ダライラマ六世、その愛と死
宮本神酒男翻訳
24 果てしなく広い青海湖
チベット北部の春はラサより遅くやってくる。六月、タングラ山脈(チベット語でダンラgDang la)の雪峰から吹き降ろす風にはまだ寒さが残っていた。
ツァンヤン・ギャツォを護送する隊列は陰鬱な曇天のもと、未踏破の残雪の上をゆっくりと北へ移動していた。
席柱はいつも空を見上げ、雲の切れ目を探した。切れ目から太陽が現れ、冷気を駆逐してくれるのではないかと願ったのだ。首に枷(かせ)をはめたツァンヤン・ギャツォだけが全身にびっしょり汗をかいていた。
ツァンヤン・ギャツォが自己犠牲によって戦闘を回避させたことに対し、ラザン汗は表向き、敬意を示した。しかし同時にタムディン・スルンにひそかに指示を与え、ラサから遠く離れたところで彼に刑具の枷をつけさせるよう命じていた。皇帝の勅令にはすでに「執献」(訳注:犯罪者を護送するという意味)という言葉が使われていた。執献される者は当然のことながら朝廷が認めた犯罪者らしい恰好をさせられることになる。こうして沿道の僧侶や俗人が彼を拝したり、送り迎えしたりすることはなくなり、煩わしいことは省略されることになったのである。もちろんこの種の煩わしいことを恐れる必要はなかった。チベット北部や青海の人々はラザン汗の強力な軍隊に忠実だったからである。やはり煩わしいことはないほうがよかった。
ツァンヤン・ギャツォは自分が歩いてきた道を思い出し、その歩みは鈍重になった。慙愧に堪えないという気持ちが彼の心の中に芽生え始めていた。わたしのどこがダライラマにふさわしいだろうか。タントン・ギャルポのようにいたるところに橋を建てるような人物でもなく、減税や免税を実施するような開明的な首長というわけでもなかった。デプン寺前の流血を制止したのがせいぜい慰めになるくらいだ。僧侶らは多くの涙を流したが、それは自分たちの教主が胸をかきむしって苦しんでいるのをどうにもできなかったからである。とはいっても血を流すよりは涙を流すほうがはるかにましだろう。それにしてもこの僧侶らはなぜわたしをデプン寺に連れ去ったのだろうか。たまたま寺院の前を通りかかったからだろうか。中にガンデン・ポタンというチベットの行政機関が設置されているのだが、だれかがラザン汗に対抗して政務をおこなうことを私に望んだのだろうか。そんなことわたしにできるわけないし、願ってもいないし、ありえないことだ。だれであろうとも、もはやわたしを利用することなどできないだろう!
ツァンヤン・ギャツォの一行はゆっくりと北へ向かった。春色もゆっくりと濃くなっていった。ある晴れた日、彼らは窪地にある牧場に着いた。美しくて生き生きとした景色のなかにあってツァンヤン・ギャツォは歩を止めざるをえなかった。場所を去りがたいと感じるのは久しぶりだった。
トルコ石のように青い空にはカタのような白い雲が浮かんでいた。瑪瑙よりも緑の濃い草原には真っ白な羊の群れが移動していた。咲き乱れる黄や赤の野花のなかには真っ黒のヤクが横たわっていた。そのさまはまるで奇妙な動く絵画のようだった。陽光が降り注がれると、大小さまざまな影が草原のあちこちに落とされた。それは大地の押し花のようだった。あたたかく、強くしたたかな風が吹くと、草の葉の先が低く垂れ、羊飼いの娘のおさげと戯れ、彼女の薄桃色の衣をいじくった。ひそかに走りぬける狐のしっぽはどれも痩せていた。ずっと遠いところから山間部の谷間を流れてくるきらめく光の渓流があった。それは山頂の積雪が送られてきたもので、それによって無数の窪地に無数の湖が形成された。それはだれかれとなしに流し目を送っているかのようだった。
このような景色を見たチベット人はツァンヤン・ギャツォがはじめてだった。彼は深くこの地を気に入ったので、できればテントを立て、遊牧民として生活できたらどんなにいいだろうと思った。しかしもちろんそんなことができるはずもなかった。ここの一本の草でさえ所有する権利が彼にはなかった。ここを歩くことさえ許されそうになかった。
彼らは北へ進みつづけた。ツァンヤン・ギャツォが前方の雪峰を望むと、よりいっそう高く、太陽を望むといっそう地上に近く感じられた。陽光は積雪に反射していっそうきらめき、積雪は陽光を反射していっそう白くなった。このように大自然は自ら恋人を作り、その恋人とは相思相愛なのである。
彼は席柱に尋ねてこの山がタングラ山の主峰であることを知った。
空が暗くなったので、彼らは山の麓にある小さな宿場に宿営した。ツァンヤン・ギャツォはしばらくウトウトしたが、目を覚まし起き上がると、歩いて門の外に出た。そこに庭はなかった。夜空を見上げて彼は驚いた。ここはほかと比べて二倍もの数の星が輝き、星の大きさも二倍あり、星の輝きも二倍あった。夜空は珠玉がキラキラと輝く暖簾が垂れ下がっているかのようだった。それを押し開ければ、そこには別の世界があるだろう。その世界は闘争も、煩悩も、不幸もない、極楽浄土にちがいなかった。彼がまさに暖簾を開けようと手を伸ばしたとき、衛兵が「何をやってるんだ!」と叱りつけ、彼を中にひきずりこんだ。そして外からガチャリと錠を下ろした。
崑崙山脈の峠を越えたところで、席柱は中腹にあるそれほど大きくない洞窟を指さしながら言った。「ご覧ください、ここはナチタイと呼ばれるところです。むかし文成公主がチベットへ向かうとき、刑務者によって長安から運ばれてきた釈迦牟尼像がここで動かなくなったといいます。仏像の底座はいまだにここにあるのです」
みながここで立ち止まり、洞窟の中を見た。一目で厨子になっている小洞窟の中に何もないことがわかったが、賛嘆の声が上がった。そしてふたたび彼らは前進をつづけた。席柱はチベットと青海のあちこちに文成公主が通り過ぎた伝説があり、彼女が神化されていることを知っていた。しかし実際文成公主がどの経路を通ったのかさえ彼にはわからなかった。
ツァンヤン・ギャツォは心の中で考えた。文成公主はチベット人の中で和気あいあいとして39年も過ごし、死後彼女は(王族が葬られる)チョンゲに葬られたが、わたしの体はどこに葬られるのだろうか、と。あるいは比較するまでもないのかもしれない。この広大な大地のどこだって彼の骸骨は収まるだろう。彼は悲しい憤りを感じた。「罪人」はいまチベットを離れることを余儀なくされているのだ。短い年月ではあったが、一部の人は彼を天上にまで持ち上げた。一方別の一部の人は彼を引きずり降ろそうとした。彼に拝し、歓喜の声を上げる人々もいた。また武装して彼を護送する人々もいる。本当に理解しがたい! 地上の風雲は天上の風雲と比べて変化しやすく、猛烈で、速い。彼は詩歌の才に恵まれていただけで、あくまでごく普通の青年だった。政治的には無辜であり、生活上は多情に過ぎ、宗教上は興趣が欠落していた。しかし最終的には枷をはめられる者になってしまっていた。
彼は振り返ってどこまでもつづく崑崙の山なみを見た。そして通天河(長江上流)の清冽な流れを越えた。大自然は人をいざなうが、同時に心に傷を負わせるものでもあった。詩人の心の底にある詩情は高山の下で押しつぶされようとしていた。彼はまるで喉を絞められている歌手のようだった。
彼らははてしなく広がるゴビに出た。ここはゴルムドと呼ばれる地方だ。向こうから塵煙が近づいてきた。それは迎えに来た別のモンゴル騎兵の軍隊だった。
ツェワン・アラブタンはかつてダライラマ六世は偽ダライラマであるという声明を出していたことを忘れ、人を派遣して車駕を迎えさせたのである。康熙帝が予想したとおり、彼には政治目的があり、ツァンヤン・ギャツォをジュンガルに連れていくことができないかどうか、探りを入れていたのである。席柱とタムディン・スルンは当然のことながら許可を与えなかった。彼らは正々堂々と反論できない理由を述べた。こうしてモンゴル軍の出迎えを拒絶したのだった。すぐにゴルムドをたって東へ向かったのは、ダライラマ六世を奪われないためだけではなかった。彼らがここにとどまりたくなかったのは、付近の水草の中に蚊が棲んでいて、四六時中人を刺していたからである。蚊は音を立てずに飛び、普通の蚊と比べて小さく、衣服越しに人を刺すことができた。もっとも蚊に悩まされていたのは北京から来た二人の使臣だけで、ほかの人は蚊を見ることもほとんどなかった。彼らは蚊に取り囲まれながらも無力であり、何の抵抗を示すこともできなかった。
数か月間、長距離を歩き続けた疲労から、彼らは「秋の虎」と呼ばれる熱を発し、隊列の歩みは一日ごとに緩慢になっていった。皇帝の命を帯びているとはいえ、いつまでに北京に到着すればいいか、明確な見通しはついていなかった。彼らは櫂(かい)のない小舟のようだった。しばらくふらふらしたかと思うと、座礁することもあった。ツァンヤン・ギャツォの心境もこれに似ていた。北京へ向かっていると理解していたつぎには、どこへ向かっているのか皆目見当がつかなくなっていた。目的もなく、向かうあてもなく、好奇心もなくなっていた。止まるのも、歩くのもよく、速く行くのも、ゆっくり行くのもよかった。彼にとってはどれも同じだった。彼が願うのは、このような生活を収束させたいということだけだった。しかし将来の生活はどんなものになるのだろうか。彼には知る由もなかった。現在、彼の運命を決定することができるのは皇帝だけだった。
康熙帝はラザン汗によって偽ダライラマ六世がすでに北京へ向けて護送されたという西寧駐在のラマ、ソナム・ドルジェの奏上を聞いた。諸大臣が「神聖にして英明である」「神のごとく事を処理される」と敬服した皇帝のまさに「聖なる思し召し」が求められたのである。しかしこのときの皇帝の心に思い至る者はいなかった。
康熙帝はすぐさま聖旨を出して、皇帝の代理として担当した席柱や舒蘭経、ラザン汗が送ったタムディン・スルンらを叱責した。皇帝は問いただす、「汝らはこれまで考えたことがなかったのか。ダライラマ六世を迎え入れて、どこに留め置くのか」「どのように処遇するのか」と。たしかにこの問題について彼らは考えたことがなかった。というのも、そもそも彼らが考えるべきことではなかったのだから。
席柱らは皇帝の言葉を読み、戦々恐々とした。言葉の一つ一つに憤怒の「竜顔」が見えてくるようだった。うまくやらなければ、免職か流罪だった。皇帝はかつてツァンヤン・ギャツォを北京へ護送するよう命令を下したが、あきらかに考えを変えていた。どうやら皇帝はこの偽ダライラマを北京へ護送する許可を与えようとはしていないようだ。ツァンヤン・ギャツォの護送はそもそも目隠しをしたまま舟をこぐようなものであることを彼らは理解した。
席柱は自分が負う責任に思いを馳せたとき、突然不安になり、座り込んだ。ツァンヤン・ギャツォは彼らの手中にある炭火であり、頭上に載せた石臼であった。もはや皇帝に送ることも、ラザン汗に押し返すことも、さらにはツェワン・アラブタンのような第三者に渡すこともできなかった。どうしたらいいのか? 彼は三十六計を案じた。そのうちの最後の一計、すなわち「走為上の計」(困難に直面した時、そこを離れることによって回避する計略)を彼は案じた。ただし離れるのは彼ではなく、ツァンヤン・ギャツォである。北京もラサもこの偽ダライラマを受け入れないのなら、彼を途中で離れさせるのも一計ではないのか。今皇帝は彼らにこの人物を要求することはできないだろう。
席柱は官吏でないときは官吏になりたいと思い、官吏になったならさらにその気持ちが大きくなるというタイプの人間だった。彼は不安でいっぱいだったが、ただ功を立てたいと願った。彼には基本的な経験というものがあった。皇帝には自分の忠誠心と才能を知ってもらいたかった。そのためにまず皇帝の考えと意図を知っておく必要があった。ツァンヤン・ギャツォの問題をうまく処理し、皇帝にとって頭の痛い案件を解決すれば、凶を吉に変える、つまり立身出世も可能となるのだ。それにしても、凶ばかりで吉は少ないのだが。
席柱はツァンヤン・ギャツォを呼び出し、部下に枷(かせ)をはずさせ、二人を除くすべての者を退出させた。
「さぞつらかったでしょう」席柱は気を使いながらツァンヤン・ギャツォに言った。「ここに至っては、多言を要しますまい。わたくしもまた仏教を信じる者であります。わたくしはあなたさまにお勧めしたい、いや、懇願いたします。どうぞお逃げください! 逃走されたあと、永久に身分をさらさないでください。一切の結果はわたくしが責任をお持ちしますから」彼は自分の頂戴(官吏が被る帽子)を叩きながらツァンヤン・ギャツォの回答を待った。
ツァンヤン・ギャツォは話を聞いて意外なことだと驚いた。いったい何が起こったのだろうか。彼はしばらく回答できなかった。彼は思った。ラザン汗は私を暗殺しようとしているのか。この人のいい人物はわたしを助けたいのだろうか。いや、それはあるまい。ラザン汗はすでに勢いを得ている。わたしはチベットを離れようとしているのだ。そんなわたしを殺しても名声を落とすだけだ。わたしを北京に呼んだのは皇帝ではなかったか。席柱はなぜ聖旨に背くことをしようとしているのだろうか。逃走? もし逃走しなければならないとして、逃走できるとして、いったいどこへ逃げるというのだろうか。チベットに戻ったら、人々はすぐにわたしとわかるだろう。ラザン汗はわたしを容認しなかった。だからまた騒乱が起き、戦闘がはじまるかもしれない。民間に紛れ込んだとして、どんな自分の生い立ちを作り出す? 寺院に入ったとしても、この種の生活がすぐにいやになるだろう……」
ここに至って彼は考えを決め、怒りを抑えきれずに席柱に問いただした。「はじめあなたがたとラザン汗は何を話し合ったのですか。なぜいまわたしを逃走させようとするのですか。ラサにいるときあまたは千、万の人々に向かって声高に叫んだではないですか。あなたがたのギャルワ・リンポチェ(ダライラマ法王)は皇帝の招請に応じて謁見のため北京へ行かれます、と。もし文殊皇帝(清皇帝)の金殿に到達できないなら、自ら謁見しましょう。そしてほかの場所には行きません」言い終わると、袖を払って自分のテントの中に頭から入っていった。
ツァンヤン・ギャツォはボロボロになった汚れた絨毯の上にあおむけになった。両目からはポロポロと涙の滴が零れ落ちた。
彼はたった今皇帝に会わないわけにはいかないと言い張った。自分でも奇妙なことだと思った。北京の宮城はとても美しいところだと彼は想像していた。ポタラ宮の壁画に描かれている順治帝がダライラマ五世に謁見する重厚な場面を彼は賛嘆していた。ただし彼は自らを普通の人間、牛飼いの少年、民間歌手、酒店の顧客、ポタラ宮の飾り物とみなしていた。大人物と会うことに関心を持っていなかったので、皇帝とも話をするために向かうということはなかった。いま、北京へ向かう途中、彼は到達することを夢想しなくなっていた。彼とダライラマ五世の境遇は大いに異なっていた。東の風が吹くように五世は真正のダライラマだった。西の風が吹くように彼は偽ダライラマだった。結局、何が原因なのか、彼は明らかにすることができなかった。彼は皇帝の前に出るのでなければ、自分を弁解する必要もなかった。彼は早くから規則を守らなかったことを認めていた。彼にはまたはっきりわかっていたのは、サンギェ・ギャツォとうまくいってなかったことから、彼のことが好きではなかったのだ。一方のラザン汗は朝廷に忠義を尽くし、モンゴル騎兵はチベット軍よりはるかに量でまさっていた。彼はたった今、かならず皇帝と会うと話したが、自分を翻弄する席柱への反抗から出た言葉だった。
テントの入口の覆いに影がよぎった。タムディン・スルンが身を傾けながら中に入ってきた。
ツァンヤン・ギャツォは座るよう勧めることはなかった。相手方も座ろうとしなかった。そもそもここには座るだけの余裕がなかった。
タムディン・スルンは横目でテントの隅をちらちら見ながら、顔色ひとつ変えず、ツァンヤン・ギャツォに言った。
「ここからそれほど遠くない北方にココノール(青海湖)というたいへん美しい湖があります。今日は十月十日、月は明るく、歩くのはそれほどむつかしくありません。われわれは決定いたしました。今晩あなたは単独で湖へ行き、月を愛でることができます」
「どういうことだ?」彼は身を翻しながら聞いた。
タムディン・スルンはちらりと彼のほうを見ると、またテントの隅をじっと見つめながら言った。
「皇帝からの聖旨が届きました。それによるとあなたが北京に到達したとしても、もてなすことができないということです。おわかりでしょうか。自分でお選びください。天に昇るもよし、地に入るもよし、どれでもいいのです」言い終わると彼は入口の覆いを開けて出ていった。
青海湖の畔。そよ風も吹かない。静かなる夜。静かなる岸。静かなる水。すべてのものが静かに何かを待っている。
水中の幻のような月。青い湖が巨大な真珠を抱いて、幸福な夢の中で熟睡しているかのようだ。この明るい真珠はいにしえより今に至るまで人に愛されてきたのだが、だれも掬い上げることができなかった。
水と天のはるかなる距離を変えることはできないが、人間の視線が届かないところで緊密に結ばれていた。今夜、水と天はひそかに抱き合うのだ。彼らはひそひそ声で何かしゃべっていた。何と言っているのだろうか。誰にも聞こえなかったが、おそらくだれかの運命についてしゃべっていたのだろう。
湖心山の影が、存在が疑われるほどぼんやりと湖面に映っていた。広い湖のなかのたったひとつの島だった。孤島には孤島の誇りがあり、孤島には孤島のうら寂しさがあった。孤島の詩情は孤高だった。
ひとりの体つきが優美なチベット人の女が湖岸に向かって歩いている。
月光のもと、舞う姿にも似た影はすばやく前方に移動している。湖岸の浜辺からシャッ、シャッという足音が聞こえる。
彼女は道を顧みることなく、はるか遠くをずっと見つめたまま向かっている。彼女はあきらかに最後の気力を振り絞り、よろめきながら、天の果てから岬まで、何かを求めてやってきたかのように歩いている。
地面にはそよ風すら吹いていない。湖面も同様にとても静かだ。彼女の足取りはさらに乱れた。あたかも暴風雨を浴びながら、泥濘の中を懸命に奔走しているかのようだった。
突然立ち止まるとともに、彼女は「あっ」と軽い声を発した。見えた! 彼女の目についに見えた! 何度も親しみを込めて「タンサン・ワンポ」と呼んだその人が見えたのだ。いや、タンサン・ワンポじゃない、ダライラマ六世でもない、ツァンヤン・ギャツォが見えたのだ!
ツァンヤン・ギャツォは湖の畔の巨岩の上に立っている。あたかも遠征した鷹が見知らぬ山の岩に墜落したかのようだった。何も見えず、何も聞こえず、夢のようで夢でない感覚のなかにあった。
人生の旅はまだ途上だった。わずかに歩いたにすぎず、進んだ距離は長くないのにすでに疲れ、疲れ果て、体は麻痺していた。草を引っこ抜く気力すらなくなっていた。
口元には淡々とした苦笑がよぎった。彼は思った、一切の恨みや苦しみは愛から生まれたものであると。もし心の中に愛がなかったら、彼が今日ここに立つことはなかっただろう。この進むことも退くこともできない場所に立つことはなかっただろう。彼はけっして後悔しなかった。もし美を愛する心がときめかなかったら、どんな人間になっていただろうか。
山や川への愛、善良な人間への愛、世の中への愛、それらが凝縮してひとりの人に対する愛となった。ふたたび愛することがなぜ許されないだろうか。彼は突然ひとつの名前を叫んだ。「ユドン・ドルカル!」
まさにそのとき背後に覆面の男が忍び寄り、彼を激しく突き飛ばした。
静まり返った湖に雪山が崩れ落ちたかのような大きな音がすると、波しぶきが四方に広がった。
それほど遠くないところにいた女も波しぶきが上がるとともに驚嘆の声を発した。ああ遅すぎた! あとわずかなのに及ばなかった! 叫ぶのが遅すぎた! 永遠に追いつくことはできない! もう取り返しがつかない!
彼女は長い道のりを歩いてきた。雪山、氷河、森、草地、坂、谷……それらを越えてやってきた。一日一日、一歩一歩、心の中の燃える火を絶やすことなく、あるだけの力を振り絞り、ここまでやってきた。良心的な衛兵に教えられてツァンヤン・ギャツォを探しに湖までやってきたとき、彼女は身震いした。そしてこの瞬間、全身の力が抜けてくずおれてしまった。地面に倒れたまま、かよわい手では自分の体を支えることができず、どうしても起き上がることができなかった。
湖面はふたたび静まり返った。水中の月はまた安心したような面持ちを見せている。まるで何も起こらなかったかのようだった。
月のまわり、星々の間、岸辺の草むらの中、魚が吐き出す気泡の中、つがいで過ごす鳥の羽……女の心の声はそれらのあたりを漂った。
天地万物が彼女の話に耳を傾けた。すべてが彼女の愛の話を収蔵した。
これはツァンヤン・ギャツォに対するユドン・ドルカルの涙ながらの声なき心の訴えである。
わたしは来たのに、あなたは行ってしまった。あなたはわたしの姿を見ることができなかった。でもわたしはあなたを見送った。あなたが最後にわたしにくださった詩はヤンツォンが持ってきてくださったものです。彼女がロンシャに対し、わたしがあなたの恋人であることを実証してくださいました。ロンシャがわたしを自由にしてくれたので、すぐにラサへ行きました。しかしあなたはすでに北京へ向かう途上にありました。わたしはポタラ宮に体を寄せて泣きましたが、そのあとあなたの足跡を追っていきました。
わたしはあなたがわたしのことを想ってくださることを存じています。あなたに感謝しつつ遠方にあってもあなたのことをわたしはひたすら想っています。
わたしはいつだって詩歌を愛しています。作ることはできないけれど、聞くのは好きです。すてきな詩を聞くたびに、揺れ動くわが胸のなかで赤々と燃えるものがあり、わが心を揺さぶるのです。
もう何年もあなたに会っていません。ただしいつも人々があなたの詩を歌っているのを聞いていました。これこそわたしの最高の幸福であり、甘美なるものなのです。
あなたの詩は清らかな泉であり、甘露です。詩の中では、黄金のような、水晶のような心が躍動しています。
あなたの詩のいくつかは、わたしのために書いたものですね。それはわたしたちふたりだけが知っていることです。
……
あなたと知り合えたのはわが栄誉であり、幸せなことでした。いっしょにいた時間は短いものでしたが、わが心の深い底にとても美しい記憶が刻まれました。あなたのことを想うと、わが一生には少しも空白がないことを自覚します。
覚えていらっしゃいますでしょうか。あの年のあの時、わたしたちが何をしていたかを。あの元気いっぱいだった夜のことを。わたしたちはいっしょに歌い、いっしょに笑いました。あなたのあの開放的な笑い声、いつもわたしに身を寄せていたあなたのこと……いいことばかりでした。
……
ロンシャのじいさまがわたしを連れ去ってから、あなたの心の中に悲哀の大樹が育ったことでしょう。苦渋でいっぱいの葉が数知れず落ちたことでしょう。
でもわたしにはいい考えが浮かびませんでした。どうしようもありませんでした。ただ運命の成り行きに任せるしかなかったのです。
わたしはすでに純潔な小娘ではありません。肉体上、わたしたちはみな純潔ではないのです。狼は人の肉体を食べることができます。でも人の感情をくわえていくことはできません。わたしたちの肉体を別の人の馬の鞍に乗せて運ぶことができます。刑具の枷(かせ)をはめることも、泥沼に捨てることも、強制することも、わがものとすることも、だますこともできます。けれどもわたしたちの心は溶け合ってひとつになることができました。乳と水のように、塩と茶のように……。
毎年正月十六日になりますと、わたしは黙々とあなたの誕生日を祝いました。一束の野花をあなたに捧げました。はるか遠くからあなたに献じたのです。あなたの誕生日よりずっと前に新鮮な花のない季節があります。わたしの心の中で、鮮やかな赤色の、形のない花があなたのために咲き、ひそかに芳香を放つのです。
あなたには何が必要でしょうか。わたしはすべてをあなたに捧げます。あなたはわたしに多くのものをくださいました。わたしはあなたに何を差し上げることができるでしょうか。わたしたちの間は相当遠くなってしまいましたけれど。
夢の中ではいつもあなたはわたしに近づいてきます。わたしはあなたに言います。「よくわたしを見てください」と。わたしはあなたに向かって両腕を伸ばします。ああ、いつもそこで夢が醒めてしまうのですけど。
……
あなたが遭遇した数々のことにわたしは不平不満でいっぱいです。わたしはつねにあなたのことを想っていますが、あなたはそこにはいません。心はむつかしく感じています。わたしはよくない人間だとみな考えているかもしれません。わたしがあなたに悪い影響を与えたのではないかと……。
あなたはとっくに辱めを受けても意に介さなくなっていました。あなたはよくご存じでしょう。この世界には一晩で英雄になる者がおり、朝に「犯罪者」となる者もたくさんいるのです。
……
世間がわたしたちに与えた一切の穢れを湖水で洗い流しましょう。この青い聖水でわたしたちの愛の渇きを癒しましょう。わたしたちは手に手を取って湖中の月宮へ行きましょう。ツァンヤン・ギャツォとユドン・ドルカルは、詩歌と民衆のように、永遠に別れることはないでしょう。
ユドン・ドルカルは身を起こし、色とりどりのパンデン(女性がまとう色彩豊かな衣服)をパンパンと叩いて塵土を払い落し、ツァンヤン・ギャツォがさきほどまで立っていた場所まで歩いた。彼女は湖中の明月を見ながら進んでいった……。
果てしなく広がる青海湖の上には、しばらくの間「ツァン、ヤン、ギャ、ツォ」と呼ぶ女の声がたゆたっていた。
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