2 パドマサンバヴァの役割  A・ダヴィッド=ネール (宮本神酒男訳)

 プロローグの第2部には、チベットでもっとも名声の高い人物が登場する。グル・リンポチェ・ウギェン・ペマ・ジュンネ(ウギェンの地で、蓮から生まれた尊い精神的大師)の名は、サンスクリット語のパドマサンバヴァから派生した。天界から地上を眺め、地上に降臨したケサルに対し、そのプランを実現するために行動を指導するのは、このパドマサンバヴァである。

 パドマサンバヴァとはだれであろうか。このテーマに関して明瞭なことは何ひとつ言えない。彼が8世紀に実在したことはまちがいない。しかしその具体的な証拠となると、多数の誇張された伝説のなかに消えてしまうのだ。もっとも重要なことは、将来の大魔術師の奇跡的な誕生である。彼は人間の両親から生まれたのではなく、インドラブーティ国王の宮殿の庭にある湖の中央に現れた蓮の中心から生まれた。

 彼の名前、パドマサンバヴァは「蓮から生まれた者」という意味であり、チベット人はそれをチベット語に正確に訳した。しかしながら彼らは短くグル・リンポチェ(尊い精神的大師)やグル・パドマないしはペマ(精神的大師の蓮)という名で呼ぶ。

叙事詩(ケサル王物語)の翻訳において私は西欧になじみが深いパドマサンバヴァを使った。「尊いグル」や「グル・パドマ」といった語彙を用いることもあった。

 パドマサンバヴァが生まれた国ウギェンは、現在のアフガニスタンのカブール地域にあったと言われる。彼が生まれたとき、ウギェンの国民は、現在のネパールに見られるようなある種の堕落した仏教を宣言していた。それは原理的な仏教の教えとヒンドゥー教シヴァ・タントラ派の神秘的な概念と実践を混合したような宗教である。これらは広く呪術を広めることになった。

 8世紀以前にチベットに仏教を伝播する試みがあったのはあきらかであり、小さな成功を収めていた。さまざまな言い伝えがこの点に関しては同意していて、シャンタラクシタという名の仏僧がチベット人の野蛮な風習に辟易しながらも、国王ティソンデツェンにパドマサンバヴァだけがシャーマニズム的なボン教のもとにいる悪魔たちを制圧し、その臣下のものたちを改宗させることができると訴えた。

 パドマサンバヴァは成功した。とはいっても、正統派の仏教の教義に改宗したというよりも、古代の宗教を取り入れ、異質の要素を理論や実践に混ぜた新しい宗教を作り出したのである。

 伝承によると、パドマサンバヴァは現れたときと同じように、奇跡的に、死ぬこともなかった。使命が終わると、翼が生えた馬に乗り、雲を通ってチベットを去っていった。こうして彼はランカ(スリランカ)へ行って羅刹(ラークシャサ)を改宗させたとも、少なくとも彼らが世界を駆け巡って人間を食べるのを防いだとされる。

 これらの魔物たちを改宗させるのは、チベットのシャーマニズムの信者を改宗させるよりもむつかしかった。もし彼らの間に長い間住んで、仕事をこなしたとしても、同時代の弟子によると、人食いの島から近い将来、出ていくことはないだろうとパドマサンバヴァは考えたかもしれない。

 それゆえケサル王物語が現在の姿になったとき、パドマサンバヴァはサンドペリ(高貴な銅色の山)にかぎりなく長い間住んでいた。

 この想像上の山についてはさまざまな著作に記されてきた。そしてチベット人の画家はこのテーマを好み、それを仏画や壁画に描いてきた。風聞を信じるならば、パドマサンバヴァにとって羅刹(ラークシャサ)の間で過ごすのは、それほどつらいことではなかった。この祝福された呪術師はわずかな仲間とだけ残されたのではない。サンドペリの宮殿で、彼は数千のダーキニー(妖精)に囲まれていた。その一部はとても美しく、ほかは知識が豊富だった。美と知恵の両者をそなえたダーキニーもいた。

 サンドペリのこれら妖精の存在から類推してこの幸福の国の住人が性的悦楽に溺れていると考えるのは間違いである。そのようなことは論外である。

 これらの妖精の美しさは、ほかならぬわれわれの審美眼から生まれたものである。ある女たちは青い肌に長いまつ毛をもち、髪は金色である。ある女たちは、身体が赤く、ほっそりとして、蛇のようである。ある女たちは、身体が夜のように黒く、巨大で、黒い顔に緑の目がキョロキョロしている。

 すべてのダーキニーがサンドペリに住んでいるわけではない。彼らはいろんな場所で見られる。彼女らは「母」と呼ばれ、秘教的なイニシエーションを夢見るチベットの神秘主義者たちによって、秘密の教義を保持する者として、探し求められている。

 呪術師、あるいは「ダイアモンドの心を持つ」とされる隠者は、ときおりこの奇妙な生き物を引き寄せることに成功する。そして彼女らを屈服させてしまうのである。私はいまこの官能的な愛について敷衍するつもりはない。その結末はしばしば予期せぬものであり、勇敢な恋人に悲劇をもたらすことも多い。そのような物語は興味深いが、現在のテーマからははずれてしまう。

 サンドペリには、ダーキニーだけでなく何千人ものパドマサンバヴァの弟子が住んでいる。そして精霊たちが下僕(しもべ)として働いている。この神秘的な世界はとても美しく、魅惑的で、奇跡の花が咲き乱れ、やさしい動物たちが放たれた、真実の楽園とみなされる。

 この魔法の山の麓で、羅刹(ラークシャサ)は奇妙な苦しみを覚える。パドマサンバヴァは呪術師としての才能を見せながら、毎朝宮廷に子供の姿になって姿を現し、昼にはおとなになり、夕暮れ時には老人の姿を見せる。

 この瞬間が来ると、男女の悪魔が喜んだ。彼らの厳しい看守の死期が迫り、彼らは島の刑務所から逃れられると考えたからだ。そうして大地をひっくり返し、住人を食らって食人の宴が開かれるだろう。

ところが、なんということか! 彼らは失望する運命にあった。翌朝になると、またパドマサンバヴァは幼児の姿となり、ふたたび征服者となるのだった。

 毎晩、彼らの心におなじ希望が湧き起こった。それは実際、地獄の苦しみのようなものだった。チベットの学識のある僧侶たちはこの話を寓話としてとらえ、哲学的な解釈ができると考えている。

 
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