど孤独に感じられた。それがつのれば憤懣の情ともなりかねなかった。彼は想像を膨らませた。ここにいるのが遊牧民、歌手、酒店の女、あるいはタルゲネ、ユドン・ドルカル、リンチェン・ワンモ、ミンドゥ・リンポチェ、ヤンツォン、ツェタン・ドゥグ、ドルジェ、ケサン、ナセンだったらどんなによかっただろう! もし聞いているのが権力闘争の言い争いでなく、詩歌の競技であるなら、彼は積極的に参加しただろうし、熱心に発言しただろうし、自分の新作を感情をこめて朗々と歌ったかもしれないし、興奮のあまり涙を流したかもしれない。しかしながら現在の彼は黙して何も語らなかった。

 どれだけ時間が経過したかわからないが、会議はようやく結論を下した。相容れぬ火と水を分けるように、衝突した双方が接触しないよう分けることにしたのである。すなわちラザン汗はラサを離れ、青海に戻り、そこでチベットと調和的な関係を保つ。サンギェ・ギャツォもまたラサを離れ、ヤルツァンポ南岸のゴンガ(訳注;現在空港があるあたり)へ行く。補償として荘園をもらう。

 何日かして、ラザン汗とサンギェ・ギャツォはふたりとも決然としてラサを離れた。ひとりは北へ、もうひとりは南へ向かった。両者の隊列はノルブリンカから西へ伸びる大通りを覆う砂塵の中で分かれ、消えていった。

 人々は雹(ひょう)の雲が消えていくようにゆっくりと移動していく砂煙を遠くに眺めた。善良なる願望から出発し、災難によって隠されていくかのようだった。実際、暫定的な話し合いによって決められたことが遵守されるとは思えなかった。というのも、ラザン汗とサンギェ・ギャツォはともに勝利を得たわけではなく、敗北を認めたわけでもなかった。彼らは喜んで遊ぶヤギでも、天真爛漫な子供でもなく、最後に決着がつくまで戦わなければならなかった。まさに滔々と流れる大河のごとし。一旦氾濫してしまえば、水没しない土地はなく、回復して平穏な状態に戻ることはなかった。

 ラザン汗は青海へ行くと偽ってナチュカにとどまった。彼はそこで近辺のモンゴル軍の軍隊を集結し、ふたたびラサに向かって出発した。サンギェ・ギャツォも13万戸の兵力を集め、迎えうとうとした。一触即発の状態となり、いつ大戦争が勃発してもおかしくなかった。

三大寺の代表はあわてふためき、あたふたとダライラマ六世に治安を維持するための協議をおこなうよう奏上した。同時にシガツェに人を派遣し、パンチェンラマに自ら調停に当たるよう求めた。

ツァンヤン・ギャツォは長らく郊外で馬に乗ったことがなかった。今日のような馬上の心情は経験したことがなかった。彼の体の下にあるのが生命のある駿馬というより奇怪な形をした牛皮船に、手に握っている手綱が水を切る浮き板に、静かな大通りが荒々しい河の流れに思えてならなかった。何のためにここに来たのか、どこへ行くのか、何をしているのか、だれがこのようにさせているのか、彼にはまったくわからず、茫然自失の態だった。彼の脳は麻痺状態にあり、ただ風を感じるだけで、押し寄せる風に息を詰まらせた。

 彼はほっと大きく息を吐いた。そして馬上に座ったまま靴のかかとで馬の腹を蹴った。駿馬は驚いて鬣(たてがみ)をふるわせ、ヒヒーンといなないた。その声で彼もまた少し目覚めた。

 彼はいつもなら弓矢が好きで、熟練した腕前を持っていた。それなのに今日に限って弓矢を携帯していなかっただけでなく、弓矢が嫌いでならなかった。というのもラザン汗とサンギェ・ギャツォは互いに相手に対して弓を向け、頭上の権力の果実を撃ち落とそうとしていたからである。このような遊戯に彼は参加したくなかった。一匹のウサギを射殺そうとは思わなかった。いわんや頭や喉に狙いを定めようとは思わなかった。

 このとき32歳のパンチェンラマ五世ロサン・イェシェは馬を走らせて前線に向けて出発した。彼はラザン汗とサンギェ・ギャツォがダライラマ六世の行為に関して異なる見方をしていることを知っていた。また彼らの間に修業に関して意見が分かれていることも聞いていた。しかしこれが宗教戦争でないことも承知していた。彼は自分の権力がダライラマにはるかに及ばないことも(ダライラマ六世の権力が実際上代理のサンギェ・ギャツォによって行使されているにせよ)よく知っていた。もっとも彼とダライラマはふたりの大教主であり、チベット人やモンゴル人からは「ふたつの目」と呼ばれていた。チベット仏教徒の間に紛糾があれば仲裁し、道義から言ってやめることは許されない責任があった。

 パンチェンラマがスボラ山の峠にさしかかった頃、ダライラマからの通知が届いた。それによれば仲裁は成功し、双方が停戦に同意し、もともとの協議で決まったようにラザン汗は青海に戻り、サンギェ・ギャツォは山南(ロカ)に達した。こうしてパンチェンラマは遠方に向かって祈祷し、タシルンポ寺に戻ると貝葉にサンスクリット語の経文を書写し、声に出して読みつづけた。

 ダライラマ六世の一行がポタラ宮に向かって戻る途中、路上には春の光があふれていた。美しいラサの河谷は花が刺繍された緑のスカートをはいているかのようだった。ツァンヤン・ギャツォは、しかし、歌声ひとつ聞くことがなく、リンカで遊ぶ人を見ることもなかった。喜びは戦争によって抹殺されてしまったのである。


 ツァンヤン・ギャツォがポタラ宮に戻り、まさに座って何かを食べようとしたとき、ゲタンが秘密の封書を持ってきた。封を開けると、中にはつぎのような文章が書き連ねてあった。

 

至高のダライラマ法王さま。仏の慧眼でもって拙文をお読みください。

以前ダライラマ五世を装った方がいらっしゃいましたが、わたくしは父親を装いたいとは思いません。生まれた時に恵まれなかったのか、長じて家族に恵まれなかったのか、ディパとしての才能がわたくしには備わっておりませんでした。わたくしはここを去ることにいたしました。しかしいかなる人にも所在を報告しないとも決心しました。このことにつきましては、とくにあなたさまに謝罪しないといけません。わたくしは十分にあなたさまを敬愛しております。あなたさまの詩歌を心から愛しております。ただ恨むらくはあなたさまのために尽力することができなかったことです。山が崩れるとき、縄でそれを縛って防ぐことはできません。わたくしは白塔(チョルテン)には触りません。染まっていない白粉がついているからです。わたくしは鍋の底をつつくようなことはいたしません。ひっつかない黒灰がついているからです。どうぞお体を大事になさってください。

弟子 ンガワン・リンチェン 叩拝 

 

 ラサに軍隊はなく、新しいディパ、すなわちサンギェ・ギャツォの息子ガワン・リンチェンは逃亡してしまった。行政長官がいなくなり、権力の空白が生じてしまったのである。

 この空白は迅速に埋めなければならなかった。すべての干上がった池は水で満たさねばならなかった。

 ツァンヤン・ギャツォは震える指先でサンギェ・ギャツォの息子の告別の書簡をつまみ、バター灯の炎にかざした。一片の黒い灰が部屋の中に舞い上がり、飛んでいった。それはさながらンガワン・リンチェンの黒い悲哀だった。ああ、ガワン・リンチェンの悲哀が羽をつけて飛んでいく……。彼自身は飛んでどこかへ行くというわけにはいかなかった。ダライラマの地位にある以上、どこへも行くことができなかった――死んだ場合を除いて。死ねば彼には転生の身が与えられるだろう――ダライラマ七世である。

 彼の視線の先には壁に掛けられた弓矢があった。無意識のうちに彼は後ろに下がり、顔を上げた。彼が弓矢を入れた袋を見ていると、そこから弓が飛び出してきたからである。矢の先はまさに彼の喉に向いていた。


 夜色が天を覆う頃、数百人の軽装のモンゴル騎兵がチベット北部の草原からラサへ向かって疾駆していた。湾曲しない強靭な矢のごとく、ダムシュンをかすめ、ポンドをかすめ、セラ寺をかすめ、ラサ市街区に直接入り、血を流すことなく聖地を占領し、迅速に権力の空白を埋めることができた。

 サンギェ・ギャツォは遠くゴンガで兵馬を徴集しているところで、知らせを聞いたときにはすでに手遅れだった。彼は扁平の頭をしたたか叩きながら、腹を立てて長い間話すことができなかった。自分の軍事力を見ても、ラザン汗と比べればたしかにわずかばかり劣っていると感じた。

 彼はラザン汗の後続部隊がつぎつぎと絶えることなくラサに入ってきていることを探知していた。彼は何度も自分の兵力を計算し、十分でないことを痛感した。武力によってラサを奪還するのはしばらくの間不可能と思われた。

 ことわざに言う。神のような高位を占めたいならば、鬼と同様の計略が必要である、と。サンギェ・ギャツォはこのときひとりで考えたのではなかった。ラザン汗の側近テンジン・ワンギェルがいたのである。

 テンジン・ワンギェルはチベット人で、早くからサンギェ・ギャツォに附いてチベット医学を学んだ。のちにサンギェが『チベット医学史』を書き終えたとき、サンギェ自らが彼に一冊贈ったという。この書の刻印は精微で美しく、内容も十分豊富だった。それはチベット医学の起源と発展について書き、歴史上のチベット学の大家の貢献や重要性について紹介した医学書である。テンジン・ワンギェルはこの著作はディパと友人との友情の象徴でもあると見ていた。それにはつねに新鮮な驚きの感情があふれていた。ラサにいるとき、彼は何度か使者に託して自分の気持ちをサンギェ・ギャツォに伝えていた。彼はラザン汗のもとを離れ、サンギェが主持するガタンポタンの仕事をするようになっていた。しかしサンギェは婉曲的に彼を拒むようになっていた。この時点においては、テンジン・ワンギェルが自分の近くにいるより、ラザン汗の側にいるほうが役に立つとみなされていたのである。

 サンギェ・ギャツォは腹心の中から一人を選び、自分の指にはめていた指輪を渡し、それをぼさぼさの頭髪の中にしばり、足を引きずって歩く乞食の扮装をさせた。彼は秘密の指令を心に刻み、星の明るい夜、ラサへ行ってテンジン・ワンギェルを探させた。乞食はラザン汗の邸宅の前で三日間泣き叫び、テンジン・ワンギェルと会い、パルコル(八角街)の建物の外の壁で重要なことについて話し合う秘密の約束をした。

 テンジン・ワンギェルは約束した時間に指定された場所にやってきた。ニセ乞食はすでに地面に腹ばいになって待っていた。

「これがわかりますか」用心深くまわりを見ながら、ニセ乞食はぼさぼさの髪から指輪を取り出した。

 テンジン・ワンギェルはこの男が職を辞するよう迫られているディパが派遣した腹心の部下であることを知っていた。それゆえこの指輪がサンギェ・ギャツォ所有の値がつかない至宝であると容易に認識できた。丁重に彼は言った。

「わたしはあなたを疑っているわけではありません。でもなぜこのような貴重なものを持ってきてくださったのでしょうか。デシ・サンギェ・ギャツォはわれらチベット人の大英雄です。そしてわが恩師でもあります。いま災難がわれわれの上にふりかかっています。デシはどのような計略を持っておられるのでしょうか。くわしく話してください」

 ニセ乞食が話し始めたとき、モンゴル軍の騎兵隊がやってきた。騎兵隊の頭目はラザン汗に寵愛されているタムディン・スルンだった。彼はテンジン・ワンギェルのことをよく知っていた。

「だんなさま、わたくしめは哀れな体の不自由な苦労人です。どうかあなたさまとあなたさまの子孫代々に福がもたらされますように」ニセ乞食は声を震わせて泣きながら、地面に額をこすりつけ、両手を前に伸ばした。

 タムディン・スルンの視線を感じたテンジン・ワンギェルはサッと体を翻し、その際に例の貴重な指輪を小銭でも投げるように無造作にニセ乞食の手の上に落とした。ニセ乞食はうまくしっかりとそれをつかむと、何度も「ありがたや、ありがたや」と口にした。

 騎兵隊は去っていった。通り過ぎる際にタムディン・スルンは振り返り、テンジン・ワンギェルに向かって善行を称賛するかのようにほほえんだ。

 馬のいななきが遠くなった。ニセ乞食は地面から頭を上げ、もう一度取り出した指輪をテンジン・ワンギェルの懐に入れた。「これはディパさまがあなたさまに贈ったものです。後日さらなる謝礼をお渡しできると思います」

「あ、いえ、これは困ります」そう言いながら彼は指輪を指にはめた。

 テンジン・ワンギェルが言うことはうそではなかった。彼はディパのために無報酬で力を尽くしたかった。しかしディパは彼を重んじていたので、得たくても得られない、自身が身につけている高価な物を特別に贈ったのである。それは経済的価値がとても高いだけでなく、名誉のしるしでもあった。大人物になりたい者ほど、大人物にはなれない。見栄が好きなだけである。テンジン・ワンギェルはこの種の人間だった。大人物から指図されれば、彼は何でもやった。

「早く言ってくれ。ここに長くいることはできない」彼は促した。

「あなたは医薬のことをよくわかっている。彼を毒で殺せ」ニセ乞食は歯の間から絞り出すように言った。

「殺すって誰を?」

「デシの……デシのライバルだ」

「え、いや……わかりました」

 ふたりが別れたとき、彼らの頭上の窓に見えていた女性の顔が奥に消えた。この女性こそ貴族の娘パルデンだった。

 市街区の見回りを担当しているタムディン・スルンがパルコル(八角街)に現れたとき、パルデンが門の前で彼を手招きした。「将軍閣下、どうぞこちらに来てください。お話があります」

 見ると彼女はとても美しく、声もまたあだっぽくて耳に心地よかったので、タムディン・スルンは好感を持たずにいられなかった。子供のように従順に馬から降りて彼女のところにやってきた。

「お嬢さん、どうかしましたか」

「お金、持ってる?」パルデンは小さな声でたずねた。

「ええ」タムディン・スルンも小さな声で答えた。

「どのくらい?」

「ええと、わからないな……どのくらい欲しい?」タムディン・スルンは懐からパンパンに膨れた財布を取り出した。

 パルデンは真剣に見積もって、ゆっくりと、細々とした声で「少ないのも、多すぎるにもダメよ」と言った。

「いまみなあわせると結構たくさんある。でもこれだけじゃなく……ああ、あなたはなんてきれいなんだ」タムディン・スルンは財布をポンとたたき、惜しげもなく差し出した。

「誤解しないで」パルデンは財布を受け取らなかった。「あなたと話したいのはある種の売買なの。わたしが見たり聞いたりした重要なことをあなたに売りたいってこと。これであなた出世するし、それでもっとたくさんのお金がもらえることになるわ」

 タムディン・スルンはがっかりした。しかしまた別の希望が生まれてきた。ときには肉体の売買より魂の交易のほうがずっと得をするもの。切羽詰まったかのように彼はきいた。

「何を見たというんだ?」

「ひとりのチベット人の乞食とモンゴルの役人がなにやら不思議な話し合いをしていたの」

「何を話し合っていたんだ?」

「毒殺せよって言ってた」パルデンは絞り出すように言った。

「だれを毒殺するってんだ?」タムディン・スルンは驚愕した。

「ディパのライバルだって。わかるでしょう?」

「え……」

「いくら出す?」パルデンは手を出した。

「いくらって、たいへんな値段になるぞ」タムディン・スルンはあわてて財布を差し出した。

「今晩またいらっしゃいな」パルデンは財布を手にとると、身を翻し、門から中に入っていった。そしてもう一度振り返り、タムディン・スルンに向かって媚びた笑みを投げかけた。

 ラザン汗はテンジン・ワンギェルが持ってきた牛乳を受け取った。このように熱いうちに飲もうとすることはふだんめったになかった。その目はそばにうやうやしく立つテンジン・ワンギェルにジッとそそがれていた。テンジン・ワンギェルは下卑た笑いを浮かべ、さらにうやうやしく頭を深く下げた。

 ラザン汗はあらかじめ準備させていた象牙の箸と銀のさじを左右の手に持ち、牛乳の入った椀を手元に持ってくると、攪拌しはじめた。するどい眼光はなおもテンジン・ワンギェルに向けられていた。

 しばらくすると黄ばんだ象牙の箸と白色の銀のさじが黒色に変わった。

 ラザン汗の体はぶるぶる震えていたが、彼は小さな平坦な声で言った。「テンジン・ワンギェルよ、この牛乳は少し冷たいぞ。飲んでみろ」

 テンジン・ワンギェルはたくらみが露見していることにすでに気づいていた。思案に暮れた彼は恐れ、あわてふためき、心が押しつぶされそうになった。彼はつぶやくように答えた。

「あの、その、かわりを持ってきます。あなたさまのために熱いのをお持ちします。ありがとうございます。この冷めた牛乳は飲ませていただきます」

 そう言うと彼は後ろに下がり、お椀のほうへは行かなかった。門のあたりまで下がると、彼は身を翻し、走って逃げだした。しかし門の外には剣を持ったモンゴル軍の兵士たちが待ち構えていた。まるで彼の面前に突然雪山が現れたかのようだった。

 ラザン汗が卓をバンとたたくと、テンジン・ワンギェルは地面にバタッと倒れ、そのまま頭をたたきつけながら、正直に白状した。

「わたくしはサンギェ・ギャツォと面識がありませんし、彼の財宝を盗もうとしたわけでもありません。わたしはただ町中にあふれる噂話を信じてしまったのです。王様であるあなたさまが大皇帝に向かってダライラマ六世は偽物であると奏上したとか。わたしにはわかりかねます。真のダライラマを守るためにこのようなことを起こしてしまったのです。魔物がわたくしに憑いてこのような大罪を起こしてしまったのです。われらはみなおなじ仏教徒。王様、お願いです、わたくしから魔物を追い出してください。どうかお許しください」そう言い終わると彼は号泣した。

「わたしが魔物を追い払おう」ラザン汗は冷笑して言った。「魔物はサンギェ・ギャツォである! サンギェは大鬼、おまえは小鬼だ。大鬼を駆除するためにはまず小鬼を駆除せねばならぬ!」ラザン汗が手で合図をすると兵士たちはテンジン・ワンギェルを抱えて外に連れ出した。

 テンジン・ワンギェルは腰の上に岩を落とされ、ラサ川の波間に放り込まれた。彼が最期に見たのは、笑みを浮かべた満面得意顔だった。タムディン・スルンの顔である。

 ラザン汗は毒入り牛乳が入った椀を見て烈火のごとく怒ったのである。この烈火はますます大きくなり、山の峰より高くなった。彼は父親のダライ汗が突然死したときのことを思い出していた。あれもサンギェ・ギャツォが毒を仕込んだにちがいなかった。サンギェ・ギャツォに対する怨恨は頂点に達し、あの扁平頭のディパとその追随者どもをみな徹底的に葬ってやる、と彼は決意を固めた。彼は即座に康熙帝にサンギェ・ギャツォの数々の悪行とダライラマ六世の無軌道ぶりを奏上した。彼は奏上する内容を密書にまとめ、星の出る夜、各駅に指令を出し、馬を北京へ向かって走らせた。そして軍隊を徴集し、自ら訓練を施し、編隊を整え、山南(ロカ)に軍を進める準備を整えた。タムディン・スルンは昇進して将軍となり、側面から攻撃し、サンギェ・ギャツォの退路を断つ軍の重要な任務を担当した。


 春のゴンガは色とりどりの絨毯のように華やかで美しかった。小さな野花が垂柳に群れているさまは、盛装した男女が温かい風の中、円舞を踊っているかのようだった。北側の川の水は深緑色で、南側の山々は淡緑色、天空の雲は純白、地面に漂う香りのいい草の息吹は炊煙だった。

 ここはラサより低地で、ヤルツァンポ川はラサ川と比べ少し広かった。もし一江一河(ヤルツァンポ川とラサ川)という障壁がなければ、すなわち北方への発展がむつかしくなければ、千数百年前、ヤルルン部落の首領ソンツェンガムポが現在のラサに移動することもなかったかもしれない。そして夢情のごときこの地方にとどまったかもしれない。

 現在、サンギェ・ギャツォはここを自分の戦略的要地としていた。というのも西はツァン、北はラサ、南はロカ(山南)各所に通じ、穀物が豊富だったからである。

 無限につづく草原に兵馬が集合した。洞窟や岩の合間の大ヤモリはもともと誰も捕らえることはなかったが、夜間に出る習慣ができたせいで串刺しにして捕らえ、それを食物とするようになった。

 サンギェは意図的に建物内の部屋には入らず、幕営の中に座した。古代の兵士のような服装をして、自分が職を辞したディパではなく、失地を回復しようとしている総帥であることを示した。

 外から知らせが入ってきた。千の騎兵を率いるゴンポの首領ロンシャが到着したという。サンギェはそれを聞くと至宝を得たり、と思い、すぐに迎えに行った。古い友人を接待するように彼はロンシャを接待した。

「そなたはまさに火の難を救う水である」サンギェはロンシャの手を握った。

「ここまで水の流れを越えてきたが、なかなか難渋であったぞ」ロンシャは汗をぬぐった。あからさまに手柄を横取りして恩賞を願い出ようとしていた。

「そうだ」サンギェは感慨深そうに言った。「ラザン汗はラサを占領し、東へ向かう道をふさいでいる。チベットの腹部を半分止めたようなものだ。カム、三十九族地区、ポミ、ゴンポ、これらに通じる道のほとんどが不通になっている。兄貴よ、あなたは東から来た唯一の部隊なのだ」

「わしが来ないでだれが来る?」ロンシャは胸をたたきながら言った。「あんたはラサでユドン・ドルカルを与えてくれた。この恩に報わずにいられようか。地位から言えばわしはあんたの部下だ。私的なことで言えば、あんたはわしの友人だ。わしは長官ではないが、友人であらずにはいられん。俗に言うだろう、羽根の取れた矢は遠くに飛ばない、友人をなくした人は長生きできない、と。そうであろう?」

 サンギェは何度もうなずいた。顔には笑みを浮かべたが、内心は穏やかではなかった。この田舎皇帝の今日の口ぶりとラサにいた頃の口ぶりが大いに異なっていることに彼は気づいた。すでに尊敬すべきデシさまの待遇ではなかった。こともあろうに友人扱いなのである。ではどうしたらいいのか。失った権力を取り戻すには正面から戦いに挑むしかない。しかし兵力が足りない今、ロンシャの千人の騎兵は敵を殺すことのできる大金でも買えない宝刀だった。結局彼は来てくれたのである。来てくれたことがありがたいのに、何を論じる必要があるだろうか。犬は頭がおかしくなっても主人を認識することができるのだ。

 サンギェ・ギャツォはロンシャに休みを取ってもらうべく下がらせたばかりだった。自分もまた目を閉じて神経を休ませようとしていた(彼は二日も眠っていなかった)。そのとき遠くから僧侶がやってきて面会を求めていると下僕が報告した。彼は来客との面会は断っていたが、突然ダライラマ六世の身近な人かもしれないと思い至った。どんな役に立つ知らせを持ってくるかはわからなかった。それが精神を奮い立たせるものであれば「ぜひとも」会いたいものである。

 紅帽を頭に載せた老僧が兵士らに護衛されながら幕舎まで歩いてきた。地上の草原の緑が彼の袈裟の格別な鮮やかさをいっそう引き立たせ、遠くから見るとまるで大きなケイトウのようだった。彼は太った体を左右に揺らしながらゆっくりと静かに歩を進めた。腕に巻いた数珠が陽光を受けて明暗の模様を作り出して反射し、神秘的な仏光のようだった。

 サンギェ・ギャツォは老僧を迎え入れようと、ゆっくりと体を起こした。彼は心の底の記憶を探ろうと、老僧をじっと見つめた。しかし相手の名前も身分もいっさい浮かんでこなかった。

「あなたは尊敬すべきサンギェ・ギャツォさまであろうか」相手方のほうが先に口を開いた。

「そうです。あなたさまはどなたでしょうか。どちらからいらっしゃったのでしょうか」サンギェはいささか疑問に思い、反問した。

「緊張することはありません」老僧は質問に答えることなく、自ら座布団の上に座り、腕の上に数珠を広げ、ひとつひとつすばやく弾きながら「あなたはただわたくしの意見を聞いていればよろしいのです。誰の口から出たものであろうとどうでもいいでしょう。忠言は忠言です」

 サンギェは扁平な頭を少しかしげ、眉をわずかにひそめた。彼はこの老僧がラザン汗の派遣した使者である可能性を排除することができなかった。しかしそんなことはありえなかった。ラザン汗もまたゲルク派の仏教徒であり、ニンマ派の僧を派遣することはありえなかった。ああ、そんなことどうでもいいではないか。この人の言うことを聞こうではないか。彼は相手を十分に敬い、虚心の様子で頭を下げたまま言った。「どうかおっしゃってください」

「直言をお許しください」老僧はまた腕の上に数珠を巻き付けた。「ダライラマ六世はまだ若く、善良で、聡明です。その詩才はチベット史上まれなものといえるでしょう。僧侶も俗人も六世を心から慕わずにいられませんし、敬慕せずにいられません。しかしながらラザン汗から見ますと、あなたが育成したものなのです。これに関し、康煕二十四年に発生したことを思い出しますに……」

 聞いていたサンギェ・ギャツォはこの箇所に至ると全身を震わせ、口をひきつらせた。

「どうか落ち着いてください」老僧は手のひらをあげ、サンギェが何か言おうとするのを制止し、話をつづけた。「それであなたとラザン汗の仲は悪くなりました。ダライラマとの関係も不利になりました。ダライラマを保護するためにわたしはあなたに兵を動かさないように諫言したのです」

「わたしひとりで事を起こしたのだ、ダライラマは無関係だ」サンギェは拳を振り回した。「繰り返し言うが、六世が就いたのは清皇帝が批准したからであり、チベットやモンゴルの民衆はそれを指示したのだ。知ってのとおり、ダライラマは政治のことに無関心だ。こうなるとは、だれが理解していただろうか」

「ラザン汗はそのようには見ていないでしょう。あなたはこのことを一つも知らない。清皇帝はあなたが陰でガルタンを助けたと考えています。五世が逝去していたことを隠していました。そして転生した子供を見つけたことも上奏しませんでした。だからあなたに対し好感を持っていません。ことわざにも言います。どうしようもなくなったとき、片付けはあとでいい、と。上官とあなたが対決したとき、できるだけ距離を置くのがいい、と。わたしはあなたに休戦をお勧めします。無駄な殺生をやめることができます」老僧の目頭が熱くなり、また数珠をまさぐった。

「しかしラザン汗はわたしを殺す決心を固めたようです。私がどう考えようが無駄というものです。皇帝にいたってはわたしがラサを奪回し、ラザン汗を駆逐し、実力者を手中に収めたいだけ……。皇帝は事後の英首を尊重すればいいのです……わたしのさらに罪を押し付けることはできますまい」

「もし戦いに負けたら」

「……」

 サンギェはその人生において完全に、徹底的に負けるという経験がなかった。彼にとって失敗とは一時的なものであり、部分的なものであり、どんな危険な状況でも安全な状況に好転させることができた。いわば失敗とは捲土重来だった。彼にとってこうしたことはどうすることもできなかったので、即座に答えることができなかったのだ。

「退くか、妥協することをあなたには勧めたい。山林に隠居することもできる。出家して僧になってもいい。あなたを安全に保護することにわたしは尽力したい」老僧の声は長く引き伸ばされた。「長いゆっくりとした春に三寒三暖があるように、人生にも三苦三甘がある。山を越えれば谷がある。上あり下あり、これが行路の理(ことわり)というもの。考え直していただきたい」

 サンギェ・ギャツォは相手の倍の速度で答えた。「わたしは尾をはさんだ獅子を見たことがない。縮んだ角を持つヤクを見たことがない。厚顔無恥に老死を迎えることはない。英雄は戦って死ぬべし」

「どうやらあなたに話をしても石に水をかけるかのようだ。少しもしみ込むことがない。あなたに仏のご加護あれ」老僧は痛々しそうに眼を閉じ、そして体を起こして去っていった。

 サンギェ・ギャツォは心を乱しながらあわてて老僧を送り出した。そのときに追うようにたずねた。

「お尋ねしたいのですが、あなたさまはどちらの高僧であられましょうか」

「あなたは忘れたのか」老僧は身を翻して言った。「三十数年前、ダライラマ五世の寝宮でお会いしたことがありますぞ。そのときあなたはまだ二十歳にも満たなかった。ディパにもなっておらなかった。のちにわたしと偉大なる五世とは書簡を交わしたものであった……」

「あなたさまはミンドゥ・リンポチェであられたか」サンギェ・ギャツォは驚嘆の叫びをあげた。「あなたのことを思い出せませんでした。わたしの怠慢をお許しください。無礼をお許しください……」

 ミンドゥ・リンポチェは彼のほうを見ることもなく、そのまま歩き去った。

 サンギェ・ギャツォは父親を理解することができなかった不肖息子のように見えた。彼は別の道を何も言わずに歩いて先回りし、ひそかにミンドゥ・リンポチェのひとりごとを聞いた。

「五世が彼(サンギェ)を育てたのに、彼が六世を破滅させるとは」

 

 サンギェ・ギャツォの部隊はロンシャの千騎兵を先導にチュシュル(曲水)からヤルツァンポ川を渡り、ゆったりと北東のラサへと向かった。

 ラザン汗の部隊もまたラサから南西へと向かった。タムディン・スルンの精鋭騎兵はラサから西のドゥルンデチェンへ素早く移動し、敵の背後に回った。

 一大決戦はラサ近郊で勃発した。

 ロンシャが前線にやってきて巨石上に仏像が刻まれている山角を回ると、突然目をくらます光が現れた。これはラザン汗の軍隊がすでに川上に陣列を構えていて、その鎧兜や剣、槍などがぎっしり並び、綺羅星のごとくきらきらと光っていたのだ。ロンシャは戦争を見たことがなく、いわんや戦場を過ごしたことがなかった。ただ兵馬を動員したり取りまとめたりする権利を有する首領にすぎなかった。この壮観な光景を目の当たりにしたとき、茫然とするほかなかった。ツァンヤン・ギャツォが臨時にかき集めた軍隊は、見た目は比較にならなかった。これが今から戦って殺さねばならない敵であると思い至ったとき、彼は悪寒に慄いた。開始の合図がまだないのに、すでに彼は完璧に負けていた。

 ロンシャが進退を決めなければならない頃、ラザン汗の陣中から飛び出した一騎がロンシャが立つ丘の上に矢を放った。それには書信が結び付けられていて、そこにはこう書いてあった。

 

ロンシャさま 

さて、ご存じでしょうか。サンギェ・ギャツォがあなたに贈った美女、ユドン・ドルカルですが、元来ダライラマ六世の愛人であります。もし六世と私の許しを得たいならば、あなたをだまし、ダライラマ法王の心を傷つけた輩を今後は助けようとはなさいますな。でなければ私は剣を用いてあなたの葬式を挙げることになりましょう。これはたやすいことです。わが話は山を転がり落ちてくる岩のようなものです。それを途中で止めることはできません。そのことを心に刻んでおいてください。

                ラザン汗 

 

 ロンシャは読み終わったあと、恐れをなしたのか、顔が土色になった。猶予はまったくなかった。鞭を千の騎兵に向かって挙げ、大声で命じた。「みなの者、撤収せよ!」

 この命令は人の心にしみ込んだ。彼らは老いた首領に服従して妻を置き、子を残してきた農奴たちだったのである。彼らは一瞬の間に戦場から姿を消した。

 一挙にラザン汗を撃破しようと考えていたサンギェ・ギャツォは、いまや山上の岩から飛び立とうとしていたのに突然羽が折れてしまった鷹のように、絶望の深い谷底に向かって落ちていくほかなかった。一方のラザン汗は足で強く戦馬の腹を押さえ、矢のごとく一直線に飛んでいった。モンゴルの兵士たちはこの自ら先頭に立って戦う英雄の統帥を誇りに思い、ぴったりとついて前線に向かって疾駆した。サンギェの軍隊はといえば、洪水によって壊れた堤防のようなありさまで、荒れ狂う波間のなかで翻弄されていた。サンギェ・ギャツォは絵に描かれた竜紋の金の太鼓のようなもので、鳴らせるはずがなかった。もう南に逃げるほかなかった。ロカ(山南)で未来の希望を育むしかなかった。

 サンギェ・ギャツォは路上で先回りしていたタムディン・スルンに背後をつかれ、捕まり、俘虜となった。タムディン・スルンは剣の裏で彼の鎧兜をコツンコツンと叩き、あざ笑った。「牛糞がうずたかく積もっても宝塔にはならない。戦闘の衣装を着ていても英雄になるとはかぎらないさ」言い終わると狂ったように笑った。

 サンギェ・ギャツォはこの笑い声を聞きながら、まるで耳の裏を剣の先でつつかれているように感じた。彼は憤りを抑えきれずに反駁した。「能力が劣る馬は英雄を地面に落とすというからな。悪い奴がわたしをおまえらに売ったのだろう」このあと彼はいっさいしゃべらなかった。

 彼はドゥルンデチェンに連行され、罪人として拘禁された。

 ラザン汗はさっそく勝利の知らせを北京の朝廷に報告した。彼はチベット紙を用いて奏上の書簡を作った。チベット紙は手作りとはいえ純白ではないのだが、やわらかくしなやかなので、絹のように見えた。文面にはサンギェ・ギャツォの罪悪の数々、反逆と俘虜になるまでの経緯、現在チベットの秩序が保たれていること、民衆の人心が安定していること、ツァンヤン・ギャツォがいかに酒色に溺れ、規則を破り、教義を無視しているか、本物のダライラマではありえないことなどが細かい文字でぎっしりと書かれていた。そして末尾には、ダライラマを廃絶する宣旨を下すよう要請していた。

 北京に奏上する使者が出発するころ、ほぼ同時に康熙帝はチベットの動乱の状況を調べるべく、またラザン汗とサンギェ・ギャツォの対立の間を調停するため、チャナラマとアナンカ二名を特使として送った。双方の使者が途中で出会い、話し合いをする機会があった。

 こうしたことが康煕四十四年七月に起こったことであった。


 ツァンヤン・ギャツォは一日中牢獄の中で自分の運命について考えていた。今まで生きてきたなかで、物事に対する仕方は二種類しかないと認識するようになった。つまり物事を成すか、待つかの二つだ。待ちながら事を成すこともあれば、事を成しながら待つこともあった。何事も成せない、成し遂げられない、消極的に待つという状況、心境は生まれてはじめての経験だった。いったい何を待つのか。何を待つことができるのか。彼は何度も推論を立てた。ラザン汗は彼を解放することができるだろうか。いや、できない。彼とともに総括しなければならないのに、できるわけがない。皇帝は彼を釈放することができるだろうか。いや、できない。皇帝は自分をあざむいた無力の者を愛するだろうか。彼に救いの手を差し伸べたい者がいるだろうか。いったい誰が? ディパの職を辞した者がラザン汗の強烈な軍隊と戦うことができるだろうか。ダライラマ六世は彼に替わって状況を説明することができるだろうか。ああ、たしかにツァンヤン・ギャツォは彼が見つけ出した転生ラマである。しかし規則を守らないので、ラザン汗はダライラマ六世の言葉を聞く耳を持たなかった。こうしてさまざまなことを考えたが、結論はひとつだった。つまり彼が待つのは「死」だけだった。

 

彼はダライラマ六世に対し、すまない気持ちを持っていた。牛を放牧していた少年に高い位を授け、この聡明な少年に自ら知識を与え経典を教えた。しかしこの子供は恩知らずであり、騒ぎを起こし、規則を破るのは日常茶飯だった。後片付けはいつもたいへんだった。しかし今、はじめてダライラマ六世に対し、申し訳ない気持ちを持つようになった。結局彼はツァンヤン・ギャツォという若い柳の枝を折り、仏殿の水瓶に挿したのである。この水瓶の水は自分の権力ではなかったのか。この水が枯れてしまうとき、柳の枝もまた生きるすべをなくすことになる……。

 彼はここまで考えてラザン汗に向かって誓願を提出した。「わたくしはダライラマ法王を心配させ、驚かせてしまいました。法王に対して謝罪したい」

 ラザン汗はサンギェの請求に対し何も答えなかった。ただサンギェの考えをダライラマ六世に伝えることは約束した。翌日、実際に伝えられた。

 つぎの日、使者はツァンヤン・ギャツォの詩を一首持って帰った。

 

熱愛の季節 

愛の語りは終わりそうにない 

口が乾いたとき 

池の水を飲むなかれ 

一旦事情が変わったならば 

後悔するには遅すぎた 

 

サンギェ・ギャツォは「後悔するには遅すぎる」の箇所に目が行き、秘めた思いを口に出した。

「そうだ、遅すぎる! しかし何を後悔する? もし自分の持っている能力をすべて著作に用いたならば、現在書き留めたものだけでなく、大学者と呼ばれるほどのものを残しただろう。個人が持っている権力など首に掛けられた鎖のようなものだ。世に伝わる著作など飾られた花輪にすぎない。ひとつの星はひとつの刻を受け持つ。私は落ち、姿を消すことになる。沈香は百に分けてもなおその香は依然として残るというではないか。私は書き留めよう……どんなものであれ……」

 七月十五日、ラザン汗の命令のもと、サンギェ・ギャツォは処刑された。御年52だった。ある人によれば、彼はラザン汗の妃のひとりによって殺されたという。デシのような重要な人物の処刑をひとりの妃が実行するものだろうか。まあ、どんなことだってありうるわけだけれど。

 

⇒ つぎ