6 北京のケサル王像      A・ダヴィッド=ネール (宮本神酒男訳)

 一面に霜が降りた、輝かしい冬の日の北京、チベット出身のレゼマという女性が用立てた馬車に乗って、少し離れたところにあるラマ寺を訪ねた。

 しばらく揺られたあと、寺院の門の前で御者は馬車を停めた。そこは私にとってとくに意味を持たなかった。このかわいらしいレゼマは、瞑想をする場所として、私が宿泊している伯林寺と塀を接したこの雍和宮を私が好んでいることを知っているはずなのに、なぜわざわざ私をここまで運んできたのだろうかといぶかしく思った。

 私はあえて質問をしなかった。それが不躾に思われたからというだけでなく、彼女の顔に奇妙な、興奮を隠せないような、今まで見せたことがない表情を浮かべていたからだった。

「こっちへ来て」と彼女は感情を押し殺しながら言った。私は彼女のあとをついていきながら、このパゴダの何を見せようというのだろうかと、不思議に思った。

 小さな聖域に入ったものの、北京のほかの寺との違いはとくになかった。

 薄暗い部屋に入ると、四方の壁は、何世代にもわたる参拝者が火をつけた、無数のお香の煙にいぶされて真っ黒になっていた。

 祭壇ははるか昔に金箔が施された木彫りの壁板に囲まれていた。そこに小さな玉座があり、絹のカーテンが掛けられていた。習慣によれば玉座にはこの祠堂が捧げられた神の像が置かれているはずだ。

 あちこちに丁寧に、中国の神様に共通の儀礼道具が置かれていた。それは瓶、太鼓、鈴である。これらの物や寺院が相当に古いことがわかる。そこには耐えてきた静けさ、落ち着いた確かさがあった。隣接する庭の塀を破らんばかりの、扇動と騒音の外世界を軽蔑するような穏やかさがあった。この場所の精霊は、時が来るのを待っているかのようだった。

 道具係のラマが現れたが、その情景とよくマッチしていた。彼は腰の曲がった、動作の鈍い小さな老人だった。彼はふるえる手で祭壇のカーテンを閉めたが、影の中に道祖(太上老君)の像と似た彫像を認めた。

 その像の前でレゼマはチベット式に3回拝んだ。そして立ち上がると、私の耳元でささやいた。

「これはケサル王です」

 彼女に質問を浴びせようと思っていたが、その前に老ラマがわれわれに火がついたお香を手渡した。祭壇の前に置かれた壺は灰でいっぱいになっていた。

 私は神々の参拝をけっして拒まない。これはごく一般的な行いである。さらには、けさが歴史上の英雄であることを思い出した。私の最初のチベット人教授であるダワサンドゥプ氏はいつもこの戦士王の物語を口ずさんでいた。それにほかの人々からもこの有名な英雄の話を聞かされてきた。私は研究に没頭していたにもかかわらず、このテーマについてのさらなる情報収集を怠っていた。

ケサルが崇拝されていることを私は知らなかったのだ。

 それゆえ私は丁寧にお辞儀をして、お香の束を像の前に置いた。そしてレゼマが跪拝を終えると、ふたりで祠堂をあとにした。

 馬車のなかで、彼女が瞑想でもしているかのように物思いに耽っていたので、しばらく待ってから質問をした。

「ケサルというのはたしかカムの王様ですよね?」

「ケサルは神です。偉大なる神様なのです」とレゼマは熱のこもった話し方をした。「私はケサル王の国の出身です。王は私の祈りの声を聞いてくれたはずです」

 神格化された英雄というのは、東洋ではめずらしいことではない。ケサルの神格化および崇拝にはそれほど驚かなかった。しかし私はだれのためにケサルに祈っているのかが知りたかった。

「息子です。息子に強さと勇気を与えてほしいのです。そうすれば、戦争のとき、ケサル王のために尽くすことになるでしょう」

 レゼマは結婚してから5年になるが、子宝には恵まれていなかった。彼女は運のなさを嘆いていたので、祈りの目的は理解できた。しかしたとえこれから男の子が生まれるとしても、どうやって何世紀も前にすでにこの世からいなくなった王の兵士になるというのだろうか。それに彼女が言う戦争とは、この地上以外のどこでおこなわれるというのだろうか。

「王は戻ってきます」と彼女は高らかに言った。「王の軍隊はチベット、中国、そして外国人の国を叩きのめします。王に抵抗する者たちはみな排除されるのです。ああ、私の息子が大尉になって王から認められたらいいのに!」

 この将来の母親の願いはとても奇妙で面白かった。しかし英雄があの世から戻ってきてまた戦争をするという考えは、もっと興味深かった。この背後に、どんな伝説があるのだろうか。

 レゼマはうまく答えることができなかった。彼女はただ民間信仰を信じているだけであり、その起源や詳細について知っているわけではなかった。


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