3 叔父トドンの重要性     A・ダヴィッド=ネール (宮本神酒男訳)

 今私は、ケサルの叔父と考えられるトドンについて詳しく説明できると思う。彼はケサル王物語で奇妙な役割を持っている。

 プロローグの2部で見るように、パドマサンバヴァに託された使命を受託する前、トゥパガワ(将来のケサル)はいくつかの条件を提出している。そのうちのひとつは、優秀な戦術家でもある叔父がほしいというものだった。パドマサンバヴァはそのような人物を用意しようと約束している。

 さて、理屈はともかく、物語には臆病で、みじめで、自堕落で、貪欲で、不忠者の叔父が登場する。この道化役の人物の存在によって、というよりその行為によって、英雄物語に漫画的な色合いが与えられている。

物語の最初で、この叔父はパドマサンバヴァのプランをあやうく壊しかける。将来のケサルが生まれたとき、殺害しようとしたのである。叔父は、しかし本当の叔父ではなかった。ケサルは奇跡的に処女から生まれた。ケサルは、彼の父親と指名されたケンゾ神の一部である。ケンゾ神が将来の母親に聖水を飲ませると、トゥパガワがケサルとして生まれてくるのだが、その場面をトゥパガワ自身が見る。

 物語の設定上、トドンはシンレンの兄弟であり、ケサルの母となる女は、そのシンレンの召使いだった。シンレンは彼女を二番目の妻にしようとしたが、それを実行に移す前に彼女は子供を産んだ。リンの人々は主人であるシンレンが、赤ん坊の父親にちがいないと考えた。聖書の羊飼いたちと同様、この羊飼いの人々は事実を把握することができなかった。このようにして、表面上はトドンがケサルの叔父なのである。

 化身という方法でこの「叔父さん」を生み出すために、パドマサンバヴァが選んだ登場人物の素性は、奔放で、無作法な神だった。ラマ教の神々の体系のなかでは人気者としての位置を占めるので、この神の説明は簡単に素描するだけにとどめよう。

 この悪魔起源のチベット人がタムディンと呼ぶ神は、ヒンドゥー教の神ハヤグリーヴァである。しかしトランスヒマラヤ地域のほかの同種の神々と同様、チベットに採りいれられたときに新しい性格が加えられた。

 ヒンドゥー教のハヤグリーヴァがヴィシュヌ神の一面である一方で、チベットのタムディンは不貞の女と人非人との愛から生まれた怪物だった。彼の来歴はまとめるとつぎのようになる。

 グルのタムパトグケンは頓悟(悟りへの短い道)の秘教的教義に通暁した僧だった。彼は弟子たちに危険な精神的修行を課していた。それには情欲の体験という修行も含まれていたのである。彼はその感情が欲そのものからできていること、そしてそれを利用できるということを分析すれば、情欲を統御することができると考えたのである。

 グルの指導によってこの危険な修行を実践した者のなかに、友人同士でもあるふたりの若者がいた。ひとりはタルパ・ナクポで、王子だった。もうひとりはタイパクという名だった。タイパクはグル・タムパトグケンの教えの真の意味を理解し、正しい道を進んだが、彼の友人は情欲に負けてしまい、どんな状況でもそれに耽るようになってしまった。

 タイパクはタルパ・ナクポのやりかたが間違っていると指摘したが、彼はグルの教えに沿って厳格にやっているので問題はないと反駁した。タイパクはそのような解釈を受け入れることはできなかったので、結局ふたりともグルのもとに行ってたずねることにした。グルは、教えを戯画化しているとしてタルパ・ナクポを非難した。

 タルパは、もし間違った道に入ってしまったなら、それは師匠の説明が曖昧であったためであり、そのため道を間違えてしまったのだと主張した。このかぎりにおいては、彼はグルの精神的教えに真摯に従ったのであり、彼はそのふるまいを改める気はさらさらなかった。

 彼はタムパトグケンのもとを去り、最悪の人生を送った。しかし死を前にして、タルパ・ナクポは数えきれないほどの罪を犯してしまったため、死んだあと地獄に転生することを悟った。彼は願いを坦懐に表わした。

「もしそれが真なら、私は師匠が仰っていたことに従うべきだったと、心の底から思います。私は罪を償ったあと、誠実さの果を楽しんでもよろしいでしょうか。そして、つぎに生まれ変わるときは、頭が3つ、手が6本という姿をとって、世界全体の師匠になりたいのです」

 何万年もの間、タルパ・ナクポは死んではまたほかの地獄に生き返る、ということを繰り返し、ずっと地獄にとどまった。

 彼が欠点の本質と悪い行為とを織り交ぜる作業に疲れ果てた頃、ひとりの魔女が港町に住んでいた。彼女は結婚していたにもかかわらず、人非人と関係ができてしまった。ある朝、彼女は炎の色の魂を受け取った。昼間、悪意のある黒い顔の悪魔が彼女のもとを訪ねた。夜、彼女は青みがかった蛇の半神と過ごした。

 彼女は妊娠した。嵐が荒れ狂った日、頭3つ、手6本、足4本の怪物を生んだ。このおぞましい畸形児は、タルパ・ナクポの転生だった。彼の母親は、彼が生まれたとき身罷った。すぐにあらゆる災害が国中を襲った。川の水はあふれ、田畑を水浸しにした。いたるところに火の手が上がった。突然伝染病が発生し、四方に広がった。

 怪物が生まれた町の住人は異常なできごとが起きていることに気づき、彼を見ようと殺到した。彼らはこの災難をもたらす怪物を除去することに決めた。そこで彼らは怪物を彼の母の遺体に結び付け、墓場(鳥葬の区域)に投げ込んだ。

 若い悪魔は最初、乳を吸おうとした。しかし死んだ女の胸は乾燥していて、乳は出なかった。それから飢えを満たすため、また生まれたときから歯がすべてそろっていたので、彼は死体を食べ始めた。

 彼は1か月分の成長をたった1日で遂げるほど、成長が早かった。すぐに彼はおとなになり、マタムルドラと名乗るようになった。(ルドラはシヴァ神の化身のひとつ。恐ろしいという意味)

 彼は地元の住民を支配するようになった。そして地上のすべての国を征服していき、彼を崇拝させた。

 それでも彼の野望は満たされなかった。彼は神々の世界の征服に着手した。神々でさえもマタムルドラの攻撃をこらえることができなかった。彼が毒の息を神々の顔に吹き掛けると、彼らは息をすることができなくなり、天上世界からつぎつぎと落下して命を落としたかのようになった。

 その間に怪物はランカ島の人食いラークシャサ(羅刹)の女王の愛人となった。そして彼らの長となり、人類を滅亡させようと脅した。この危機に際し、ギャルワたち(勝利者の意味。神秘的ブッダのこと)は会議を開いた。そのなかにはマタムルドラがタルパ・ナクポであった頃のグルであったタムパトグケンと弟子仲間であったタイパクの転生も含まれていた。このふたりは怪物を倒すことができるメンバーに選ばれた。その目的を達するために、彼らは地上に転生した。

 ラークシャサ(羅刹)の女王は怪物にあきあきしはじめていた。より好ましい外観をもっているタムパトグケンが現れたとき、彼女はむしろほっとした。

 王室の秘密の情事から息子が生まれた。肉体的には、男の子は父親と推定されるマタムルドラとよく似ていた。しかし生命を与えたのはタムパトグケンの魂だった。はじめ怪物は子供がだれの子であるか問うことはなく、自分の子とみなしていた。しかし成長するにしたがい、息子が自分を退位させようと計略をめぐらすのを見て、次第に疑心暗鬼になった。

 すさまじい戦いがマタムルドラとタムパトグケンの転生との間に起こった。すべてのギャルワたち(ブッダ)が息子の応援にかけつけ、マタムルドラの両肩の上に乗ってその動きをとめさせた。その重みに耐えきれなくなって、ついにマタムルドラは地上に崩れ落ちた。そのとき怪物は魔術のすべてを発揮して、自身を恐ろしく巨大化した。

 彼の昔のグルは、巨大化したかつての弟子と戦うため、自身を馬に変えた。馬は怪物の肛門から入って体中を駆け巡り、脳天から飛び出した。

 同時にタイパクはイノシシに変身して怪物の体内に脳天から入り、グルとは逆方向に駆け巡り、肛門から飛び出した。

 これには怪物のマタムルドラも我慢ならなかった。ついには、彼の身体は爆発し、こなごなになった。

 この伝説にはいくつもバージョンがある。そのひとつは、怪物が拷問に耐えきれなくなり、屈服し、改宗して仏教の信仰と教えの守護者となることを誓う物語である。

 このバージョンは、ラマ教における神々の体系のなかで、タムディンが占める位置を示している。その彫像や壁画中の姿は、怪物のようにグロテスクだが、頭部の頂から小さな馬の頭が現れるさまが描かれている。それは秘教の師匠であったタムパトグケンが怪物を征服したときの戦いぶりを控えめに表わしているのだろう。それはかつての悪魔が、仏法を守るという尊敬すべき守護神の地位につき、悪に対し、にらみを利かしているということなのである。

 このような性格を持った神の化身として、トドンはチベットのよき民のなかに現れたのである。

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